第32話「帰りたい」






   第32話「帰りたい」




 ミツキは古びた伝記のページを捲りながら、本の内容を詳しく教えてくれた。


 カゲカワが生きていた日本の世界。

 それはミツキが生きた時代よりも200年ぐらい前ではないかと教えてくれたのだ。

 その時代は、ミツキがいた時代よりも国内での争いが絶えない時代であり、ミツキが居た頃とは国が違うように感じるぐらいの差があると教えてくれた。



 「じゃあ、ミツキが居た世界で、間違いはないのね。」

 「あぁ……おそらくそうだな。この続きで、この世界に飛ばされた時の事が書かれていると思うから、読んでみれば更に詳しい事がわかっていくと思う。」

 「そうね。じゃあ、早く続き読まなきゃね。」



 エルハム、そう言ってミツキから本を受け取った。

 いつ頃チャロアイトに行けそうか。そんな事を考えている時、また眠気に襲われてあくびが出てしまった。

 もう夜中になり、いつものエルハムならば寝ている時間なので、仕方がないかもしれない。



 「ご、ごめんなさい。真剣な話をしている時に、あくびなんてしてしまって。」

 「いや、こっちこそ夜中まで付き合わせてわるかった。俺はこのままここの警備をするから、エルハムは寝ていてくれ。」

 「え、ミツキは寝ないの?」

 「あぁ………この時間に寝ると………あんまりいい夢を見ないんだ。」

 「え………それってどういう事?」



 ミツキから初めて聞く言葉に、エルハムは驚いてしまった。ミツキは苦い表情を見せながら話してくれた。



 「夢、というかここに来る直前の出来事だと思うんだ。幼い頃、母さんと手を繋いで逃げる夢なんだ。………刃物を持って追いかけてくる男から逃げる夢。」

 「…………そんな。」



 エルハムは声にならない悲鳴をあげそうになった。

 恐ろしい夢ならば、エルハムも見ることがある。もちろん、思い出したくない過去の出来事。それが、ミツキもあるだなんて、思いもしなかったのだ。

 それに、そんな夢を見る怖さも、刃物を持った男に襲われる恐怖も、エルハムは知っている。

 過去にコメットに襲われた記憶が過ってきて、エルハムは体を震わせた。

 すると、ミツキはそれにすぐに気づいて、エルハムの頭をポンポンと撫でた。



 「悪い。嫌なことを思い出させたな……。もうこの話は……。」

 「ううん。聞きたい。最後まで、聞かせて。ミツキ…………。」

 「………わかった。」



 エルハムは自分の服をギュッと掴んだ。

 怖い過去を思い出すのは嫌だ。逃げ出したくなる。けれど、ミツキの話を聞きたかった。彼がずっと話さずにいた事を、エルハムに話そうとしてくれた。それには意味があるのだとエルハムは思った。

 それに、自分から過去の事を話そうとしなかったミツキが教えてくれたのだ。エルハムは嬉しい気持ちもあった。



 「子どもだった俺は、母さんについていくのに必死で。その後、足がもつれて転んでしまうんだ。そこに男が来て刺されそうになったのを母さんが庇ってくれた。そして、逃げろと言われたんだ。けど、目の前にいる男が怖くて動くことが出来なかった………。そのまま、その男に斬られて倒れた。その後も刺されて苦痛で意識を失って。そして次に目覚めた時には、この国の森で倒れていたんだ。」



 エルハムは自分で彼に話しを頼んでおきながら、途中から言葉を聞くのが怖くなってしまった。狂気に満ちた相手から襲われる絶望と怖さ。想像するだけでも、震えてしまいそうだった。それを幼い頃のミツキは体験し、傷まで負っているのだ。

 エルハムは、それを考えるだけで涙が溢れてきてしまいそうになった。



 「その夢を最近よく見るんだ。特に眠りが浅い時に。だから、この時間に寝たら………って、何でお前が泣いてるんだ?」

 「だって………そんな事があったなんて悲しすぎる………。」

  


 エルハムは我慢していた涙が溢れ出てしまった。自分の過去を思い出したからではなかった。ミツキがとても辛く苦しそうに話す姿と、出会ったばかりの幼かったミツキに、想像もしなかった事が起こっていたのが、悲しくなってしまったからだった。


 エルハムは、「ごめんなさい……。」と呟きながら、目の下や頬などに流れ落ちる涙を手拭いていると、ミツキはそれを見て困ったように微笑んだ。



 「おまえは本当に泣き虫だな。」


 

 そう言いながら、頬の涙を拭き取るようにミツキは優しく指で触れた。その手がとても温かくて、ミツキは泣き顔のままミツキを見つめ返した。



 「ニホンに戻るのは確かに怖いよ。ここに来たのは、俺を助けてくれたのだとも思う。………日本では、何もかも終わってしまっていて、そして俺は置いてかれているのかもしれない。昔のあの世界はないのかもしれない。」

 「ミツキ………。」

 「でも、確かめたい事もあるんだ。それに、守りたかった人も……まだ、居るかもしれない。」

 「………ミツキは戻りたいんだね。」

 「………そうなのかもしれないな………。」



 頬に優しく触れていた指が離れた。そして、ミツキの視線も自然と逸れていく。

 それを感じて、エルハムは先程のは違った涙の粒が頬のなぞった。


 けれど、それを拭ってくれる人はいなかった。







 ミツキが部屋を出て行き、エルハムはベットに横になってみたが、全く寝れなかった。

 原因はもちろん、ミツキの話を聞いたせいだった。


 元の世界で襲われた事。それも十分に衝撃だった。彼にそんな過去があったとは思いもしなかったのだ。

 そんな彼を専属護衛にしてしまったのは、彼にとって酷な事だったのかもしれないとまで思った。けれど、守りたいから、強くなりたいと言った彼の言葉をエルハムはしっかりと覚えていた。それに、今まで騎士団にも入り警備や訓練をしてくれていたのだから、きっと大丈夫なはずだとエルハムは思いたかった。




 そして、ミツキのニホンに帰りたいという言葉は、エルハムをどん底に突き落とした。

 ミツキはいつかいなくなってしまう。その事が信じられなかったのだ。


 彼への想いが好きだと気づいたばかりだと言うのに、こんなに切ない事があるだろうかと、エルハムはベットで独り泣き続けた。


 

 「やっぱりミツキには大切な人がいるのかな………。」



 守りたい人とは、彼の大切な人。

 エルハムの専属護衛になって守ってくれていたのは、ただの仕事であり、強くなる理由は別の人のためだったのだとわかると、エルハムは誰かもわからない相手に嫉妬をした。


 今は誰よりも近くにいるのは自分のはずなのに、彼の想いは遠い所にある。

 幼い頃から、彼がどこかに行ってしまうかもしれない事も、元の国にミツキが大切にしてきた人達がいる事も知っていたはずなのに。

 そして、ニホンへの手掛かりの本を彼に渡した時も覚悟したはずだった。


 それなのに、何故涙が出てしまうのだろうか。


 ミツキがいなくなるかもしれない事は、わかりきっていた事。

 今更何を悲しむのだろうか。

 きっと、周りの人はそう思うはずだ。。


 けれど、エルハムにとって傍にミツキが居る事が当たり前で、それが幸せだった。


 彼の傍だといつも自然に笑えた。

 一国の姫という扱いではない、一人の女として見てくれているのはミツキだけだったのだ。

 それがとても嬉しくて、心地よくて、エルハムはミツキといる時間が何よりも好きだった。


 剣術を教える真剣な表情。

 コメットと戦う勇ましい表情。

 困ったように微笑む表情。

 優しく見つめながら頭を撫でてくれる、ほんわかとした表情。


 全てが愛しかった。




 「どこにも行かないでよ………ミツキ。」



 エルハムは、ベットで体を丸めながら、止まらない涙を流し続けた。

 この日は全く眠ることなど出来ず、エルハムはミツキを思い続けたのだった。





 

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