第33話「恋という文字」






   第33話「恋という文字」





 「おはようございます。」

 「…………おはよう、ミツキ。」



 起こしに来てくれたミツキに対して、エルハムはぎこちない笑顔と共に言葉を返した。

 すると、同じような表情でミツキはエルハムを見ていたが、エルハムは彼を見ることは出来ずすぐに視線を逸らしてしまう。





 伝記を読んでから数日。

 エルハムとミツキは、ぎくしゃくした雰囲気に包まれる日が続いていた。

 原因は、エルハムにあるのだが、エルハムの態度の変化に気づいたミツキも、少し表情が固くなっていた。彼が普段通りに接してくれるのはとてもありがたかったけれど、エルハム自信が彼と普通に話す事が出来なかった。



 エルハムの周りの人も心配をしてくれていた。

 エルハムが元気がない事を、父やセリム、セイなどが気にかけてくれていた。

 けれど、話す事など出来ずに「大丈夫よ。」と言うだけだった。他の人が気がつくほど、気持ちが出でしまっている事を反省するけれど、それを直す事は出来なかった。




 「ミツキ………明日の明朝にチャロアイト国に行こうと思っているの。」



 ミツキが護衛終了の報告に来た時、エルハムはそう伝えた。

 明日の公務の予定もなく、またセイにも私証を借りてこれたため、チャロアイト国に行けると判断したのだ。

 ミツキに言わずに1人で行く事も考えた。けれど、また彼に心配を掛けてしまうのも申し訳なかったのだ。


 それに、ぎくしゃくしたとしても、彼が違う世界へ帰ってしまうのであれば、それまでは近くにいたいと思ってしまったのだった。



 「おまえ、大丈夫なのか?」

 「うん。私の準備は特に問題ないよ。」

 「………そうじゃなくて………。」

 


 ミツキは、小さな声で何かを呟いていたけれど、それをエルハムに教えることはなかった。



 「どうしたの?」

 「………何でもない。俺も明日の朝は時間あるからトンネル付近まで護衛する。城下町を出た森で待ってる。」

 「わかったわ。」



 ミツキと少し打ち合わせをした後、明日は早くなるので2人に休む事になった。






 この日も夜中になっても眠れる事はなかったエルハムは、ベットから起き上がりミツキといつも座っている椅子に座り、棚から出してきた箱をテーブルに置いた。

 そこから取り出したのは、沢山の紙だった。


 ミツキに教えてもらいながら練習した日本語がびっしりと書かれている紙だ。

 もう十数年も教えてもらっているのだ。紙の束も結構な量になっている。


 エルハムは、懐かしさを覚えながらその紙を1枚1枚取りだし眺めた。



 「初めは、平仮名さえうまく覚えられなかったなぁー。あ、これはミツキの名前を漢字にしたものだわ。画数が多くて覚えられなかったわ。」

 

 エルハムは、ミツキが見本にと書いた「光樹」という文字を指で触れた。

 整った凛とした字体だった。漢字はどんな書き方が美しいのかはわからない。けれど、エルハムはミツキが書く漢字がとても好きだった。



 そんな事を思いながら、次々と紙を眺めていく。

 すると、エルハムがドキッとしてしまう文字が目に入ったのだ。



 「これって…………ずっと前に教えて貰った物だわ。」

 


 エルハムはゆっくりとその紙を持ち上げて、懐かしい想いでそれを見つめた。ミツキに教えて貰った当時の事を、エルハムは今でも鮮明に思い出せた。


 と言っても、昔すぎる事もない。

 エルハムはその時の緊張を今でも覚えていた。





 エルハムはどうしても知りたい言葉があったのだ。いつも、聞こうと思っては恥ずかしくて止めてしまっていた。

 けれど、その日は絶対に聞こうと心に決めていたのだ。



 「どうしたんだ?今日は随分集中してないみたいだな。体調悪いなら止めるか?」

 「え、違うわよ!?そんな事はないの………ただ。」

 「……ただ?」



 その時のミツキは、不思議そうにエルハムの顔を覗き込んでいた。そんな彼の行動が、さらにエルハムをドキドキさせるとはわかっていなかったのだろう。

 エルハムは口ごもり、何度か諦めようとしたが、ミツキは返事を待っていたため、エルハムはやっとの思いで考えていた事を口にした。



 「『あいしてる』、という漢字を教えて欲しいの。」

 「………あぁ。だから照れてたのか。」

 「だって、何となく恥ずかしいじゃない。」

 「そうなのか?………『あいしてる』は………。」



 そう言って、ペンにインクをつけて、ミツキは丁寧に文字を書いていく。

 ミツキはとてもゆっくりと時間をかけて字を書いてくれる。漢字を教えるときは特にそうだった。

 ミツキが書いていく文字を、エルハムはまじまじと見つめた。

 細かい線を丁寧に書いていく。

 そして、出来上がった文字を見せた。



 「『恋』って漢字だ。」

 「ありがとう…………。」

 


 エルハムはその文字を見つめたままボーッとしてしまった。

 それを見て、ミツキは「どうしたんだ?」と、聞いてくる。エルハムは、ハッとした様子で、ミツキを見た。



 「ごめんなさい。……なんだか、とてもしっくりくると言うか。この漢字を知らなくても、『こい』ってわかるって感じたの。不思議だけど………。この漢字はとても素敵ね。好きになったわ。」



 エルハムは愛おしい気持ちで、ミツキの書いた文字を見つめた。

 何故かわからないが、この文字を見たことがあるような、「恋」という字だとわかるような気がしたのだ。

 どうしてエルハムは漢字に惹かれているのか。それは、この漢字に出会うためではないかと思ってしまうほどだった。


 エルハムが夢中になっていると、ミツキは微笑みながらまた新しいことを教えてくれた。



 「この漢字に『愛、してる』と書くと「あいしてる」になるし、『愛、しい』と書くと『いとしい』になる。」

 「………そうなの。ますます素敵ね。」

 「そんなに気に入ったのか?」

 「えぇ!」

 「なら、書くのを練習しないとな。」

 「そうするわ。」



 エルハムはその言葉を聞いて、急いでペンを持ちミツキの書いた「恋」を真似して書き始めたのだ。




 

 そんな昔の事を思い出して、エルハムは微笑んだ。

 ミツキが書いた漢字の下には、エルハムの書いた歪な「恋」の文字。

 何回書いてもバランスが悪い気がして、エルハムは悔しく何度も書き続けのだった。

 そんな事さえも懐かしくて、エルハムはその紙を抱き締めた。



 「愛しているは、ミツキ………。」

 

 

 明日はチャロアイトの行き、本の続きを読める日だ。

 もしかしたら、そこには日本に戻る方法が書かれているかもしれないのだ。





 ミツキとの時間が終わる。

 そのカウントダウンが近づいているのだと、エルハムは少しずつ感じてきてしまう。



 「あんな本………出会わなきゃよかった。」



 そう呟いた自分の声を聞いて、エルハムは大きくため息をついた。





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