第34話「雨音と涙」
第34話「雨音と涙」
今日はあいにくの雨。
明朝でもどんよりとした暗い日だった。
エルハムは古びた馬車の中で一人蹲っていた。御者をしているのはもちろんミツキだった。
雨に濡れず、そして正体がバレないようにするには、丁度いいとミツキがどこから準備したものだった。所々穴が空いている布でできた屋根からは、ポツポツと雨水が落ちてくる。デコボコした山道をすすむため、ゴトゴトと床が揺れた。その度に、エルハムの体も大きく揺らぐ。けれど、エルハムは呆然としてしたためまったく気にならなかった。
考えるのはもちろん、ミツキの事だ。
帰って欲しくない。傍に居てほしい。帰らないで。
そう思いながらも、彼の願いを叶えてあげたい。ミツキの幸せが日本にあるのなら、自分の気持ちを我慢するべきだ。
けれど………。
そんな考えを頭の中で考えていたけれど、結論は出なかった。
「エルハム。もう少しでトンネルに着く。少し森の中に入るぞ。」
「………うん。」
布越しにミツキに声を掛けられ、エルハムはハッとなり頭を上げた。
「ボーッとしてはダメよ。今からチャロアイトに行くんだから。しっかりしなくては………。」
エルハムはミツキに聞こえない程度の小声でそう呟き、身なりを整え、バックを掴んだ。今回もセイの洋服と私証を借りてきている。
帰りの服は、馬車の中に隠して入れてある。
バックの中身を確認していると、馬が止まった。小さい馬車が隠れるところを見つけたのだろう。すると、ミツキが表から「エルハム、入るぞ。」と声を掛けてきた。
返事をすると、私服のミツキが入って来た。灰色のトップスに、黒のズボン。そして、頭には帽子を被っていた。黒髪が目立つのを考慮してだろう。見慣れた騎士団の正装ではないため、エルハムはドキッとしてしまう。だぼっとしたシャツに細身ズボン。それがとても良く似合っており、エルハムは胸が高鳴っていた。
「準備出来たか?」
「うん。もう行けるよ。」
「わかった。俺はここで待ってるから。………あっちで何か気になる事があったらすぐに戻ってくるんだぞ。」
「大丈夫よ。ちゃんと本を借りてこれるわ。」
「俺が心配なんだ。無理はするなよ。」
ミツキは真剣な表情でエルハムに言い聞かせるようにそう言うと、いつものようにエルハムの頭をポンポンと撫でた。
そして、その感触と暖かさがすぐに離れてしまう。
どうして、そんなに優しい言葉を掛けてくれるのか。優しく触れてくれるのだろうか。
いつか帰ってしまう場所がいるのに。
それなら、優しくされない方がよかった。
でも、優しくしてくれるなら………帰らないでここに居て。
ずっと、隣で微笑んでいて欲しい。
そう思うと、エルハムは自然と体が動いていた。
エルハムは、両手を伸ばしミツキに抱きついたのだ。
屈んでいたミツキに抱きつくように、腕を伸ばして彼の背中を掴んだ。
「……………。」
「え、…………エルハム?」
ミツキは戸惑い、体を固めたまま動けずにいた。彼の表情を見なくてもわかる。ミツキが困っていると。
けれど、エルハムは抱きついた腕を緩める事は出来なかった。
彼が愛しくて、大好きな気持ちが止まらなくなってしまった。
エルハムは、彼の体温や香りを感じると、いつもは幸せな気持ちになるのに、今はとても切なくなるばかりだった。彼を感じながら、エルハムは気持ちにのまれてしまい、目から涙が溢れでた。
流した涙が、ミツキの洋服を濡らしていく。
ミツキもエルハムが泣いているのに気づき、エルハムの肩に手を置いた。
「どうしたんだ?………どこか痛いのか?」
「……………。」
ミツキがエルハムの体を離し、顔を覗き込んでくる。エルハムは涙を流した瞳のまま、心配そうに自分を見つめるミツキを見つめた。
いつも自分は彼をこんな表情にしか出来ない。笑っていて欲しいのに、彼を困られてばかりだ。
そんな風に思いながらも、久しぶりしっかりと見るミツキの顔。最近はぎくしゃくしてしまい、なかなか視線を合わせられず、寂しい思いをしていたのだ。
間近で彼を見つめるだけで、エルハムの心は高鳴り、ミツキに近づきたいと思ってしまう。
帰ってしまうならば、彼に自分の気持ちを伝えてしまおう。
伝えないで終わってしまい、後悔するよりはいいだろう。
どうせ叶わない、切ない恋なのだから。
エルハムはミツキにゆっくりと近づいた。
そして、ふわりと軽い触れるだけのキスを彼の唇に落とした。
ミツキは、何が起こったのかわからない様子で、ただ驚いた表情をしている。
雨足が強まったのか、天井を叩く雨音が馬車の中を支配していた。
それ以外は聞こえない。2人が見つめる時間は長いように感じたけれど、一瞬だったのかもしれない。
沈黙を打ち消したのは、エルハムだった。
「………居なくならないで。」
「…………エルハム………。」
「お願い、私を残して帰らないで。………ミツキ、お願い。」
「…………。」
エルハムはボロボロと涙を流し、ミツキの腕に掴まりながら、懇願するように彼に強く言葉を伝えた。
泣いて引き留めるなんて最低だとわかっている。
けれど、これが自分の1番の願いだとわかった時から想いを止められなかった。
「………あなたが好き。」
「……………ぇ………。」
「私、ミツキが好き。………ずっと一緒に居てほしい。離れないで、抱き締めていて欲しい。…………大好きなの………。」
「………エルハム………俺は、ただの護衛だ。おまえは姫で………。」
戸惑った様子で言うミツキに、エルハムは首を横に振って答えた。
「仕方がないじゃない。………好きになってしまったんだもの。」
「……………。」
エルハムは涙を流しながら、ミツキを見つめた。
けれど、ミツキは戸惑い、迷った様子でエルハムから目を逸らした。
それを見た瞬間。
エルハムは、頭が真っ白になった。
あぁ、ミツキはやはり日本に帰りたいのだ。
こんな小さな一国の姫で、仕事として優しくした相手に急に想いを伝えられても、迷惑なだけなのだ。
待っている人がいる日本に帰りたいに決まっている。望んでこのシトロンに来たわけではないのだから。
彼の気持ちを感じ、エルハムは彼からすぐに体を離した。
「………ごめんなさい。」
「…………エルハム?」
「急にこんな事言ってしまって………どうかしてたわ。」
「おい………待っ………。」
手を伸ばしたミツキを避けるように、エルハムは立ち上がり置いてあった鞄を持った。
「……行ってくるわ。」
「っっ!………エルハムっ!」
エルハムは彼の声から逃げるように馬車から飛び降り、雨の中を走った。
ここでミツキが出てくれば、エルハムの正体がバレてしまう危険がある。
ミツキが追ってくるはずもないとエルハムはわかっていたけれど、必死にバックを抱き締めながらトンネルまで走った。
しばらく走りトンネルに着く頃には、全身がずぶ濡れになっていた。
洋服がべったりと肌に着いて不快だったけれど、エルハムは安心していた。
これで、泣いている事など誰にもバレない。そう思ったのだ。
トンネルは雨のせいか人が少なかった。
エルハムは濡れた手で目を擦った。
「…………ミツキのばか。」
エルハムは濡れた手で目を擦りながら、そう呟いた。
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