第35話「強い視線」






   第35話「強い視線」



 エルハムがトンネルを抜けると、そこは明るい太陽の日差しがあり、さきほどまでの雨が嘘のような天気だった。

 雨で全身が濡れてしまったエルハムを、チャロアイトの門番や通行人は怪訝そうな目で見ていた。エルハムは自分が目立ってしまうのに困惑して、頭から布を被ってその場を凌いだ。 



 門番は前回と同じ男だったため、今回はすんなりと通る事が出来た。エルハムはホッとしながらすぐにその場を離れた。

 ずぶ濡れのエルハムを見て、皆驚いたり、ジロジロと見ていたけれど、エルハムは気にせずに急いで図書館に向かった。


 早くシトロンに帰らなければならない。

 そんな思いで走っていたけれど、エルハムはすぐに止まってしまった。

 チャロアイトからシトロンに戻ったら、ミツキが待っているのだ。

 先程、告白して勝手にキスまでしてしまった、大好きな人。

 


 「どんな顔をして会えばいいの………。」



 自分のした事に今さらながら後悔をしてしまい、エルハムは大きくため息をついた。

 

 こんな時にミツキに想いを伝えてしまったのだろうか。いくら彼が帰ってしまうかもしれないからと言って、彼の気持ちを考えもしないでキスまでしてしまったのだ。

 エルハムは今思い出すと、自分の大胆さ恥ずかしくなってしまう。

 けれど、それと同時にミツキの戸惑った顔も頭の中で再生される。

 ミツキは自分に突然告白され、キスまでされて嬉しくなかったのだとエルハムは思った。



 「当たり前だよね。……好きでもない人にキスされるなんて、嫌よね。」



 エルハムはまた、大きくため息をついてトボトボと重たい足を引きずるようにゆっくりと歩き始めた。



 「………ミツキに嫌われただろうな……。」



 洋服の下にあるお守りを握りしめながら、エルハムは悲しげに呟いたのだった。




 

 エルハムは憂鬱な気持ちのまま、図書館の古びたドアを開けた。

 そして、入ってすぐにある本の返却カウンターへと向かった。



 「これ、返却お願いします。」

 「はい………。って、あなたずぶ濡れじゃない!どうしたの?」



 驚いた声をあげたのは、以前図書館の利用方法を詳しく教えてくれた女の司書さんだった。

 エルハムや、持っていた本が濡れていることに驚いた様子だった。



 「すみません。シトロンは大雨でして………来る途中に濡れちゃいました。」

 「その格好じゃ、図書館に入れないわ。他の本も濡れてしまうもの。…………あなた、外に出て頂戴。」

 「え………でも、私、どうしても借りなければいけない本があって。」

 「いいから!」



 その司書は、エルハムの腕を掴みズンズンと歩いて行く。引きずられるように、エルハムは図書館の外に出るしか出来なかった。

 無理矢理帰されてしまったらどうしようと、エルハムは焦ってしまった。服を買って着替えれば入れるだろうか。けれど、それでエルハムの正体がバレてしまうのも避けたい。

 そんな事を考えていると、司書は図書館から出ると、エルハムの手を離した。



 「あの、服が乾くまで待っててもいいですか?」

 「そんな事しなくても大丈夫よ。ほら、そこに立ってて。」

 「え………?」



 エルハムが不思議に思い、司書の女性に話しを掛けようとした時だった。

 女性の右手が光り始めたのだ。

 それが魔法だとすぐにわかり、エルハムは戸惑った。彼女が何故魔法を使い始めるのかわからなかったのだ。


 そして、彼女の腕が伸び、手のひらがエルハムの方へと向けられて。

 エルハムは咄嗟に目を瞑った。




 「ドライ。」



 彼女が小さな声でそう呟いた瞬間、伸ばした手のひらから、光とともに風が吹いた。それがエルハムの回りをぐるぐると回り始めたのだ。

 


 「えっ……なんですか、これっ!?」



 髪や服が風でバタバタとなびく。けれど、その風は暖かく心地いいものだった。持っていた本が飛ばされないようにエルハムは胸に抱き締めていた。

 しばらくの間、その風に吹かれながらエルハムはただ立っている事しか出来なかった。ゆっくりが温風が止んでくる。



 「よし!これで大丈夫ね。」

 「あの、何でそんな………あれ?乾いてる。」



 自分の変かに気づいたエルハムは、驚きの声を上げた。あんなに濡れていた洋服や髪、そして本がしっかりと乾き、元通りになっていたのだ。



 「私の風魔法よ。濡れたままでは本に触れないでしょ。」

 「魔法……見たことはありましたけど、実際に肌で感じたことはなくて。すごいですね!」

 「あぁ。あなたは他の国から来たんだもんね。それは珍しいでしょうけど……こんな小さな魔法はそんなにすごくもないわよ。」

 「そうなんですか?……とても素敵なのに。」


 エルハムは先程の温かい風を思い出すだけでワクワクしている。それぐらいに、司書の女性の魔法は魅力的だった。自分の思い通りに風が操れるなんて、どんなに楽しいだろうか。そんな風に思った。

 けれど、司書の女性は少し顔を歪ませながら微笑んだ。



 「もっと強力な魔法だと、人を傷つけたり殺してしまうものもあるわ。……魔法は便利だけど恐ろしいものよ。」

 「………そうなのですね。」

 「特に反政府組織のコメット達は強い力を持っているの。」

 「…………。」

 「あぁ、ごめんなさい。怖がらせてしまったわね。あなたみたいな女の子に話す事じゃなかったわね。さぁ、図書館に入りましょう。」



 彼女は申し訳なさそうに微笑みながら、図書館のドアを開けてくれた。

 エルハムはぎこちなく笑顔を返し、彼女の後に続いた。


 カウンターで本を返し、前回と同じように魔法の椅子に乗って、目的の本がある棚まで連れていって貰う。

 その間、ゆらゆらと揺られながらエルハムは先程の司書の話しを思い出していた。

 セイのお店や城を襲撃したコメットは、ミツキが戦っても簡単には倒せない相手だった。しかし、相手が魔法を使えるとなるとチャロアイトで襲われた場合は、更に強い相手になっているという事だ。そう考えると、エルハムは体がぶるぶるっと震えた。

 やはり狙われている自分が、今この時にチャロアイトに居ることは危険なのだと改めて感じた。

 エルハムは、早く本を借りてしまい、すぐにチャロアイトを出ようと思った。


 ゆっくりと上へ上へと上昇する椅子が、やっとの事で目的の棚に到着した。そして、棚の1ヶ所がぼんやりと光り、目的の伝記の続きをすぐに見つけることが出来た。



 「今度は2巻ね………。あれ?3巻がない………。誰かが借りたのかしら。」



 前回来た時は、全3巻が揃っていた。けれど、今は近くの棚を見ても2巻しかないのだ。

 1巻は先程エルハムが返却したばかりなので、ここにはないのだろう。

 しかし、3巻がないのは不思議だった。

 どうして、急に途中の巻を借りていくのか……。


 理由を考えながらもエルハムが2巻を手に取った瞬間。



 「……………っっ。」



 エルハムは、突然誰かの強い視線を感じたのだ。見られていると感じた瞬間に、体が震え、寒気がしてくるほどに強い視線だった。

 どこから見られているのかはわからない。

 けれど、それを確認する勇気はエルハムにはなかった。



 3巻の事はとても気になる。

 けれど、今は考えている余裕がないとわかると、エルハムは魔法の椅子に急いで「受け付けまで戻して。」と呟いた。

 ゆっくりと降りていく魔法の椅子。前は怖いのあり丁度いいと思っていたけれど、今はもっとスピードを出して欲しいと思ってしまった。

 椅子に座っている間、エルハムは本を抱き締めたまま俯いているしか出来なかった。


 地上に降りても、その視線を感じられたのでエルハムは急いで借りる手続きをしてから、司書に簡単にお礼を言って図書館を出た。



 図書館を振り返る事なく足早にその場から離れた。

 しばらくチャロアイト国の人通りが多い道を歩いていると、フッとあの強い視線を感じなくなった。

 エルハムはそこでようやく周りを確認する事が出来た。キョロキョロと辺りを見てみるけれど、もちろん怪しい人など見つけられるはずもなかった。

 エルハムは、自分が持っている本が揺れているのに気づいた。そして、それをよく見ると、エルハムの手が震えていたのだ。そして、ドクドクと鼓動も早くなっている。

 自分がこんなにも恐怖を感じていたのだと、エルハムはこの時初めてわかった。

 ゆっくりと深呼吸をして、セイの服の下に隠してあるお守りを握りしめる。

 ミツキから貰ったニホンのお守り。



 「大丈夫……あの視線は気のせいよ。コメットの話しをしたから変に意識しただけ。」



 エルハムは自分にそう言い聞かせるように独り呟いてから、小走りにチャロアイトの門番のいる場所へと急いだ。


 私証を見せ、シトロンに繋がるトンネルを歩きエルハムはミツキが待っている場所へと急いだ。

 急いでいるつもりだった。


 けれど、少しずつ足取りが重くなってきてしまう。先程チャロアイトに入った時と同じだった。

 自分から彼に告白して、キスまでしてしまい、そして彼の気持ちを聞くこともなく逃げてきたのだから、仕方がない。


 ミツキに会いたいけれど今は会いにくい。

 そんな風に思ってしまった。

 

 けれど、ミツキはエルハムを待ってくれているはずだ。

 自分のしてしまった事を謝り、もう一度気持ちを伝えよう。

 エルハムは心の中で決心をして、ぼんやりと光る道を抜けた。


 シトロンは相変わらず雨が降り続いていた。

 エルハムは濡れるのも構わずに走った。もちろん、本は濡れないように大切に鞄に入っている。その鞄を胸に抱きながら、ピチャピチャと濡れた道を音を立てて走っていた。


 しばらく歩いて、エルハムは異変に気づいた。


 ミツキが用意し、彼が待っているはずの古びた馬車が見当たらないのだ。

 場所を間違えるはずはないが、森の中だ。もしかしたら、勘違いをしたのかもしれない。そう思い直して、エルハムは周囲を歩いた。

 けれど、ミツキも馬車もそこにはなかった。




 「ミツキ………どこに行ってしまったの………。」



 エルハムの震える声は、雨音に消えてしまった。





 

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