第18話「ぎくしゃく」






   第18話「ぎくしゃく」




 ゆらりゆらりと体が揺れていた。

 ほのかに温かく、ゆりかごのような揺れもあるので、エルハムはうとうとし、そのまま熟睡してしまいそうだった。

 昔もこんな感覚をよく体感していたのを思い出した。まだエルハムが小さい頃。よくおんぶをしてくれる人がいた。


 「………セリム……。」


 城下町へ遊びに行き、その途中に眠くなったエルハムを年上だったセリムはおんぶをして城まで連れ帰ってくれたのだ。

 エルハムは懐かしくなり、その当時の気分になり名前を呼んでしまう。

 もちろん、返事などあるはずはない。

 これは夢であり、過去の記憶なのだから。



 朦朧とした頭で自分がどこにいるのかを考えると、セイの部屋の前で裁縫をしていたのを思い出したのだ。針を使っての刺繍の作業だ。寝てしまっては危ないし、部屋の前で寝てしまってはセイにも、使用人や騎士団員にも迷惑だと思い、眠い瞼をゆっくりと開けた。


 すると、思いもよらないモノが目に飛び込んできたのだ。

 少し日焼けした肌に、黒い髪の毛。そして、エルハムが好きな真っ黒な瞳。けれど、その目はエルハムを見ることはなくただ真っ直ぐ前を向いていた。


 ミツキは、エルハムに抱き上げながら廊下を歩いていた。刺繍をしながらうとうとしてしまっていたエルハムを彼が見つけて、部屋へと運んでくれているところなのだろう。

 エルハムが目を覚ました事に気づいていないミツキを、エルハムは隠れ見てしまう。


 小さかったはずの彼は、あっという間に大きくなり、エルハムを軽々と持ち上げている。騎士団で更に鍛えられた体と、異国から来たシトロンでは珍しいミステリアスな容姿。

 性格もよく、真面目で強い彼を周りの女の子が放っておくはずがないのだ。

 きっと言い寄られる事も多いはずだ。


 そんな事を考えると、エルハムは切なくなるだけだった。

 お別れする事になる可能性は、ニホンに帰ってしまうだけではないのだと、エルハムは今さら気づいたのだった。


 ミツキを見るのが辛くなり、顔を下に背けると、ミツキはようやくエルハムが起きたことに気づいたようだった。



 「姫様。お目覚めですか。」

 「………うん。」

 「裁縫中に寝てしまうなんて、針が刺さっては大変です。お気をつけください。」

 「そうね。……ごめんなさい。」

 「それと、ニホンゴを教えるお約束をしていたので、探しました。」

 「私も探したわ。でも見つからなかったから、諦めてしまったの。」


 

 ミツキは苦笑しながら、「すみませんでした。」と笑うだけで理由は教えてはくれなかった。あの使用人とは何を話していたの?いつ仲良くなったの?そんな事を聞きたくても、聞ける事もなく、エルハムは彼の顔を見れずに視線を逸らす事しか出来なかった。



 「姫様、どうしました?………体調が悪いのですか?」

 「違うわ。何でもないの。」

 「では、何故こちらを見ないのですか?」

 「…………約束を忘れてるからよ。」

 「………ニホンゴの勉強は忘れてなど……。」

 「2人きりになったら、丁寧な言葉を使わない約束でしょう?」



 エルハムは、下から睨み付けるように彼を見つめた。けれど、自分からそんな事を言うのはだだをこねている子どものようで、恥ずかしくなり自然と顔が赤くなってしまう。


 そんなエルハムを見て、ミツキはきょとんとした後、クククッと笑ったのだ。

 


 「な、何で笑うの?」

 「…………ここは城の廊下だ。誰かに聞かれたら困るのはエルハムだろう?2人きりっていうのは、部屋に入ったときの事だと思ってた。」

 「……今みたいに小さな声で話せば、何を話しているか、誰にもわからないじゃない。」

 


 まだミツキを目を細めて睨むエルハムを宥めるように「わかった。今だけだからな。」と言って笑った。

 自分を軽々と持ち上げ、そして怒っているエルハムを余裕な様子で慰める彼は、本当に年下に見えなくて、エルハムは悔しくなってしまうのだった。







 「セイはどうだった?」



 部屋に戻り、ミツキはエルハムをベットに下ろそうとしたけれど、まだ太陽が昇っている時間だ。エルハムは、部屋に入るとすぐに彼に下ろしてもらった。本当ならば、直ぐにでも下りたいぐらいに恥ずかしかったけれど、ミツキは「ここまで来たら最後まで行きますよ。」と言って抱き上げたエルハムを離してくれなかったのだ。


 エルハムはホッとしながらも、彼のぬくもりが消え、少し寂しく感じていた。それは、昔の事を思い出していたからなのか、別の理由なのか。エルハムは、考えないようにしながら、ミツキの問いかけに答えた。



 「相変わらず、反応はないわ。言葉も足音さえも聞こえない。……大丈夫かしら?」

 「食事は少しだけど食べてるみたいだな。でも、そう簡単に心は治らないだろう。」

 「そうよね……。ゆっくり見守っていくわ。」



 エルハムはそう答えると、ミツキが持っていた裁縫セットを受け取った。

 


 「ありがとう。それ持っててくれたのよね。」

 「……あぁ。また、刺繍してるんだな。」

 「プレゼント用なんだ。」

 「…………。」



 エルハムは彼からセリムへ送るハンカチを受け取った。その時に、エルハムが指先に傷が多数あるのに気づいた。布を巻いている所もあった。


 「ミツキ……この傷どうしたの?」

 「これは……作業してる時に傷つけて。大した傷じゃない。」

 「そうなの?でも、傷に悪い物が入らないようにしないと。」

 「………大丈夫だ。」



 エルハムが彼の手に触れようとする。すると、ミツキはハッとして後ろに1歩下がってしまったのだ。

 ミツキの行動に、エルハムは驚き思わず彼の瞳を見つめてしまう。

 自分がどんな顔をしていたのかはわからない。けれど、ミツキに冗談などではなく、理由もわからないまま避けられたのは初めてだったので、エルハムは動揺し、戸惑ってしまった。

 まるで、初めてミツキに会ったときのようだと、エルハムは思い切なくなってしまったのだ。



 「………ミツキ………。」

 「わ、悪い……今日は城周辺の見回りに行く。」

 「…………わかったわ。気を付けて。」


 

 謝りながらも、気まずい様子のミツキは足早にエルハムの部屋から出ていってしまった。


 エルハムは両手を胸に当て、胸元のドレスをギュッと握りしめる。するの、自分の鼓動がドッドッと早く鳴っているのがわかった。



 「ミツキ………。私、何かしちゃったのかな……。」



 先ほど彼が出ていった扉を見つめながら、エルハムは消えそうな声でそう呟いた。






 

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