第8話「動揺と青い果実」
第8話「動揺と青い果実」
勢いよく本屋の店主に詰め寄るミツキ。
けれど、丸眼鏡の店主は眉を下げて、申し訳なさそうに口を開いた。
「申し訳ないです、エルハム様の騎士殿。ニホンという言葉を本で読んだのか、人から聞いたのか、忘れてしまったのです。……ただ珍しい言葉だったのでニホンという言葉だけは覚えていたのですが………。」
「そうですか……。」
「お役に立てず、申し訳ないです。何か思い出しましたら、すぐにお伝えいたします。」
「こちらこそ、大きな声を出してしまい、すみませんでした。よろしくお願いします。」
すぐに冷静になったミツキは、店主に深く一礼をすると、そのままエルハムの後ろに戻った。エルハムは、顔を見なくても彼が動揺しているのがわかった。
「本を見つけてくれてありがとう。お代はこちらに置いておきます。それと、少しでもいいから何か思い出したら連絡をお願いします。でも、思い出せないからと言って気に病まないでくださいね。」
「ありがとうございます。エルハム様。………今度、本をご注文の時はこちらからお城へお届けに参ります。」
「いいの。私が街を歩きたいだけだから。では、またお願い致しますね。」
エルハムがそう言うと、店主は深々とお辞儀をした。それを見て、エルハムとミツキは店を後にしたのだった。
しばらく、静かに道を歩く。
すると、持っていた本が入った袋を、ミツキが優しく持ってくれる。
「姫様に持たせてしまうなんて、申し訳ございません。」
「いいのよ。自分の事なのだし。」
「それと、先程は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。」
真っ直ぐとした姿勢のまま、ミツキは綺麗に頭を下げた。エルハムの目の前にサラサラとした艶のある黒髪がある。
きっと、下を向いている彼は複雑な心境だろう。突然異国に舞い降りた彼。ニホンに戻れないと思い10年を過ごしていたミツキに、初めてニホンの情報が入ろうとしているのだ。
焦るのも無理がない。
その情報が本当なのか、似た言葉なだけなのか、そして店主が思い出す事が出来るのか。今はまだ何もわからない。
けれど、ミツキにとっては10年にしてやっと母国を知れるチャンスが巡ってきたのだ。
彼は嬉しいに決まっている。そう、エルハムは思うと、胸がチクリと痛んだ。
それを隠すように、エルハムは彼の頭に手を伸ばして、サラサラとした黒髪を優しく撫でた。
「っっ!!……姫様、何を!?」
その感触を感じたのか、ミツキはバッと頭を上げてビックリとした表情でエルハムを見ていた。頬はほんのり赤くなっている。
それを見て、エルハムは少しだけ安心をして微笑んだ。
「頭を撫でただけよ。」
「な、何故頭を撫でるのですか。」
「………ニホンの事がわかりそうで、よかったなぁーと思って。ミツキも、嬉しいでしょ?」
頭を撫でていた手が行き場を失い、エルハムはゆっくりと自分の胸に手を当てて、その手をギュッと握りしめた。
エルハムの言葉を聞いたミツキは、少し考えた後、複雑な表情で視線を青空に向けた。
「…………嬉しいのかはわかりません。もう日本に帰れるとは思っていなかったので。10年もシトロンで暮らしていて、まだ日本に戻るのかと思うと……、正直に実感がわきません。」
「帰りたくはないの?」
「………どうなのでしょうか。でも、この国で日本の話を聞きたいとは思います。俺の他にも日本から来た人がいるのか。どうしてここに来たのか。知りたいとは思います。」
「そう。…………わかるといいわね。」
「はい。」
ミツキは、やっとエルハムの方を向いた。
その表情は、いつもの穏やかな彼に戻っており、エルハムもつられるように微笑みを返したのだった。
城への帰り道。
そこでも、エルハムは行きと同じように城下街の人々に声を掛けられていた。
「エルハム様っ!ごきげんよう。」
「あ、セイ。ごきげんよう。お久しぶりね。」
挨拶をされた中にいたのは、エルハムより背が低い赤毛の女性だった。茶色のふわりとしたワンピースに赤いエプロン姿がよく似合ってる。セイはにこやかに手を振りながら、こちらに駆け寄ってくれる。
「セイ。お元気だった?お店は順調かしら?」
「ありがとうございます。今日も沢山のおいしい果物が揃っていますよ。エルハム様、寄っていかれませんか?」
「ええ。もちろん。」
エルハムとセイは歳が近い事もあり、よく話をしている街の人の一人だった。
明るくて活発な性格も似ているせいか、エルハムは友人のように接していた。セイはエルハムが姫という事で遠慮しているようだったが、それでも気軽に声を掛けてくれるのはエルハムも嬉しいことだった。
セイの家は青果店だ。
新鮮な果物を自分達で育てたり、隣国から買い付けたりしながら店を営んでいる。セイのお店の果物はとてもおいしいため、客も多く城でもよく購入しているし、レストランなどにも出荷していると聞いたことがあった。
「今日はご両親はご不在なの?」
「え、えぇ……。今は別のところで仕事がありまして。」
「そうなの。セイが一人で店番をするなんて珍しいわね。忙しいのにすごいわね。」
セイの店はいつも客がひっきりなしに来ている。そのため、両親のどちらかが必ずいるのだが、今日はセイ一人のようだ。仕事が大変なのだなと、エルハムは彼女を感心した目で見つめながらそう言った。
けれど、セイは少しも嬉しそうにせず、戸惑っている様子だった。
「今日も綺麗な果物が沢山あるのね。」
色とりどりの果物を眺めながら、エルハムは目についた柑橘系の果物を手に取ろうとした。
「あ、エルハム様!………この新しい果物はいかがですか?今まで売ったことがないのですが、甘くておいしいのです。」
「わぁ……初めて見る物ね。海みたいに綺麗な青色……。」
セイが差し出したのは、手のひらに収まるぐらいの丸い青色をした果物だった。艶がある皮が太陽の光りを浴びてキラキラと光っている。その様子は海の水面のようだった。
あまりの美しさに、エルハムはうっとりしながら、セイからその果物を取ろうとした。
が、その果物は勢いよく弾き跳ばされて、赤と白の煉瓦道に落ちてぐちゃりと割れた。
原因は、ミツキだった。
彼がエルハムが受けとる前に、手で振り落としたのだ。
「っっ!!」
「ミ、ミツキっ!!あなた、何をしてっ……。」
「姫様、離れてください。あの果物には毒が仕込まれています。」
「えっ………。」
ミツキの言葉を聞いて、エルハムは咄嗟に地面に落ちた青い果物を見た。割れた側面から、白い果肉が見えた。けれど、ところどころ黒色に腐敗している部分があるのに気づいた。それは明らかにおかしな色だった。
「毒なんて、どうしてこの果物に………。」
「それと、そこの女。片手で隠している物を出せ。」
「な、何を言ってるのですか、ミツキ様。私は何も持っていませんし、毒だなんて……。」
ミツキは、自分の後ろにエルハムを置いた。そして、目の前のセイに向かって、鋭い視線をおくっていた。そして、口調もいつもより厳しい。
ミツキは何かを感じ取っているようだった。
「………あなたに攻撃をしたくはありません。早く訳を話してください。そうしないと、拘束することになります。」
「…………そんな……。」
「…………。」
セイは顔を真っ青にさせたままセイとエルハムを見た。体も小刻みに震えているのがよく見えた。
エルハムは何が起こったのかわからず、震え上がる彼女を見て、近づこうと手を伸ばした。
「セイ、どうしたの?……大丈夫?」
「姫様、危ないですっ。下がって……。」
ミツキの視線が、動いてしまったエルハムの方に向いた一瞬だった。
セイは、隠し持っていた短剣を持って、ミツキに切りかかったのだ。
エルハムの目の前で、ミツキの体から真っ赤な血が出る瞬間を見て、エルハムは声にならない悲鳴を上げた。
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