第9話「待ちわびる音」






   第9話「待ちわびる音」






 目の前に飛び散る真っ赤な血。

 煉瓦の道や青い果実、そしてエルハムの青色のドレスにもその赤が飛んできた。


 ミツキが防具がない腕の部分を切られたようで、そこから次々に血が流れ出ていた。



 「ミ、ミツキ………血が……。」



 エルハムは驚きと恐怖で顔を歪ませ、体が震えていた。

 けれど、ミツキは至って冷静だった。

 


 「姫様、俺は大丈夫ですので、こちらでお待ちください。」



 そう早口で伝えると、ミツキは腰に差してあった「ボクトウ」を手に取り構えた。

 「ボクトウ」とはニホンから唯一ミツキが持ってきた物だ。ケンドウで使うものであるが、稽古では使わないと彼から聞いた。相手を傷付けてしまうほどの重みがあるし、ボクトウは他に用途があるらしい。

 そう教えてくれたミツキだが、それを持って自分より小さな女性に切先(きっさき)を向けたのだ。

 それがどういう事なのか、エルハムはすぐに理解した。

 ミツキは、セイを敵だと判断したのだ。



 「先に謝っておきます。すみませんっ……。」



 その言葉を言い終わる前に、ミツキは動き出していた。腕から変わらずに血が出ている。痛くないはずはない。けれど、ミツキは睨み付ける相手に向かっていった。


 彼の動きは早かった。

 訓練を受けていないセイ相手に、油断することもなくボクトウの切先で、短剣を持っていた右手首を強く叩いた。その衝撃で、セイは「いっっ!」と低い悲鳴を上げながら、持っていた短剣を手放してしまった。

 その隙に、木刀の柄頭(つかがしら)を使ってセイの腹を強く押すと、彼女の体から一気に力がなくなり、その場に倒れ込んだのだ。



 「っっ!!セイっ!」

 「大丈夫です、姫様。気を失ってるだけです。」



 ミツキはセイの体を支えながら、そう言うけれど、何故かまだ表情は厳しかった。

 駆け寄ってきたエルハムに、「この人をお願いできますか?」と言うと、すぐに雑踏の中に消えて行ってしまった。

 これだけの騒ぎがあったのだ。セイの青果店の周りには人だかりが出来ていた。

 けれど、そんな事も気にならないぐらいに、エルハムは動転していた。


 目の前には動かずぐったりとしているセイ。

 そして、近くにはミツキを傷付けた短剣。剣先には真っ赤な血がついており、店先にも同じ血痕がテンテンと落ちていた。

 そして、ぐちゃりと落ちた青い果実。

 それを見つめて、エルハムは「ミツキ………。お願いだから無理はしないで早く戻ってきて。」と、セイを胸に抱き締めながら呟いた。



 その時だった。


 

 「皆さん、どうしました?何事ですか?」

 「あぁ、シトロン騎士団が来たぞ!」

 「よかった!姫様が大変なのよ……!」



 青果店に集まっていた人がザワザワと大きな声で誰かを呼んでいた。話の中に騎士団という言葉を聞き、エルハムは少しだけ安心した。巡回中だった騎士団員が、この人だかりを発見して見に来たのだろうと、エルハムは思った。



 「エルハム様!?」

 「エルハム姫っ!大丈夫ですか?」



 数人の騎士団員が慌てた様子で、エルハムに駆け寄ってきた。


 

 「私は大丈夫です。それより、セイ……そして、ミツキを。」

 「ミツキ?ミツキはどうしたのですか?」

 「彼は私を助けて怪我を負ったのに、また違うところへ行ってしまったの。きっと、襲った仲間を見つけんだと思うのだけど。」

 「わかりました……では、私がここ周辺を見てきましょう。」

 


 エルハムに駆け寄ってきた騎士団員の1人がそう言い、腰に差している剣の柄を握りしめながら駆け出そうとした。

 その時、エルハムが心配してならない彼の声が聞こえて来たのだ。



 「その心配はありません。今、戻りました。」

 「ミツキっ!大丈夫だったの?」

 「すみません、姫様。先程仲間と思われる不審な人物を数人見かけたのですが、見失いました。」

 「……違うわ。」

 「え………。」

 「そんな事じゃなくて、あなたの怪我よ。」



 エルハムは彼を叱るように声を上げると、持っていたバックから真っ白な生地に綺麗な刺繍がついたハンカチを取り出して、エルハムの腕の傷に押し当てた。

 すると、みるみるうちにハンカチは真っ赤に染まっていく。まだ、彼の傷の血は止まってないのだ。



 「……姫様。俺はそれぐらいの傷大丈夫です。それより、ここは危険です。また、誰かに襲われるかもしれない。」

 「………私は大丈夫よ。」



 ミツキは、心配しているエルハムよりも周りの敵を気にしている。それは騎士にとっては当たり前で、当然の事なのだろう。

 けれど、エルハムは傷ついた彼を見ていると胸が痛んだ。

 彼が傷ついてまで守ってくれるのに、自分はそれを見ているだけなのが、とても切なく苦しく感じてしまったのだ。

 この気持ちが一国の姫あるまじき思いなのだとエルハムは自分でもわかっていた。

 

 けれど、この感情は消える事はない。そうエルハムはわかっていた。




 「姫様?」



 突然黙ったまま考え込んでしまったエルハムも、ミツキは心配そうに顔を覗き込んで見つめた。

 彼と視線が合った時、エルハムはゆっくりと口を開いた。



 「あなたが守ってくれるから、私は大丈夫なんでしょう?そんなあなたが傷を負ったり、命まで危うくなったら、誰か私を守るの?」

 「………それは。」

 


 ハンカチでは押さえられなくなったミツキの血の生温い感触が、エルハムの手に伝わってきた。

 けれどわエルハムそんな事を気にする様子もなく、彼に寄り添いながら、泣きそうな瞳でミツキを見上げた。



 「お願いだから、ミツキが傷つくような無茶はしないで…………。」

 「姫様………。」




 ミツキは1度目を見開いた後、困った顔でそう言うだけで、彼は頷いてはくれなかったのだった。




 




 その後、シトロンの城にエルハム達は戻ると、すぐに謁見の広場に集まることになった。もちろん、事件の真相を王であるアオレンに報告するためだ。

 けれど、エルハムはミツキを先に手当てをするように使用人に伝えた。ミツキは、少しだけ不満そうにしていたけれど、エルハムが心配しているのを感じ、大人しく医者の所へと向かった。


 そのため、アオレンとの話はエルハムと数人の騎士団員。そして、縄で手首を縛られたセイだけだった。青い顔をして意気消沈している彼女を見るのは、エルハムもとても辛かった。

 自国の民、そして同年代の友人として親しくしてきたセイ。その彼女に剣を向けられたのはショックだったけれど、エルハムは彼女がどんな想いで剣を取ったのか。それが知りたかった。



 そんな想いでうつ向くセイを見つめていると、正面に父であるアオレン王が青いマントをなびかせながら現れた。アオレン王が視界に入ると、待っていたエルハム達は、頭を下げる。

 そしてアオレン王が、金色の装飾が豪華な椅子にゆったりと座ると、視線をエルハムとセイに向けた。その表情はいつもの優しい父とは違い、険しいものだった。それを見てか、セイが体を小さく震わせてるのが、エルハムはわかった。



 「皆、頭を上げてくれ。………自国シトロンで騒ぎがあったと聞いた。何が起こったのか、簡単には聞いているが。……さて、私の愛しき娘、エルハム。先ほどおまえが見たことを私に教えてくれ。」

 「かしこまりました、お父様。」



 エルハムはゆっくりとお辞儀をした。その時に見えたのは自分の着ているドレス。

 エルハムはライトグレーのドレスに着替えていた。ミツキの血がついた物で謁見するわけにもいかずに、着替えをしたのだ。

 

 彼の血がついたドレス。

 自分が10年前に背中を怪我した時はそれほど痛くなかったように思うのに、彼が怪我をしている姿を見ている方がエルハムは心が痛んだ。


 そんな彼の事を思い浮かべながら、エルハムは事件の発端をゆっくりと丁寧に伝えた。

 セイはそれを何も言わずにただ聞いていた。



 エルハムは、セイが何故こんな事をしてしまったのか。それも気になっていた。



 けれど、何よりもミツキが心配で仕方がなく、謁見の間の扉が開くのを今か今かと待ちわびていたのだった。





 

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