第10話「消えた言葉と枯れない涙」
第10話「消えた言葉と枯れない涙」
自分を傷つけようと襲われる。
自分の目の前で自分を守るために誰かが血を流す。
エルハムは、この2つを同時に初めて経験した。
シトロン国は平和だ。
隣国の2つの国とも今は良い関係を築いている。
そう、「今」は。
エルハムが生まれる少し前。エルハムにとっての祖父の代ではまだ争いも多かったと聞いていた。争う目的は、シトロンの良好な土地環境だった。太陽が降り注ぐ適度な気温に風。そして、雨も一ヶ月に数回は降る。その気候が通年を通して続く。
また、シトロンの島はほとんどが海に囲まれている。今は船での物を運ぶのは危険とされていてあまり行ってないが、技術が発展すれば物流も盛んになる。
そのような事から、シトロン国は他国から見れば、良好な物件なのだ。
そのため、古い歴史の中で沢山の戦いが起こったようだった。けれど、シトロン国はエルクーリ家から離れたことは1度もない。
それが奇跡とも、シトロン国に守られているとも言われていた。
けれど、エルクーリ家がいつも狙われているのは事実だ。
エルハム自身も実感していた。
そして、子どもの頃も。
エルハムは、「自分にはいつも危険が迫っている。……忘れてはいけない事なのに。」と、心の中で母を思い出していた。
「なるほど。突然、青果店の娘セイに襲われ、エルハムを守ろうとしたミツキが傷を負ったか。」
考え事をしていたエルハムの耳に、父アオレン王の声が届いた。そう、今は謁見で先ほどの事件を伝えている時なのだ。
少しの間と言えど、他の事を考えてしまった自分を叱り、エルハムはアオレンの話に集中した。
「では、セイ。」
「……………。」
「おまえはエルハムを襲おうとし、庇ったたミツキを短剣で切り、その後もミツキと争おうとした。そうなのか?」
「…………はい。」
セイは、ただ呆然と謁見の間の床を見つめたまま、小さな声で肯定の返事をした。
その声が、エルハムには重くのし掛かってくるかのように大きく聞こえた。
「………セイ。おまえは、自分の姫に危害を与えようとし、そして姫の専属護衛を傷つけたのだ。その罪がどれほど重いか、わかっているな。」
その言葉は、とても強く冷たい物だった。
セイはそれを聞いた瞬間にビクリと体を震わせて、やっとアオレンを見た。
すると、アオレン王の様子が少し変わった。
先ほどまでは、とても厳しい表情だったが、セイが顔をあげた瞬間に、自分の娘を見るように微笑みかけたのだ。
それを見て、セイは驚いたように目を見開いていた。
「………セイ。おまえは私の娘と仲良くしてくれていた。美味しい果物を両親とよく届けに来てくれた。私はおまえが生まれ時から見てきたからよくわかる。………何かあったのだな?話してくれないか?」
まるで、自分の娘であるエルハムをあやすように、アオレンはセイに語りかけた。
その優しさを、エルハムは知っていた。
国のために厳しい顔を見せることも多い父。けれども、根はとても優しく、エルハムは父に強く怒られたことはほとんどなかった。アオレンは、何かあったとしても話を聞き、気持ちを受け止めてから自分の考えを伝えてくれる。
そんな父であり、シトロン国の王であるアオレン。彼は、エルハムにとって自慢の人であった。
セイは、もしかしたらすぐに処罰されると思っていたのかもしれない。
真っ青になり震えていた彼女の顔は、すぐに変化した。
驚いたまま開いていた瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。嗚咽混じりの声が謁見の間に響いた。
エルハムも、そしてアオレン王も、セイの言葉を静かに待った。きっと、彼女は話してくれる、と信じて。
しばらくすると、セイは縛られたままの手を強く握りしめながら、ゆっくりと口を開いた。
「少し前の事です……夜中に突然見知らぬ人たちが家に押し入って来たのです。口元と頭を真っ黒な布で覆い、同じ黒のマントのようなものを着た数人の人でした。そして、持っていた剣で、両親は刺されてしまい、そのまま………。」
「な、何て事を……。」
「…………。」
あまりに悲惨な話に、エルハムは悲鳴のような声を上げてしまった。アオレン王は、真剣な目付きのままセイを見つめていた。
「私にも短剣を向けてきたのですが、私とエルハム様がよく店先などで話しているのを知っていたようで、その短剣で太ももを斬った後にこう言われたのです。「エルハムを殺したら、命とこの店は助けてやる。」と………。殺れなければ、店ごと燃やして殺してやると言われて、使っていた短剣を渡されたのです。……それから、ずっと私を見張っている黒い服の人が店の周りを彷徨くようになったのです。」
「………セイ。そんな事があったなんて……。」
ボロボロと涙を溢すセイは、縄で繋がった手で涙を拭きながら話を続けた。
両親を殺され、自分も傷ついたのだ。
話しているだけでも彼女の心の傷はますます大きくなってしまいそうで、エルハムは話をするのを止めさせたかった。
けれど、アオレン王はまだ彼女が何かを伝えようとしているのがわかり、無言のまま優しい瞳でセイを見つめていた。
「それから、数日後に、一人の黒い男がやってきたのです。たぶん、両親を殺した男だと思います。その人が青い果実を私に渡して、次にエルハムがこの店に来た時に殺さなければ、おまえを生かしてはおけない。毒入りの果実を渡しておく。明日、エルハムは街に来る予定だから実行するようにと言われました。だから、私は…………。」
震える声でそう話した後、セイは少し離れた所に立っていたエルハムの方を向いて、膝をついて頭を深く下げた。
それは、シトロン国や隣国では首を差し出す意味を持つ謝罪の方法だった。深く頭を下げ、首の後ろをさらけ出して、いつでも剣で切られるように、という意味があるのだ。
その格好のまま、セイは震える体と声でエルハムに謝罪の言葉を口にした。
「両親が死に、自分の命と命と同じぐらい大切な店を守るためとはいえ、エルハム様を襲ってしまったという事は、黒服の人たちと同じ事です。いつも優しくしてくださったエルハム様にご恩を返すどころか、傷つけてしまうところでした。そして、ミツキ様には本当に傷つけてしまった。………私は許されないことをしました。どんな罰も謹んでお受けします。」
そこまで言うと、真っ赤になった目と頬のまま、セイは顔だけを上げた。そして、とても悲しい顔でエルハムを見つめた。
「エルハム様、本当に申し訳ございませんでした。」
「セイ…………。私は………。」
エルハムは泣いている彼女に何と声を掛ければいいのか。わからないまま、開いたままの口は、ゆっくりと閉じていくだけだった。
セイは、脅されてエルハムやミツキを襲ったのだ。両親を目の前で殺され、そして自分自身も傷つけられ、エルハムを殺さなければ自分も殺されると言われた。
誰にも相談する事もできず、一人で悩み苦しみ、そして死に怯えていた。
彼女には何の悪さもない。
エルハムはそう思っていた。
けれど、エルハムは一国の姫なのだ。
姫を奇襲し傷つけようとした。その罪はとても大きく、何の罰を与えずに終わらせていいのか。エルハムにはわからなかった。
「大丈夫よ。気にしないで。」「両親がなくなって辛かったわね。」そんな言葉を掛ければいいのだとわかっていた。けれど、セイを見るとどの言葉もちっぽけに思え、そして、彼女を、再び笑顔にする事など出来ないのではないか。
そう思ってしまうのだった。
何も言えなくなったエルハムの代わりに、アオレン王がゆっくりとセイに声を掛けた。
その声は堂々としていたけれど、とても慈愛に満ちた物だった。
「それでは、セイ。おまえに罰を与えよう。しばらくの間、青果店を休業する事。そして、その代わりにこの城での仕事を努める事。以上である。………それでいいな、セイ。」
「っっ!!……………ありがとうございます。本当にありがとうございます。アオレン王様、エルハム様。」
セイは肩の力がすっと抜け、安心した表情を見せながらもボロボロと涙を溢して頭を下げた。
アオレン王は、セイを城で守り、罪は城で仕事をする事とし彼女を守ったのだった。
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