第7話「日常とざわつく心」
第7話「日常とざわつく心」
コンコン。
静かな朝に、部屋の扉を叩く音が響く。
いつもならば、エルハムはその音で目覚めていた。けれど、この日は少し前に起きており、すでにベットから出て、着替えをしていた。
「はい。どうぞ。」
「……失礼致します。おはようございます。姫様、今日はお目覚めが早いですね。何かありましたか?」
「おはよう、ミツキ。何もないわよ。ただ、懐かしい夢を見ていたから起きていただけ。」
「懐かしい夢?」
その質問にエルハムが「ええ。」と頷き、部屋の端にある小さな収納棚の上を見つめた。そのには、細かな装飾と透明に光る宝石が散りばめられているティアラが置いてある。
それは、いつもそこに置かれてあり、エルハムによって大切にされてきたものだった。
「……お母様の夢よ。あのティアラは、お母様が結婚式の時に使われたものなの。」
「………そうでしたか。姫様、体調は大丈夫ですか?」
「えぇ。大丈夫よ、ミツキ。ありがとう。」
エルハムの母である王妃について話をすると、ミツキは少し戸惑い、そして心配そうな目でエルは目を見つめる。
ミツキは知っているのだ。
エルハムが母の夢を見た時は、体調が悪くなったり、気分が悪くなる事がある事を。
「今日、街に行くのは違う日にしますか?」
「本当に大丈夫なの。今日は良い夢の方だったから。それに楽しみにしていたのだから、街に行くの中止にされると、そちらの方が悲しいわ。」
「……わかりました。」
ミツキはまだ心配そうにしていたけれど、エルハムがニッコリと微笑みかけると、それにつられるように、少しだけ口元を緩めてくれた。
普段、ミツキは笑顔を見せない。
城の仕事をしている時や騎士団にいる時は、いつも真面目な顔で、仕事をこなしていたのだ。それを誠意があっと良いと判断される事もあればの「怖い」と言われる事もあるようだ。けれど、彼が優しいことを知っている世話係の女性たちからは人気があるようだった。
けれど、そんな仏頂面な彼だが、エルハムの前だけは違っていた。
エルハムと一緒の時は素の微笑みを見せていたのだ。まだ、満面の笑みとはまではいかないが、それでも楽しそうに笑っているのが普通だった。
そのため、ミツキの笑顔を見たことがない人達にとって、それは貴重であるようだった。
エルハムは彼に、「みんなにも笑いかければいいのに。」と言った事もあったけれど、ミツキには「笑いたいときに笑うだけです。」と言われてしまった。
それは自分といる時は楽しんでくれているという事だと知ると、エルハムは自分が特別に思えて嬉しくなってしまい、頬を染めたのはミツキには内緒だった。
それ以来、エルハムはそんな事を言うのを止めたのだった。
朝食後に、エルハムとミツキは城下街に来ていた。城から出てすぐの大きな道、赤と白の煉瓦道だった。その両脇には色々な店が並んでいた。同じような煉瓦で出来た家の中が店になっていたり、露店であったりと、店のあり方は様々だった。
その中を、水色の無地のドレスを着たエルハムと騎士団の正装に身を包んだミツキが足を進めた。
すると、エルハムが歩き始めるとすぐに、沢山の人に声を掛けられる。
「エルハム様!おはようございます。今日も来てくださったのですね。」
「おはようございます。ええ、お邪魔しております。今日もお客さんがいっぱいですね。」
「お姫様、今日もキレイだね。」
「ありがとうございます。お店のお花、とっても美しいですね。どれがおすすめでしょうか?」
「エルハム様。」
「姫様!」
こんなように、行く先々で挨拶を交わしながら、エルハムは街を楽しく歩いていた。
こうやって国の人々の笑顔が見られる。自分と話す事で、こんなにも笑ってくれるのだ。
エルハムは、だからこそいつも城の外へ出掛けるようにしていた。母が言っていた言葉を少しでも叶えられているようで、嬉しく思えた。
「姫様。そろそろ場所を移動しましょう。」
「ええ、そうね。皆様、ごめんなさい。今日は予定がありますので……また、今度。」
後ろに控えていたミツキが、耳元でそう囁くのを見て、周りの人々も「また来てくださいね。」と言って、ゆっくりとエルハムから離れて行く。
騎士団員であり、エルハムの専属護衛のミツキの話は、国の人々も知っていた。
異国から来たというのも、すぐに広まり始めは見たこともない容姿の彼を怪訝そうに見ているようだった。けれど、城の人々と同じように、エルハムの隣で真剣に護衛する姿を見たり、騎士団員として仕事をする様子を見たりしていくと、次第にそんな視線もなくなっていた。
今では、ミツキをエルハムの護衛として認め、彼の言葉に従うようになっていたのだ。
人だかりは消え、エルハムが歩きながら小声で隣を歩くミツキにお礼を言った。
「ありがとう、ミツキ。助かったわ。」
「いいえ。予約している店に向かわなければいけなかっただけなので。」
「ええ、そうね。では行きましょう。」
周りを警戒しながら歩いているため、こういう時の彼は、特に目が鋭い。
そんな彼を見て、少しだけ嬉しくなりミツキに隠れて口元を緩めてしまう。
こうやって真剣に守ってくれるミツキの姿が見られるのも、城下街を歩くのが好きな理由の1つだな、とエルハムは思っていた。
そして、目的地である店の前に到着した。
そこには「本屋」と小さな看板が出されていた。周りの店より小さな家で、ひっそりと佇んでいる、隠れ家のような店だった。白い煉瓦で作られた家は、少し薄汚れていたけれど、それがまた良い雰囲気を出しているようだった。
木で作られたドアをミツキが開ける。
ギギギッと音を鳴らしながら、ゆっくりと店の扉が開く。すると、そこからは本特有の燻った匂いが漂ってきた。
エルハムもミツキの後に店の中に入る。
天井までの本棚がところ狭しに置いてあり、そこには本たちが並んでいた。
この本屋はシトロンの中でも、1番の品揃えの本屋だった。シトロンで売っているものだけではなく、隣国のものや遠い国のものもあると店主に以前聞いたことがあった。
「お邪魔します。」と、声を掛けると小さな店内から「あぁ、お待ちしておりました!」と男性の声が聞こえ、パタパタと走る足音が聞こえた。
「いらっしゃいませ、エルハム様。」
店の中から出てきたのは、丸いふちのメガネをかけた白髪で低身長の老人だった。
優しく語りかけるような挨拶と、ゆったりとしたお辞儀で優雅に2人を迎え入れてくれた。
「遅くなってしまって、ごめんなさい。店主さん。」
「いえいえ。エルハム様が注文していた本が全て揃ってます。こちらになります。」
店内で唯一のテーブルは会計する場所のようで、いろいろなものが置かれていた。そこの上に数冊の本も一緒に重なって置かれていたのだ。
「ありがとうございます。ずっと待ってたのです!この本の新作と、あとはこの方の他の本を。………早く読みたいわ。」
「このシリーズは本当に人気ですね。エルハム様もお読みになっていると聞いて、同じファンとして嬉しい限りです。」
「ミツキもこの国の言葉を読めるようになってきて、この本を好きになったみたいよ。」
「そうでしたか。……確か、ミツキ殿は異国からいらっしゃったのですよね。文字を新しく覚えるなど、優秀でいらっしゃる。」
丸眼鏡の店主が目を細めながらミツキを見て微笑んだ。ミツキは、小さくお辞儀をするだけだったけれど、先程までの警戒心がある表情ではなく穏やかな様子だった。彼も褒められたことが内心では嬉しいのだろう。
「私が彼に文字を教えたのだけど、最近では教える事もあまりなくて……逆に私が彼の国のニホンゴを教えてもらってばかりで……。」
「………ニホン………。」
「……どうしたの、店主さん?」
丸眼鏡の店主は、その言葉を聞いた途端に何かを考えるように目を瞑った。
「ニホンという言葉、どこかで聞いたことがあるような気がしたのです………。」
その言葉を聞いた瞬間、エルハムとミツキは視線を合わせて驚いた表情を見せた。
それもそのはず。ニホンの事について話をしたことがあるのは、極少数だった。それが全て城の者であるので、それ以外の人が知るはずもないのだ。
「店主!それはどこですか?」
エルハムの後ろで静かに佇んでいたミツキは、すぐに大きな声を上げて、丸眼鏡の店主に問いただした。
ミツキ以外で、ニホンを知る人と出会ったのはこれが初めてだ。
慌てているミツキを、エルハムは少しだけ複雑な気持ちで見つめていたのだった。
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