第45話「甘い香りの悪夢」






   第45話「甘い香りの悪夢」





 

   ☆☆☆




 ふわりと甘い香りがした。

 お菓子のような、甘い香りだ。花とは違う、作られた香り。


 エルハムはそれを嗅いでから、頭がボーッとして先ほどからうとうとしてしまっていた。

 寝てしまえば楽なのかもしれない。

 けれど、寝てはダメだ。ここはコメットの隠れ家なのだから、何をされるかわからない。

 そう思い続けていたはずなのに、甘い匂いと眠気には勝てなかった。


 部屋の中に誰か入ってきたのか、ドアにかけられた鍵が開かれる音が聞こえた。

 コツコツとゆったりとした足音が響く。そして、その後に感じたのは頭を撫でる感触だった。髪に触れ、優しく撫出られているはずだった。

 それなのに、ミツキの体は何故か震えていた。



 「ミツキ………。」



 助けて。

 そう言うはずだった言葉。

 それをエルハムは自分で止めた。

 ここに来ると決めたのは自分なのだ………朦朧とした頭でもそれだけは忘れなかった。


 頭を撫でた手はエルハムの言葉を聞いて1度停止した。「…………。」頭を撫でる人が何を言っているのか、エルハムはわからなかった。

  

 先ほどまでの震えはゆっくりと治まり、エルハムはすっと夢の中に入った。

 甘い匂いは、全てを忘れさせてくれるかのように、怖さや不安が消えていくようだった。





 遠くからバタバタとした走る音や怒鳴り声が聞こえてきた。

 エルハムはその音で、ゆっくりと目を開けた。朦朧とする思考の中、周りを見渡す。いつも目を覚ますと見える、天井やベットの枕、カーテン、そして彼……。それとは違う景色が見える。



 「ん………ここは……ミツキ………。」

 「おはようございます。お姫様。」

 「あ、あなたは………。」



 黒の服に身を包んだ男が目の前に居る。

 白い肌に短い金髪に、青い瞳。初めてみる容姿をエルハムはただ見つめていた。

 この男の声は聞いたことがあるものだ。

 それはわかったが、それ以上はエルハムは考えられなかったし、考えたくなかった。



 「あぁ……あの香りのせいで、考えられないのですね。でも、怖い思いも感じず、楽しく過ごせた方があなたも嬉しいですよね……?」

 「怖いこと……。」

 「そんな事はしませんよ………今は、ね。あなたが拒まなければ。」



 怖いことは嫌だ。

 頭ではそんなことしか考えられなかった。

 拒むとは何の事か。理解など出来ない。



 ただジッと見つめるだけのエルハムを見て、男は満足そうに微笑んだ。



 「お姫様はやはり賢いです。そうやって、だまっていればいい。」



 そう言うと、その男はエルハムが横になっている小さなベットに乗り、そのままエルハムの体を包むように覆った。

 自分は抱きしめられている。そんな感覚に、エルハムは「何かの約束を交わすのだろうか。」と思った。

 大切な約束をするとき、エルハムは大切な人達といつもそうしてきた。

 大切な人達………それは誰だった?この男だろうか………。


 金髪の男の手がエルハムの首筋をなぞる。くすぐったくて体をビクッとさせる。その反応が楽しいのか、男は何度も繰り返した後、エルハムの耳や頬を撫でた。

 くすぐったい感じと、体の中が少しずつ熱くなるのを感じる。いつの間にか、目はうるうると熱を含んだものになっていた。



 「いいですね……その表情。拒まれながらするのも楽しいが、あなたはその恍惚な表情がよく似合う。」



 そう言うと、その男はエルハムの体に顔を近づけながら、ゆっくりとエルハムの服を脱がせて行った。ボタンを外し、露出した肌に男の冷たい指が触れ、エルハムは体が震えた。

 自分の肌がじっとりとした空気と、男の視線にさらされて、エルハムは身を捩る。

 人前でそのそんな姿を晒した事などないため、エルハムは朦朧とした頭でも恥ずかしさを微かに感じていた。

 

 顔を赤くして頬を染めるエルハムの姿を見て、男はニヤリと笑うと、首筋に唇を落とした。



 「エルハム姫………。」

 「……………ぁ…………。」



 自分の名前を呼ばれた。

 それなのに、エルハムは違うと思った。

 私の名前はエルハムだ、それはわかる。

 けれど、呼び方が、声が………彼と違う。


 わかった、瞬間。

 エルハムは体が一気に冷たくなり、ガタガタと震えだした。

 表情も固くなり、エルハムは恐怖の目で自分の体に跨がっている男をただ見つめた。


 こんなにも容姿の違う男に、何故体を預けていたのか。

 エルハムは自分の思考が恐ろしくなった。



 すると、エルハムの様子が変わったのに気づいた男は、舌打ちをして先ほどまでとは違った、疎ましい目でエルハムを見た。



 「薬の効果が切れたか。………大人しく快楽に浸っていればいいものを。」

 「イヤ………離してっ!」

 「まだ、思考だけが覚めたんだ。体は上手く動かせないだろう。大人しくしてろ。」



 男が言うようにエルハムの体は何故か重くなっていた。腕や足を少し動かすだけでも容易なことではない状態だった。



 「いや……やめて………ミツキ………。」

 「お姫様が約束したのですよ。専属護衛の冤罪をはらせば、体を差し出すと。」

 「…………それをあなたはしてきたの?」

 「もちろんです。私はあなたの約束を守りました。お姫様も守ってくださいますね。」

 「…………それは。」

 「今、抵抗して殺されるか。………助けが来るまで私に抱かれて生きている方がいいのではないですか?………最後に誰も助けに来なかったら、殺してしまいますけどね。」

 


 楽しそうに笑う男をエルハムは睨み付けた。

 

 けれど、エルハムは約束の事を言われて思い出した。

 この男はきっとミツキに伝えたのだろう。

 その方が楽しいと思っているようにも見えたからだ。

 それに約束は約束だ。

 姫として守らなければならない。


 それに、どうせ殺されるのならば、抵抗しても無駄なのはわかっている。

 彼は少し見ただけでもただ者ではない雰囲気を感じることが出来るのだ。エルハムが逃げたり、拒否した時点で殺されるだろう。


 こんな男に好きにされるのはイヤだった。

 けれど、目の前の死が何よりも怖くて仕方がなかった。

 約束を破ってしまった事で自分は殺され、ミツキにも何かされるのではないかとも思った。



 エルハムは、力を込めて必死に動かしていた腕や足の力を抜いた。

 そして、目をギュッと瞑って顔を横に向けた。


 

 そんな様子を見て、男は楽しそうに笑っていた。


 

 「そうです。やはりお姫様は賢い。私に体を預けていれば、楽になります。……楽しくて気持ちのいい事を一緒にしましょう。」



 冷たく刺さるような男の指が、エルハムの体をなぞった。

 

 エルハムは心の中で悲鳴をあげながら、「ミツキ………」と名前を呼び続けて、この悪夢が早く終わる事を願い続けた。





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