第16話「2つの約束」






   第16話「2つの約束」






 ティティー王妃は病院のベットに横になっていた。

 エルハムが到着する頃には、呼吸は浅く、目もほとんど開いていなかった。止血している人が押さえる布や手はティティーの血で真っ赤に染まっている。


 エルハムはそんな母の姿を見て、その場に呆然と立ち尽くしてしまう。

 信じられなかったし、信じたくなかった。

 治療をしてくれる人達は皆必死になっていたけれど、どこか諦めの表情が感じられた。そして、ティティー姫を警護していた騎士団の人達は目に涙を浮かべていた。

 

 あぁ……お母様は助からないのだ。


 エルハムは部屋に入った瞬間に、そう感じ取った。


 「王妃様!エルハム様が来ましたよ。」


 もう耳も聞こえなくなったのか、隣り立っていたその時の騎士団長の男が大きな声でティティーに声をかける。すると、先ほどまで閉じていた目がゆっくりと開いた。そして、目の動きだけでエルハムを探しているのがわかり、エルハムはおぼつかない足取りで、ゆっくりと母の元へと近づいた。

 

 「………お母様?………お母様、どうしてこんな事に………。」

 「……エルハム……私の愛しい、娘。どうか聞いてちょうだい………。」


 気息奄々な様子でティティーはそう言うと、震える手をエルハムに伸ばした。それをエルハムは両手で包んだ。肌が青白くなり、冷たくなっている母の手を温めるように握りしめると、ティティーは弱々しく微笑んだ。


 「私の事で誰かを恨んではダメ……。あなたが幸せになってまずは笑顔になるのよ。そして、その笑顔で……みんなを幸せにしてあげて…………。お願い……ね。」

 「お母様っ!私、お母様に、まだまだ教えていただきたいことが沢山あります………だから、私を置いていなくならないでください。………お願い………お願いですっ。」

 「エルハム泣いているの?もう、顔もよく見えないわ…………。アオレン様に伝えてください。私はいつまでもあなたを………愛している、と………。」


 

 ティティーの言葉が途切れた。

 全身の力がすぅっと抜けていった。エルハムが握りしめている手からも、力が感じられなくなった。

 エルハムは涙を溜めていた目を見開いて、動かなくなった母を見た。声にならない悲鳴の後、エルハムはもうそこにいない母をまた、呼び戻すかのように、悲痛な叫びを上げた。


 「……………っっおかあさまぁーーーーっっ!いや、いやぁーっっ!!」


 エルハムは母の体に覆い被さるように抱き締め大きな声を上げて泣いた。

 隣に居たセリムは下を向いて涙をボロボロと溢していた。


 ティティーは苦しさも感じられない、とても穏やかな表情で最後を迎えた。


 ティティー・エルクーリは32歳という若さでこの世を去ったのだった。









 ☆☆☆



 エルハムは、昔の話しを途切れ途切れに、そしてゆっくりと語った。時々、頭がくらくらしたり、恐怖に襲われて体が震えることもあった。

 けれど、その度に手を握ってくれるミツキが「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた。それだけで、辛い過去から少しだけ気が紛れ、

話し続ける事が出来たのだ。

 もし泣いたとしても、倒れそうになったとしても、ミツキならば優しく最後まで話を聞いてくれると信じられたから話せたのだと、エルハムは思った。



 「その後に、騎士団やチャロライト国が調べていくと、チャロライト国の反対組織のコメットが犯人だろうと目星がついたの。セリムが私を守って戦った人も、セイが話した服装と同じ真っ黒だったと聞いたわ。私は逃げてばかりで見ていなかったから、セイの話しを聞いても思い出せなかったみたい……。」

 「王妃様を殺したのが、コメットだったのですね。」

 「………そういう事になるわ。王妃が亡くなった事で国が荒れた時にコメットがシトロンを攻めるつもりだったのかもしれない、とお父様は話していたわ。けれど、結局は逆に国の結束は固くなり、チャロライト国の兵達もコメット鎮静にも力を貸してくれたの。だから、当時のコメットの主要メンバーはすべて捕まえられる事が出来たわ。」

 「そうでしたか。」


 ミツキは、少しホッとしたような表情を見せたけれど、まだ何か気になる事があるようだった。もちろん、エルハムもそれに気づいていた。

 きっと優しいミツキは、それを言い出しにくいのだろうとエルハムはすぐにわかって、小さく微笑んだ。



 「お母様の噂はどうやって収まったのか、聞きたいのよね?」

 「…………はい。」


 戸惑いながらも頷くミツキにらエルハムは丁寧に話しをした。当時の事、しっかりと思い出しながら。



 「お母様の最後のお別れの日。シトロンの国では誰でも花を手向けられるようにしていたの。お祈りしてくれる人も多かったけど、文句を言った、罵倒する人も多かった。………王様や私が何度説明してもダメだったの。けどね、その時、城で働いている沢山の人達と、騎士団の人達が立ち上がってくれたのよ。大きな声を上げて「そんな噂はでたらめだ。」「ティティー王妃は優しく気高く、そして皆を愛していた。」と、説明してくれたの。エルクーリ家ではない、国の人の言葉。特にお母様に近いところで働いている人の言葉は、とても響くものがあったみたいで……少しずつ噂は嘘なのだと皆わかってくれたの。そして、お母様が今までしていた事を思い出してくれた。………だから、お母様は、最後にみんなに見送られて、天へと向かったわ。」


 エルハムは、その時の事を思い出すと、涙が止まらなくなった。罵倒し、石を投げて抗議していた人達が、母の死を嘆き、そして謝り、感謝してくれた。とても大切な人を亡くしたと泣いてくれた。

 心を締め付ける、母を苦しめていた噂はなくなった。

 これで、きっと母は心から笑顔になれるだろう。そう思い、母との別れを悲しみながらも、エルハムは笑顔で見送る出来たと思っていた。



 けれど、心の傷は簡単には癒えなかったのだ。



 「そうでしたか。そんな事があったのですね。幼い頃に襲われて、母親を失った原因との再会。それは、恐ろしいですよね。」


 ミツキは繋いだ手を先程より力を強めて握りしめてくれる。それが、ミツキが自然としてしまった事なのか、勇気づけようとしてくれた事なのか、エルハムはわからなかったけれど、ミツキのゴツゴツとした手を強く感じられて安心してしまう。


 彼の前ならば、本当の気持ちを話し、素直に泣いて言いと言われた。それを思い出して、エルハムはおそるおそる口を開いた。



 「確かに、コメットに襲われたことは怖かった。けど、あの日から国の人達を信じるのが怖くなってしまったの。少しでも悪いことをしなら、みんなに嫌われてしまう。それが恐ろしくて仕方がなかった。」

 「………姫様……。」



 皆を思い公務を行い、毎日のようにどうやったら国はよくなるか、幸せになれる人が増えるのか考えていた母。

 みんなに好かれ、町を歩く度に声を掛けられ感謝させる母の姿をエルハムはずっと見てきたのだ。


 それなのに、根も葉もない噂一つで状況は一変してしまうのだ。


 それが怖かった。



 「こんな私を誰も好きになってくれないと思っていたけど、今はみんな優しくしてくれる。それは嬉しいわ。とても、幸せだし、それを返したいと思ってる。けれど……頭の片隅にいつも「これをしたら嫌われないかな。」「これを言ったら怒られないかな。」と、思ってしまうの。」


 エルハムは、落ち込みながらも自分の気持ちを伝えた。すると、ミツキは優しく微笑みながら、「そんな事を心配していたのですか。」と笑ったのだ。

 エルハムは驚き、ミツキを見つめて。


 「そんな事って………私はずっと悩んでいたのよ?」

 「姫様。人は失敗する生き物です。それは俺だって、アオレン王だって、セリム団長も、姫様も………そして、シトロン国に住む人全員が、間違える事があるんです。間違えてしまったから、みんな嘘の噂に騙されたんです。」

 「………そうだけど………。」

 「間違えてしまったら、何度も教えればいいんです。「違うよ」って、気づいてくれるまで。そして、嫌わないで信じていればいいんじゃないですか。ティティー王妃のように。そうすれば、ティティー王妃が最後にみんなが気づいてくれてように、姫様が何か間違っても教えてくれて、「違うよ」と言って、正しくなるのを待ってくれるはずですから。」


 

 あぁ。この人はどうして、エルハムが求めていた答えをすんなりと出してくれるのだろうか。年下なのに、何でもわかっているのだろう、とエルハムは不思議に思ってしまう。


 それぐらい、ミツキの言葉はエルハムの心に溶け込んでいくのだ。

 いつもと同じように。


 彼の言葉はいつも特別だな、とエルハムは感心しつつも、彼の思慮深さに感心し、憧れてしまうのだ。



 「誰かを信じるのが怖いなら、まず俺から信じてみませんか?」

 「………もうあなたの事は信じているわ。これで、あなたがスパイだったら大きなショックを受けるでしょうね。」

 「それはないから安心しろ。」



 エルハムの悲しんだ冗談に、ミツキはつい普段の口調を忘れて、昔のように返事をしてしまった。それを聞いて、エルハムはフフフッと笑ってしまう。



 「そう。それは安心したわ。」

 「………異世界から来た不審極まりない俺を信じたんだ。おまえは大丈夫だよ。」



 話し方を諦めたのか、ミツキはそう言った。


 確かにそうだ。

 突然現れ、エルハムを攻撃までしてきた彼を信じたのだ。自分でもわからないが、彼は大丈夫だ、と思えたのだから不思議であった。

 けれど、当時の自分の判断をエルハムは褒めたかった。



 「じゃあ、約束して。私の事もずっと信じてくれる、と。………それと、2人の時はミツキが話しやすい話し方で話して。」



 エルハムがくったくのない笑顔でそう言うと、ミツキはまるで年上の人が子どもをあやすように、しょうがないなという雰囲気で微笑んだ。




 「わかった。約束する。」



 

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