第13話「昔の合図」






   第13話「昔の合図」





 ★★★




 ミツキがエルハムのあんな顔を見たのは初めてだった。

 幼かった自分を怪我をしてまで助け、そしてセイが襲われた時も怖がりながらも、セイやミツキを心配した。

 そんな彼女が、顔を真っ青にして体を震わせて、そして何か思い出したくないものを見ているようで、ずっと怯えた様子だった。


 けれど、ミツキは彼女が何故そんなにも怯えているのかわからなかったのだ。

 エルハムはセリムが言った「コメット」という組織。それを聞いた途端にエルハムの様子がおかしくなった。

 そしてエルハムは「幼い頃」とも話していた。それはきっとミツキがこの世界にくる前の事なのだろう。

 自分の知らないエルハムの事を考えると、ミツキは妙な焦りを覚えた。

 そして、前を歩く騎士団長のセリムはもちろんそれを知っているのだ。そう思うと何故か苛立ってしまうのだ。

 日本ではない異世界なのだから、どうでもいいと思っているはずなのに、エルハムの事になると知らないうちに本気になってしまう。


 異世界に来た時に彼女に助けられた。その恩は返さないといけないとは思って専属護衛や騎士団の仕事をこなしていた。

 いつか日本に帰る時に、彼女にしっかりとお礼が出来て、後悔をしないように。そんな事を思っていたはずだった。

 けれど、気づくと日本の事などほとんど忘れ、彼女の事だけを考えてしまう日々が続いているのにミツキは気づいていた。


 だからだろうか。

 知らない彼女の姿に戸惑い、不安になり、そして知りたいと思ってしまうのは。



 そんな事を考えながら、城の廊下を歩いていると、前を歩いていたセリムがこちらを向いた。

 金髪にオレンジ色の瞳、そして白い肌に柔和な顔つき。日本にいたら確実に「王子様」と女に騒がれるタイプの色男だ。

 そんな男が、ミツキを睨み付けるように見ている。ミツキ自身、セリムに嫌われているのはわかっていた。けれど、ミツキは特に気にする事はなかった。



 「セリム騎士団長。どうしましたか?」

 「………ミツキ、おまえはエルハム様からコメットについて何か聞いていたのか?」

 「いえ。姫様からは何も聞いたことはありません。」

 「そうか………ならば、エルハム様が何故体調を崩されたのかもわからないか。」

 「………そうです。セリム騎士団長、ご存知でしたら教えていただけませんか?」


 専属護衛として知っておいた方がいいのではないか。そう思いミツキはセリムに問いかけた。

 けれど、セリムは微笑んだ後に「それは出来ないな。」と、冷たく言ったのだ。


 「エルハム様がおまえに話してない事を私から話す事など出来ない。おまえに話す必要がないと判断したのだろう。……この件に関しては私が何とかしよう。ミツキはエルハム様の護衛だけをしてればいいだろう。」


 小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべながらセリムはそう言うと、また背を向けて歩き出した。自分よりも大きく鍛えられた背中を見つめながら、ミツキは大きくため息をついた。



 「まぁ、あいつが言ったことも正論だから何も言い返せないな。」


 セリムはエルハムの部下だ。

 そんな彼が、エルハムの事を勝手に話せるわけもないのだ。それは、ミツキにもよくわかる。けれど、セリムの言い方が鼻につくのだ。


 セリムは自分以外の周りの人達には、優しくて紳士的な男なのだ。自分がそうさせているのだと思うと、仕方がないとは思えど、あんな態度はミツキを苛立たせるだけだった。



 「エルハムは大丈夫なのか………。何を我慢してるんだ?」

 


 遠くに見えるエルハムのドアの方を向きながら、ミツキはそう小さく呟いたのだった。









  ☆☆☆



 エルハムが目を覚めると部屋は真っ暗だった。

 夕御飯も食べずに寝てしまったようだ。

 部屋のカーテンが閉められ、ベット脇のサイドテーブルには水と果物が透明なガラスの蓋をされて置いてある。

 使用人に気配りに感謝しながら、エルハムは水を一口飲んだ。


 「はぁー………やはりあの夢を見てしまうのね。」


 エルハムはため息をつきながら、手に持ったガラスのグラスを見つめた。

 

 大好きだった母がいなくなってしまった時の事。そして、いなくなる直前の弱った笑顔。罵声。悲鳴。泣き声。歓喜の声。


 その記憶にのまれそうになった時、体がぐらりと傾き、持っていたグラスから水が溢れた。冷たい感覚で、エルハムはハッと意識を取り戻した。



 「駄目だわ………また気持ちが落ち着かない。」



 エルハムは、グラスをテーブルに戻しながら、ノロノロとベットから立ち上がった。

 今は一人になりたくない。夢が現実が、自分の弱さが怖くて仕方がなかったのだ。


 エルハムがたどり着いたのは、いつもエルハムとミツキが座る椅子が置かれている場所だった。エルハムはそこに座り込むと、絨毯がひかれている床に手を着いた。

 そして、少し強めに床をコンコンッとドアをノックするように叩いた。


 コンコンッ


 2回目も叩き終わり、エルハムはノロノロとまた動き出した。今度は、部屋のドアに向かったのだ。

 ドアに体をくっつけると、ひんやりとした感覚が伝わってくる。

 そしてドアに耳を当てると、小さく足音が聞こえてきた足音をたてないようにしているが、少し焦っているのか早足になっている。


 エルハムは、ゆっくりとドアを開ける。

 すると、そこには寝ていたのだろう、少し髪がボサボサのままのミツキが居た。



 「姫様。どうしましたか?」

 


 小声で話すミツキをエルハムは部屋に入るように促した。

 ミツキは少し戸惑いながらも、部屋に入ってくれたのだ。



 「ごめんなさい………。寝ていたのに起こしてしまったわね。」

 「いえ。久しぶりなので驚きましたが。体調は良くなりましたか?」

 「ええ。先程よりは。……心配かけたわね。でも、合図を送ってあなたを呼ぶのが懐かしくて、何だか嬉しくなったわ。」 



 エルハムは、微笑を浮かべながらミツキにそう言うと、ミツキは安心した様子で目を細めた。


 エルハムとミツキが、まだ出会ったばかりの頃。

 エルハムは彼とニホンの話をし足りない時や眠れない時、そして今回のように怖い夢を見た時に彼を呼んでいたのだ。

 夜中にこっそりといつもの椅子に座って勉強をしていた事があり、その次の日にミツキに「夜中まで何をしてたんですか?」と聞かれたのだ。あの場所は彼の部屋のベットの上にあるようで、寝ているミツキが物音を聞いて心配したようだった。

 その事を聞いてから、エルハムは彼を呼ぶ時はそこの床をノックしていたのだ。

 ミツキは困った顔をしながらも、話しを聞いたり、エルハムが眠るまで傍に居てくれた。

 年下の男の子に甘えるのは少し恥ずかしかったけれど、ミツキだから甘えられる。そう思ってしまうのだった。



 「倒れた後なのです。俺はまだここにいますから、ベットに横になっていてください。」

 「………そうするわ。」

 


 ミツキに促されて、エルハムはベットに横になった。ミツキはいつもの椅子をベットの脇に置き座る。これも昔と同じだった。



 「またセリムに見つかったら怒られちゃうわね。」

 「………今日ぐらい多めに見てくれるでしょう。」

 「そうだといいけど。」



 エルハムとミツキは苦笑しながら、同じことを思い浮かべた。


 こうやってエルハムがミツキを呼び、夜中に話しているのが、ある日セリムにバレたのだ。

 そして、「年頃の女性が夜中に男を入れるなんて感心できません。」と怒られたのだ。それから、2人が夜にこの部屋で会うことはなくなった。

 自分が悪いとはいえ、夜の楽しみがなくなって、当時のエルハムは悲しんでいたものだった。



 「姫様、今日はどうしたのですか?何かまた、怖い夢を見たのですか?」

 「………えぇ。また、怖い夢だった。ううん、昔の記憶かしら。お母様が亡くなった時の事よ。」

 「それは、昨日のコメットの奇襲と関係あるのですか?」

 「…………えぇ。話すのも怖くて、ミツキに話してなかったわね。思い出すのも嫌なの、きっとまた震えて泣いてしまうわ。」

 「姫様、無理に話さなくても………。」

 「ううん。あなたにも話しておきたいの。これからコメットが私を狙う理由を。………あなたが私を守ってくれるのだから。あまりいい話ではないけど聞いてくれるかしら。」

 「……はい。」


 

 エルハムが意を決して話そうと決めた。

 けれど、夢で見ても泣いてしまう事を自分で思い出して話すのが怖くて仕方がなかった。

 不安そうにしているのが、ミツキに伝わったのだろうか。

 冷たくなっていた手に温かさを感じたのだ。


 エルハムの手に、ゴツゴツとして温かいミツキの手が被さり、包まれていたのだ。


 それを感じるだけで、エルハムを安心してしまうから不思議だ。


 エルハムはミツキの手を優しく握り返してから、重たい口を開けて言葉を紡いだ。


 ミツキがシトロンの国に来る前の、彼の知らない物語を。







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