第2話「姫としての役目」






   第2話「姫としての役目」





 漆黒の宝石のように強くて美しいと思った。

 

 その少年の瞳は、エルハムが見たことがない色なのだ。何色にも染まらないはずの黒。それなのに、トンネルの光を受けて暖かい色が移りこんでいた。


 その瞳に吸い込まれるように、エルハムは彼に近づいていた。もっと近くで見たい。そして、その鋭く怯える瞳を、安心させてあげたい。そんな風に思った。



 そして、彼に向けて片手を伸ばした時だった。



 「姫様っ!!すぐに離れてください!」

 「え………っっ!!」



 セリムの厳しい声が後ろから風のように吹いてきた。

 けれどその声を聞くよりも、一瞬の事だった。


 今まで、そこに座っていたはずの少年。エルハムの目の前にはただ土道があるだけで、いつの間にか少年の姿はなくなっていたのだ。

 次に感じたのは痛みだった。

 右の手首に何かで叩かれたような痛みを感じたのだ。見ると赤く腫れている。


 離れたところに、木製の剣のような物を持ち、構えてエルハムを睨む少年がいた。



 「あなた、いつの間……。」

 「エルハム様、大丈夫ですか?私の後ろに隠れてください。誰かエルハム様の傷の手当てをしろ。そして、この少年を捕らえろ。」



 セリムは焦った様子でエルハムに近づき、そして少年からエルハムを離そうとした。

 


 「私は大丈夫です。それより、あの人に危害を加えてはダメよ。」

 「………姫様、よくご覧ください。」

 「え?」

 「危害を加えられてしまうのは、私たちのようです。」



 セリムはそう言って、少年を見るようにエルハムに視線で促した。すると、そこには数人の騎士団員に囲まれて捕まえられそうになる少年。けれど、木の剣を使って次々に騎士団員の武器を落としたり、腕や腹などを木の剣で打たれ全く少年に近づけないのだ。

 それぐらいに、少年の剣術は強く、そして動きが早かった。


 騎士団員が使っている武器は剣ではなくこん棒。木の剣と同じような物だった。

 他国が攻めてくる時や凶悪な犯罪行為があった時以外は、剣が使われることはないのだ。少年一人を捕まえるのに、傷つける可能性がある剣は使わないはずだった。


 けれど、セリムはシャリッと細くて長い剣を鞘から抜いた。それを見て、エルハムは息を飲んだ。



 「セリム!何故、剣など!」

 「この者は姫様を傷つけ、騎士団員をも負かしてしまうほどの強者です。もしかしたら反乱者やスパイの可能性もあります。」

 「そんなっ!彼は違うは!」

 「姫様は危ないのでお下がりください。」



 セリムは剣を構えたまま、エルハムの話を聞かずに黒髪の少年に近づいていった。

 先ほどのこん棒とは違う剣を見て、少年は目を見開いたが、すぐに木の剣を構えた。

 エルハムは、少し体を低くする構えだが、少年は背筋をピンと伸ばし、剣先をセリムのこめかみに合わせて、ピタリと動かなかった。

 初めて見る剣の構え方だったが、エルハムはそれがとても綺麗だと思った。剣術の事はわからない。けれど、真っ直ぐに前を見て、臆することなく堂々と凛と立つ姿は、洗練されて見えた。

 セリムも同じように感じていたのだろうか。それとも初めて見る構えを前に、戸惑いが見られていた。

 

 けれど、お互いに鋭い視線で見つめ合い、無言の駆け引きをしているようだった。



 だが、いくら黒髪の少年が強いとはいえ、木と剣では勝負にならないはずだ。少しでもかすれば少年は傷を負ってしまう。

 そう思った時には、エルハムは2人の剣士の前に立ちはだかっていた。



 「「っっ!!」」



 セリムと少年は、まさに動き出そうとしていた所だったようで、驚愕の顔で持っていたそれぞれの武器を止めた。

 一歩間違えれば、怪我をしていたかもしれない。けれど、目の前でボロボロになった自分より小さな少年が傷つくのをただ見ているよりましだと、エルハムは思ったのだ。



 「姫様っ!?」

 「セリム。彼が持っているのは木の剣よ。その剣で戦って傷つくのは誰?私より小さな男の子に剣を向けるのは、私が許さないわ。」

 「姫様、しかし………。」

 「私が彼を保護する。」

 「それは危険です!」



 セリムはエルハムを心配して言ってくれている。それはエルハムにもわかっていた。

 けれど、自分の国に居る少年が薄汚れてボロボロになって困っているのをエルハムは放ったり、見捨てたりなど出来なかった。

 笑顔にする、のが自分に課せられた役目なのだから。



 エルハムがセリムを説得しているうちに、少年は逃げる好機だと思ったのか、トンネルの奥に駆けて行ってしまった。エルハムは「あ、待って!」と、その後を追う。そして、振り向きセリムを見た。



 「私が話をしてくるわ!」

 「姫様っ!」



 先ほど機敏な反応を見せた少年の足取りは重く、エルハムでも追い付けるようなものだったのだ。数日さ迷って疲労してるのかもしれない。少年の弱々しい背中を見て、そう感じた。



 しばらくすると、トンネルの先に蝋燭以外の明かりが差し込んできた。この先にあるチャロアイトの国が見えてきたのだ。

 


 「あそこまで行ってしまうと大変だわ。」

 


 光る先を見つめながら、エルハムは焦った。あそこを抜けると国境を越えてしまう。そうなると、自分の力は働かない。そのため彼を助ける事は出来なくなってしまうのだ。

 彼が通行証を持っていれば、だが。その可能性は薄いと思っていた。となれば、彼は強引に突破してしまうのではないか。


 そんな事を考えていると、やはり悪い方に事が運ばれた。



 「貴様、止まれっ!!」

 「何事だ?敵襲か?」

 「通行証を持ってないようだ。」

 「止めろっ!その餓鬼を止めるんだッ!」



 トンネルを抜けた先で騒ぎになっているようで男達の罵声が聞こえてきた。



 「大変っ!止めないとっ!」



 エルハムを自分を奮い立たせるかのように、強い口調で一人呟くと、更に足を早めた。

 そして、トンネルを抜けた先には最悪の事態が起こっていた。


 チャロアイトの門番や兵士数名が、少年を囲んでいたのだ。手には、シトロン国の騎士団と同じようなこん棒を持っていた。けれど、少年があまりに抵抗するのを見て、一人の兵士が腰にかけていた短剣に手をかけているのが、エルハムの目に飛び込んで来たのだ。



 「やめなさい!その人はシトロン国が保護しますっ!」

 


 エルハムはすぐに彼に駆け寄り、庇うように両手を大きく広げて黒髪の少年の前に立った。



 「あんた………なんで、ここまで来て………。」



 少年が初めて小さく声を発した。その声は澄んでいて、凛とした彼の雰囲気にピッタリ合う声だった。

 けれど、その声を聞いて振り返る事が出来る状況ではなかった。


 突然出てきた泥だらけに濡れたエルハムを見て、チャロアイトの門番と兵士達は驚きながらもすぐに目を吊り上げた。



 「なんだ、この偉そうな女は。」

 「こいつの仲間じゃないのか?」

 「………こんな黒髪の奴見たことないぞ。何処かの国のスパイなんじゃないか?」

 「な……スパイなんかじゃないです……!」

 「とりあえず、捕まれるぞ。増援を呼べ。」


 

 ジリジリとチャロアイトの兵士に囲まれ。エルハムは自分の身分を明かすしかないと思った。けれど、それよりも先に少年が動いてしまった。一人の兵士に木の剣で飛びかかかったのだ。次々に門番や兵士を倒していく。

 それを、エルハムは唖然としながら見ためていた。彼は本当に剣術に優れているようだ。


 その時、エルハムは空気を切る音を聞いた。

 ついに、チャロアイトの兵士が短剣を抜いたのだ。

 そして、気づかぬように戦っている少年の後ろから近づいていたのだ。


 少年ならば察知するかもしれない。あれほどの剣術だ。大丈夫のはず。

 けれど、気づいていなかったならば、彼はどうなるのか?


 そう思い、気づいた時には、少年を強く押して彼を庇うように抱き締めていた。

 次に感じたのは、焼けるような痛み。

 そして、地面には背中からたくさんの血が流れ落ちていた。



 「私は、シトロン国第一王の娘、エルハム・エルクーリです。無事を納め、その者を解放してください。」



 エルハムは傷を負っているとは思えないぐらい、堂々の名乗りをあげた。

 そして、傷を付けた兵士達は何が起こったのかを理解すると、すぐに武器を捨てた。


 それを見て、エルハムはホッとした。これで、少年は大丈夫だろう。それに、遠くからセリムが自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

 自分の腕の中で、目の前で血を流しているエルハムを恐怖の顔で見つめている少年を見た。

 


 「無事でよかったわ……。」



 そう笑顔で言葉を伝えると、エルハムはそのままその場に倒れてしまったのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る