第43話 チョコレートスレイヤー

 ここまでのやりとりだけで、微妙に疲れてしまったが……。

 ようやく本格的に、チョコクッキーを作り始める雰囲気になる。


「今回は二手にわかれて作業していきましょう。編成はもちろん、わたしと悠真さんチーム、陽那さんと千絵さんチームです」

「あ、みんな一緒にやるんじゃないんだ」

「リスクの分散です。悠真さんが致命的な失敗をして全滅したら、目も当てられませんからね」

「……なるほど」


 俺の素朴な疑問に、えりりは正論すぎることを言った。


 というわけで、最初の工程に入る。

 まずは板チョコを刻む作業だ。


「悠真さん。チョコを刻む上で、大事なことを教えてあげます」

「お、チョコを刻むだけでも、コツとかあるの?」

「はい、よく聞いてください」


 えりりが真面目な顔つきで言うので、俺は真剣に耳を傾けた。


「包丁で指を切ったら――ケガをします」

「当たり前だろ」


 わざわざ前置きをしてなにを言うかと思えば……そんなことかよ。


「え……悠真さん、ご存じだったんですか?」

「なんで驚いてるの?」

「だって、前に包丁を使ったとき、刃物でケガをするってことを知らない文化の人のように見えたので」

「……そんなにひどかったか」

「ひどかったですね。正直今日のところは、炭と見分けがつかないクッキーができたとしても、ケガさえしなければ成功だと思っています」


 どんだけ低い目標なんだ……。


「あはは、川原くんってそこまでポンコツなんだ」

「そんな川原くんの面倒を見ようとするえりりちゃんは、本当にいい娘だねー」


 向かい側から、からかうような声が飛んでくる。

 なにか言い返そうかと思ったが、


「悠真さん、包丁を使うときは、自分の作業に集中してください。あっちの声に気を取られちゃダメですよ。本当に、お願いします」

「……はい」


 切実なトーンで訴えられて、俺は神妙にうなずいた。


「というか、そこまで心配するなら、包丁を使うところはえりりがやってくれたらいいのに」

「そうしたほうがわたし的にも楽ですが、それでは悠真さんが成長しませんからね。今回はコーチ役に徹して、わたしはできる限り手を出さないようにしたいと思います」

「……本当にやばそうだったら、助けてくれていいからな」

「はい、それはもちろん。ちゃんと責任を持って、悠真さんのことをお守りします」


 お菓子作りというより、これからジャングルの奥地を冒険するみたいなテンションである……。

 自分の信用のなさに泣きたくなるな……。


 しかし、まあ、モノは考えようである。

 ここで人並みの結果を出せば、えりりも見直してくれるだろう。

 キッチンの出禁を解消してもらえるよう、がんばろう。


 板チョコを一枚まな板の上に乗せ、俺は右手で包丁を握る。


「力を入れすぎちゃダメですよ」

「ああ」


 左手を包丁の背中の部分、つまり峰にそえて――とん。

 小気味いい音を立てて、板チョコを刻んでいく。


「いいですよ悠真さんっ。その調子ですっ」


 とん、とん。


「素敵ですっ。ちゃんと刻めてますっ」


 とん、とん、とん、とん。


「もうちょっとで半分ですっ。油断せずにいきましょうっ」


 とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん。


「はいっ。もうそのくらいで大丈夫ですっ。おつかれさまでしたっ」


 俺はふうと息をついて、包丁を置いた。

 えりりはパチパチと拍手してくれる。


「すごいじゃないですか悠真さん! かすり傷ひとつ負わず、チョコレートを刻むなんて! もしかして伝説の勇者の生まれ変わりなんですかっ?」


 まるで凶悪な魔獣を刻んだみたいな言い草である……。

 おおげさにもほどあるが……まあ、水を差すのも無粋だよな。


「フッ……これくらいたいしたことないよ」


 と、決め顔で答えてみた。

 えりりはくすくすと笑い、まな板を持ち上げて向かいのふたりに見せる。


「ほら、陽那さん千絵さん、見てくださいっ。うちの悠真がこんなに上手にチョコを刻みましたよ!」

「へえー、やるじゃん川原くんっ。さすが師匠のパートナーだね!」

「ほんとだ、すごいすごい。見直したよ、川原くん」


 三浦さんと長峰さんもパチパチと拍手して称えてくれた。

 さすがにちょっと恥ずかしい……。


「じゃあ、悠真さん。残りのチョコもお願いしますっ」

「ああ、まかせとけ」


 俺は二枚目以降も同様に刻んでいく。

 むろん、指を切ったりするようなヘマはしなかった。


「かっこいいです悠真さん! もはやチョコレートスレイヤーですね!」

「川原くんがまさかここまでできる男子だったとはっ」

「動画にして公開したら、再生数がすごいことになりそうだねー」


 チョコを刻んだだけで、女子がめっちゃ褒めてくれる……。

 いや、三人とも俺をからかって遊んでるだけなのは、重々承知しているけど。


 しかし、そうだとしても、これはなかなか……いいかもしれない。

 恥ずかしいという気持ちを通り越すと、だんだん気持ちよくなってきた。


「なあ、えりり」

「なんですか?」

「お菓子作りって楽しいな」

「ふふふ、そうですね」


 さあ張り切って、次の工程に進もう!

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