第48話 歯ブラシを多めに買うべき理由

 カレンダーの絵柄は春を間近に感じさせるが、体感的にはまだまだ寒い三月上旬のある日。

 俺はえりりとドラッグストアに買い物にきていた。


 ティッシュ、キッチンペーパー、食器用洗剤、シャンプー、リンス、などなど。

 ポイントがたくさんつくとてもお得なキャンペーンを実施しているらしく、えりりは張り切って俺が持つカゴに商品を入れていった。


「えーと、あとは、そうですね……歯ブラシも買っておきましょうか」


 俺はえりりのあとを、従者のようについていく。

 歯ブラシコーナーにつくと、えりりは十本以上カゴに入れた。


「え、そんなにいる?」

「買い置きですよ。歯ブラシは場所をとらないので、こういうときにまとめて買っておいたほうがいいんです」

「なるほど」

「ついでに、お泊まり用のやつも買っておきましょうか」


 さらに五本、カゴのなかに追加した。


「お泊まり用?」

「はい。悠真さん家に置いておけば、急なお泊まりにも対応できますからね」


 俺は無言で、追加した五本を戻した。


「なんで戻すんですか」

「急なお泊まりなんてないからだよ」

「あるかもしれないじゃないですか」

「どういう理由で」

「うっかり終電を逃したりして」

「徒歩十秒の距離だろうが」


 電車がなくても、帰宅に一ミリも関係ないわ。


「むぅ……じゃあ、こういうのはどうでしょう?」

「なんだ」

「わたしが悠真さんを、ゲームでボコボコにしたとします」

「ああ」


 微妙に不愉快なたとえだけど、とりあえず聞いてやろう。


「そしたら悠真さんは悔しがり、『もっかいやろう』と言ってきます」

「まあ、負けっぱなしだったら言うかもな」

「で、わたしは応じてあげるんですけど、やっぱりボコボコにしてしまうんです」

「……ちょっとは手加減してやれよ」

「真剣勝負で手を抜いたら、相手に失礼じゃないですか」

「たしかに……」


 えりりの言い分を認めざるをえない。

 そんなことをされて勝ってもなんにもうれしくないどころか、侮辱されたと思ってしまうだろう。


「ただ、悠真さんにも男の意地がありますからね。一度勝つまではやめられないとばかりに、また『もっかいやろう』と言ってくるわけです。しょうがないのでわたしは付き合ってあげます」

「やさしいな」

「ええ。大好きな悠真さんから『世界一かわいいえりりさま! どうか俺にチャンスをください!』と泣きながら土下座されたら、断れませんからね」

「…………」


 想像上の俺、なりふりかまわないにもほどがあるな……。

 そんなことされたら、百年の恋も冷めるだろ。


「それで、勝負を繰り返すんですが、結果は変わりません。気がつけば、ゲームを始めてから十時間以上が経っていました」

「やりすぎだろ……」

「はい、さすがにわたしも疲れてきて『次で最後にしてください』とお願いします」

「そりゃそうだわな」

「すると悠真さんは『わかった』とうなずき、さらに真剣な顔で告げました」

「なんて?」

「『この勝負に勝ったら、俺と結婚してくれ』と」

「…………」


 想像上の俺、なんでそんなことを言い出した……。


「わたしはその条件をのみました」


 いや、のむなよ。

 お互いによく考えたほうがいいと思うぞ……。


「そして、ラストバトルが始まります。もちろんわたしは手を抜きません。全力全開の本気モードで悠真さんを圧倒し、序盤から大量リードを奪います。もし観客がいたら、誰もがわたしの勝ちだと思ったでしょう」

「たしかに。十時間以上も無敗なら、なおさらそう思うだろうな」

「ですが中盤以降、ちょっとずつ悠真さんの動きがよくなっていきます。そうです。ここにきて覚醒したのです」

「おお、やるな俺」


 ベタだけど熱い展開だ。


「わたしが差をつけては、悠真さんが追いつく。非常に拮抗した終盤戦が繰り広げられます。まさにデッドヒート。わたしも悠真さんも、限界まで力を振り絞ります。そして、どちらが勝つかまったくわからないまま、最後の直線に入りました」


 あ、すげえどうでもいいけど、レースゲームだったのか。


「マシンの性能的に、直線はわたしのほうが有利です。ほんのちょっと、コンマ何秒かの差で、わたしの勝ちだと思いました。実際ゲームの仕様上、そうなるのが必然でした」


 ひと呼吸の間を置いて、えりりは語る。


「――でも、そうはなりませんでした。最後の最後で、悠真さんのマシンが加速したのです。『ありえない!』と驚愕するわたしを、悠真さんは華麗に抜き去っていきました。それは完全に、プログラムを超越した走りでした。愛の力が、奇跡を起こしたのです」


 単なるバグじゃない?

 とツッコむのは野暮だろうか……。


「わたしは潔く敗北を認め、悠真さんの勝利を称えました。悠真さんは男泣きして、わたしを強く抱きしめ、『愛してる。一生俺のそばにいてくれ』と言いました。その言葉にわたしもひと粒の涙をこぼし、ただコクリとうなずきました。感激のあまり、声が出なかったのです。そして時計を見ると――終電の時間を過ぎていて、これはもうお泊まりするしかないなということになりました」

「前振りが長すぎるし、しかもけっきょく終電のせいかよ」


 俺はあきれながらツッコんだ。

 だからその場合、お泊まりする必要は皆無である。


「でも、そうなったら悠真さんは『今夜は帰さないぜ』って言うじゃないですか」

「言わねえよ。ついでに本物の悠真さんは、ゲームでえりりにボコボコにされたりしないし、泣きながら土下座なんてするわけないし、ましてやそんなプロポーズは絶対にしない」

「一気にいろいろツッコみますね」

「ずっと我慢してたからな。てか、もう買うもんないならいくぞ」


 こんなところで雑談していると迷惑になってしまうので、俺はレジに足を向けた。


「あ、ちょっと待ってください」


 えりりは俺を追いかけ、五本の歯ブラシをカゴに追加した。


「買うのかよ……」

「念のためです」


 まあ、いいけどさ。

 さっきえりりが言ったように、歯ブラシならストックが多めにあっても困らないし。


 会計をすませて、お店を出る。

 大きな袋は俺が持って、小さな袋はえりりが持った。


「というか思ったんですけど、急なお泊まりじゃなくて、ふつうにお泊まりするのはダメなんですか?」


 帰り道を歩きながら、えりりが話を振ってくる。


「それはダメだろ」

「なんでですか?」

「えりりのテンションがあがりすぎて、俺が疲れるから。あと、ベッドをとられるのがイヤだから」

「……思いのほかまっとうな理由ですね」


 えりりがうちに泊まったのは、これまでに大晦日の一回だけだ。

 あのときはえりりの強すぎる希望に折れて一緒の部屋で寝たけれど、えりりがベッドを使い、俺は床に敷いた布団で寝ることになった。

 しかもえりりが何度も『悠真さん、寝ましたか?』と訊いてくるので、ぜんぜん寝付けなかった……。


「逆に訊くけど、そんなにお泊まりしたいのか?」

「したいですね。すこしでも長く、好きな人とは一緒にいたいですから」

「……毎日一緒にいるんだから充分だろ」

「だからこそ、たまにはそういう特別なイベントがあるといいなって思ったりもするんです。それに、単純にお泊まりって楽しいじゃないですか」


 ……それは、たしかに。

 大晦日のときもかなり疲れはしたものの、寝っ転がりながらえりりと他愛もないことを話すのは、とても楽しかった。

 修学旅行の夜とかもそうだけど、ほんとくだらないことでも笑えてきちゃうんだよな。


「でも、やっぱり気軽にやるようなイベントじゃないだろ」

「まあ、そうですね。日常的にやっていたら、特別感もなくなってしまいますし」

「そういうことだ」

「となると、やっぱりアレですね。まずは悠真さんをボコボコにできるゲームを見つけるところからですね」

「終電を過ぎても、責任を持って家まで送り届けるけどな」


 と、ツッコミを入れつつも……。

 なにかいい機会があったら、えりりの希望を叶えてあげてもいいかなと思った。

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