第49話 卒業式

「おかえりなさい、悠真さんっ」


 学年末テストも無事に乗り切り、今年度も残すところわずかとなった、三月後半の放課後。

 帰宅すると、制服姿のえりりが笑顔で出迎えてくれた。

 えらく機嫌がよさそうだ。

 俺はすこしだけ驚いて、笑みを浮かべながら返す。


「ああ、ただいま」


 そして、からかうような調子で続けた。


「ちゃんと卒業できたんだよな?」

「ふふ、もちろんです。小学校には落第とかありませんからね」

「そっか……卒業おめでとう」

「ありがとうございますっ」


 祝福の言葉をかけると、えりりは満面の笑みを浮かべる。

 そう。本日は、麗千女学院初等科の卒業式だった。


「これもひとえに、悠真さんのご指導のおかげです」

「いや、指導なんてしたことねえだろ」


 謙遜ではなく、まじでなんにもしていない。

 日頃お世話になっているぶん、無償で家庭教師を引き受けるくらいのことはしてもいいのだが、えりりは優等生なので、勉強を教える必要がまったくなかった。

 むしろ一般教養とか雑学は、教わることのほうが多いからな……。


「いえいえ、おすすめの漫画やゲームの遊び方など、たくさんのことを教えていただきました」

「……それは指導じゃなくて、布教だよ」

「あと、恋心なんかも教えてくださいましたね」

「それも教えたつもりはない」


 恥ずかしいことを言うんじゃない……。

 俺は自室にカバンを置いて、逃げるように洗面所に向かった。


 手洗いうがいを済ませ、自室に戻ってくる。

 えりりはベッドに座っており、俺は椅子に腰かけた。

 普段は、帰宅したらさっさと部屋着に着替えるのだが……。

 えりりが制服のままなので、なんとなくそのまま話しかける。


「それで、卒業式はどうだった?」

「どうとは?」

「いや、内容とか感想とか」

「うーん、べつに変わったことはなかったですね。ありがたい祝辞をいただいたり、校歌を斉唱したり、卒業証書をいただいたり、校長先生がカツラをカミングアウトしたり、至ってふつうの式でした」

「あきらかにふつうじゃないやつが混ざってるな」


 さらりとなに言ってんだ。


「えっ、悠真さんの小学校は卒業証書がなかったんですか?」

「それじゃねえ。カミングアウトのほうだよ」

「えっ、悠真さんの小学校の校長先生は『みなさんが卒業するタイミングに合わせて、私もカツラを卒業します!』って言わなかったんですか?」

「言うわけねえだろ」

「あー、麗千は私立ですからね」

「そういう問題じゃねえ」

「『私がカツラだったことは忘れても、麗千のことは忘れないでください』という名スピーチには拍手喝采でした」

「アイドルの卒業コンサートか」


 完全に校長のための式典になってるじゃねえか。

 個人的には見てみたいけど、生徒と保護者はキレていい。


「ふふふ、冗談ですよ、悠真さん。うちの校長は女性ですし、カツラなんてしてません。ちゃんと生徒のことを考えてくれるいい先生です」

「そんないい先生をネタにするな」

「ごもっともですね。すみません」


 と、えりりは麗千がある方角にぺこりと頭を下げた。


「で、けっきょく式は滞りなく終わったのか?」

「そうですね」

「泣いたりはしなかったか?」

「そういう人もいましたけど、わたしは泣かなかったです。感慨深い気持ちにはなりましたが」

「ふうん、なんかあっさりしてるな」

「まあ、同級生はそのまま中等科に進学しますからね」

「あー、そうか。友達との別れとかがないのか」


 それこそ、私立ならではの部分だ。


「ただ、先生や校舎と別れるのは、ちょっとさびしかったですけどね」

「あと、制服もだろ?」

「はい。もうこの制服に袖を通すことはないと思うと、なかなか脱ぐ気になれなくて」


 そう言って、えりりは照れたように笑った。


「でも、いつまでもこのままでいるわけにはいかないので、悠真さん、着替えさせてもらってもいいですか?」

「いいわけねえだろ自分で着替えろ」

「えぇー、卒業祝いということで、それくらいしてくれてもいいじゃないですか」

「卒業祝いならこれをやるよ」


 俺は机の引き出しを開けて、買っといたプレゼントを取り出し、えりりに手渡した。


「えっ、このまえ素敵なハンカチをいただいたばかりなのに、いいんですか?」

「どっちもそんな高いもんじゃないから気にするな」


 ちなみに、ハンカチというのはホワイトデーに贈ったもので、今回はちょっといいシャープペンシルにしてみた。

 えりりはさっそく開封して、うれしそうに笑みを咲かせる。


「わ、素敵ですっ。これがあれば、中学の授業も楽しく受けられそうですねっ。ありがとうございますっ」


 お気に召してくれたようでなによりだ。


「あー、もう、早く中学生になりたいですね。悠真さんのおかげで、がぜん楽しみになってきました」

「へえ、そうなんだ」


 俺は勉強が難しくなるのが面倒で、あんまり中学生になりたいとは思わなかったけどな。

 まあ、なってみれば、こんなもんかという感じだったけど。


「中学でなにかやりたいことでもあるのか?」

「いえ、そういうことではなくて、早く成長したいんです」

「なんで?」

「そんなの決まってるじゃないですか」


 えりりはほんのり顔を赤らめ、まっすぐに告げた。


「早く、悠真さんのお嫁さんになりたいからです」


 …………いや、だからさ。

 そういう恥ずかしいことを面と向かって言うなって……。


「……小学校だけじゃなくて、俺からも卒業したほうがいいんじゃないか?」

「ふふふ、イヤです」


 照れ隠しの軽口を叩くと、えりりははにかんで、ぺこりと頭を下げた。


「それだけは絶対に卒業しませんので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

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