第5話 初めてのお宅訪問
放課後。
学校から帰ってくると、自宅のドアの前でえりりが体育座りしていた。
「……なにやってんの?」
俺は驚き半分あきれ半分で訊ねる。
「あ、悠真さん。おかえりなさい」
にこりとしてえりりは立ち上がった。
お尻の下にハンカチを敷いていたらしい。えりりはそれを拾い、ささっと払ってポケットにしまった。見慣れた制服ではなく、白を基調としたワンピースである。
そういや仲良くなって以来、私服のえりりを見るのは初めてだな。麗千の制服も似合っていたけど、こちらも清楚な雰囲気で魅力的だ。
しかし、いまは賛辞よりさきに問わねばならないことがある。
「いや、おかえりじゃなくて、なにやってんの?」
「悠真さんを待ってたんですよ」
えりりは当然のことのように答えた。
「待ってたってなんで?」
「なんでって、今朝のことをもうお忘れですか? 漫画を読ませてもらう約束をしたじゃないですか」
「あー」
とりあえず、えりりがここにいる理由は理解した。
だけどそれ、今度って言わなかったか?
まさか今日のことだとは思わなかった……。
まあでも、べつに問題はないか。
このあと予定があるわけじゃないし。
「いきなり来てご迷惑でしたか?」
えりりがやや不安そうに言った。
「いや大丈夫。びっくりしただけ」
ポケットから家の鍵を出す。解錠。ドアを引きながら言う。
「じゃ、上がってきなよ」
「え、いいんですか?」
ぱあっとえりりの表情が華やいだ。
「いいよ。そのためにきたんだろ?」
「はい! 漫画を借りるだけになるかお邪魔できるかは五分五分だと思ってましたが、わたしは賭けに勝ったようです!」
「あ、そうか」
賭けというのはさておき、えりりの言った選択肢にいまさら気がついた。
「べつに上がらなくても、漫画だけここで渡せばいいのか」
「ちょっ、そんなこと言わずに、お邪魔させてくださいよっ」
「え、お邪魔したいの?」
俺なんかは他人の、しかも年上の異性の家なんて、緊張するから上がりたくはないけどな。しかし、えりりはそういうとこで物怖じする性格じゃないらしい。
「もちろんです。本当にお邪魔じゃなければぜひお願いします」
「ま、それならいいけど。どうぞ」
「わーい、お邪魔します」
えりりは俺に続いて我が家に上がった。
きちんと靴をそろえているのが、いかにも麗千の生徒っぽい。
廊下を数歩進み、左手のドアを開ける。
なかに入り電気をつけた。
「わー、ここが悠真さんのお部屋ですか」
えりりがきょろきょろと室内を見回す。
俺の部屋は勉強机兼パソコンデスク、小さめのテレビ、大きな本棚がふたつ、シングルベッドでほぼ占められている。見られて困るものはないけれどなんとなく照れる。
「なかなかきれいに片付いてますね」
「おととい掃除したばかりだからな」
俺はマメに掃除するタイプではない。気が向いたときにがっつりやることが多く、だから今日片付いてるのはたまたまだった。まあ、でなければえりりを入れたりはしない。
「ここにこれまで何人の女子をだまして連れこんできたんですか?」
「人聞きの悪いこと言うな」
と、ツッコんで気づく。
「そういや、この部屋に入れた女子はえりりが初めてだな」
「おっと、それはうれしい情報ですね」
にやりと笑むえりり。
「相合い傘に続き、またしても悠真さんの初めてをいただいてしまいましたか」
「……不本意だけどな」
「わたしは初めて入った男子の部屋が悠真さんのでうれしいですよ」
「そりゃどーも」
それがたとえ女子小学生からのお世辞でも悪い気はしない。
「とりあえず座りなよ」
一枚しかない座布団を勧める。俺のぶんはあとでリビングから持ってこよう。
「ありがとうございます」
えりりは素直に腰を下ろした。
「麦茶とジュースならどっちがいい?」
小さなテーブルを出しながら訊ねる。
「いえ、そんなお構いなく」
「俺が喉かわいてるんだよ。なんかリクエストしてくれ」
「では、麦茶をお願いします」
「はいよ。用意してるあいだ、勝手に物を漁ったりするなよ」
と釘を刺したら、えりりは悪戯っぽく笑った。
「えっちな本があるからですか?」
「んなもんねえよ」
「えっ、それはそれで年頃の男子としてどうなんですか……?」
なぜか心配そうに見つめられてしまった。エロ本を持ってないという理由で、女子小学生から。
いや、このくらいの女の子ってもっと潔癖なんじゃないの? エロに関して寛容すぎるだろ。
「あっ、もしかしてパソコンのなかにあるんですか?」
「いいか、絶対にパソコンの電源はつけるなよ、絶対にだ」
掘り下げられたら困るので、強引に話を打ち切った。
さっさと麦茶を取ってこよう。えりりを信頼してキッチンに向かう。冷蔵庫から麦茶を出してふたつのグラスに注ぐ。ついでに買い置きしてあったスナック菓子も持っていく。
――で。
部屋に戻ったらえりりが人のベッドで横になっていた。布団も被ってばっちり寝る体勢である。
「おいこら、なにしてんだよ」
グラスとお菓子をテーブルの上に置いて、俺は布団を引っぺがす。
「きゃっ」
布団を剥がれたえりりは上半身を起こして胸を抱く。
「悠真さんのえっち」
「なにがえっちだよ。人のベッドに軽々しく乗るな」
「すみません。好奇心に勝てなくて……」
「なんの好奇心だよ」
「ラブコメとかでよくあるじゃないですか。気になるあの人の物の匂いをかいでしまう、あれみたいなものです」
「……だったらせめて、俺が戻ってきたときもっと慌てろ」
そこまでワンセットのお約束だろうが。
「より堪能するために、あえて開き直ることにしました」
「……恥ずかしいからやめてくれ」
「ほう、悠真さんは恥ずかしい匂いをしていると思っているんですか?」
「自分の匂いなんてわかんねえよ。でも、かがれるのは恥ずいだろが」
「そうですか?」
「そうだよ。えりりだって、もし俺がえりりの布団をかいでたらイヤだろ?」
「えっ、悠真さんそんなことしてるんですか!?」
「してるわけねえだろ! もしだよ!」
「もし、という程度にはそれを実行する可能性があると!?」
「ねえよ!」
おまえは俺をどんな人間に仕立てあげたいんだ……。
社会的に抹殺されたらどうすんだよ。
「てか、いい加減下りろ」
「いえ、わたしはこちらで大丈夫です。ベッドのほうが落ち着きます」
「なんでだよ」
「実は我が家でもわたしの部屋はこの位置で、しかも同じところにベッドがあるんですよ」
「へえ、そうなの?」
「はい。だから自分の部屋じゃなくても妙にしっくりきます」
「ふうん」
そりゃ奇遇だな。
いや、でも、間取りがだいたい同じなら、そうなるのも自然なのか。この部屋が一番小さいから子ども部屋になる確率が高いだろうし、ベッドを置く場所だってそこまで選択肢はないわけだし。
「だからって、そこに居続ける理由にはならないけどな」
と、えりりの両腕をつかむ。実力行使だ。
きゃっ、というえりりの短い悲鳴を無視してベッドから引きずり下ろし、そのまま座布団に座らせる。
「もう、女の子に乱暴とは感心しませんよ」
「女の子が男のベッドいるほうが感心しないよ」
これは口には出さないけど、ちょっと無防備すぎるぞ。もし俺がロリコンだったらどうするんだよ。
「……そうですね。すみません。テンション上がりすぎました。はしたなかったですね」
えりりは自分の非を認めてしゅんとする。反省したようだ。
「まあ、わかればいいよ」
元気をなくされるのもやりづらい。
「はい。以後、気をつけます」
「よろしい。これテキトーに食べな」
スナック菓子の袋を開ける。
「いただきます」
えりりは素直に手をつけた。麦茶もひと口飲んで、
「ところで、変なこと言ってもいいですか?」
「べつにいいけど」
「さきほどからずっと、平行世界に迷いこんだみたいな気分を味わってます」
「平行世界?」
また日常会話では縁のない単語が出てきたな。
「まったく同じ広さの部屋なのに、置いてあるものがぜんぜん違くて不思議な感じです」
「あー、なるほど」
同じ場所なのに景色が違う、みたいな感覚だろうか。それを平行世界と表現するのはおもしろい。
「そう言われると、俺もえりりの家に入ってみたくなるな」
「いいですね。いつでもお気軽にお越しください。おいしいご飯を作りますよ」
「飯を用意するのはえりりじゃなくてお母さんだろ」
さすがにそれは遠慮する。
うちと同じくえりりの家も共働きらしいし、なにかと忙しいだろう。
「いえ、料理するのはわたしですよ」
「え、そうなの?」
「はい。こう見えてもわたし、けっこう料理得意なんです」
「ふーん、麗千はそういうことも教えてくれるの?」
「そういう授業もありますね。悠真さんの小学校では調理実習とかなかったんですか?」
「いや、あったけどさ」
複数人で決められたものを何回か作っただけで、料理を覚えられたら苦労はしない。
「なるほど。そういう意味でも、たしかにうちは家庭科には力が入っていますね」
「さすがお嬢様学校だ」
「といっても、わたしの場合は学校ではなく、家で覚えたんですけどね。ほとんど毎日なにかしら作っています」
「へえ、そうなんだ。偉いな」
つくづくよくできた娘さんだこと。
翻ってすこし自分が情けなくなるな……。
「べつに偉くはないですよ。単純に好きでやってるだけなので」
「それでも充分に偉いよ。家事を手伝ってることはたしかだし」
「あ、好感度上がっちゃいました?」
「ああ。悔しいけど上がっちゃうな」
「ふふ、ありがとうございます。ぜひ今度、悠真さんにも振る舞わせてください」
「ぜひ。機会があったらごちそうしてくれ」
社交辞令とかではなく、本気でえりりの料理は食べてみたかった。
「はい、おまかせください」
えりりは自信ありげに微笑んだ。
このあと。
本題を思い出した俺は、青春野球漫画の金字塔『タッチ』をえりりに読ませた。さすがにタイトルは知っていたみたいだが、読むのは初めてのようだった。小学生だけあって過去の名作はほとんど手つかずらしい。いろいろと勧め甲斐があるというものだ。
そして予想どおり、いやこちらが期待した以上に、えりりは夢中になってくれた。
それは時間を忘れる勢いで、
「そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか? 続きを読みたかったら貸してやるから」
と何回かうながして、やっと立ち上がったくらいだ。
「ありがとうございます。……明日も、来てもいいですか?」
名残惜しそうにお願いされ、もちろんふたつ返事で了承した。
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