第20話 謝罪

「――ちょっと待ってください」


 ウエーターとしての役目を果たし、逃亡を図ろうとしたが……。

 案の定、えりりに呼び止められた。


 そりゃあなにもなしで下がらせてはもらえませんよね……。

 警察官に声をかけられた犯罪者ってこんな気持ちになるんだろうか……。

 とか思いながら、怖々と振り返った。


「……なにか?」

「ほかにお客さんはいないんですか?」

「そうですね。三十分くらい前まではけっこういましたが、いまは体育館でのステージが佳境なので、皆さんそちらへ行っているのかと思います」

「なるほど。ということは、店員さんはお暇ということですね?」

「……まあ、そうなりますね」

「では、ちょっと話に付き合ってもらえませんか?」

「……喜んで」


 俺は勧められた向かいの席に腰を下ろした。

 いくらか躊躇したけど、断る理由が思い浮かばなかったのだ。


「店員さんもなにか頼んでいいですよ? わたしが奢りますから」

「いえ、大丈夫です」


 試食で飽きるほど食べてるし、食欲なんてない。


「そうですか。では、わたしだけでいただきます」


 えりりはぱくりとクレープを食べる。


「ん、おいしいです」

「ありがとうございます」


 もうふた口くらい食べ進めたところで、


「ところで店員さん」


 と、えりりは話し始めた。


「こんなこと言われても困るでしょうが、わたしの知り合いに似ていますね」

「……知り合いですか」

「はい。そのかたは今日、お友達と渋谷へ買い物に行ってるんですよ」

「…………」


 うえ……なんだこれ。

 真綿で首を締めつけられているような気分、と言えばいいのだろうか……。

 傍から見たら穏やかにしゃべってるだけに見えるだろうけど、息が止まりそうだ。

 全力で走ったあとみたいに、心臓がドキドキ鳴っている。


「もしかしたら……」


 俺は慎重に言葉を選んだ。


「そのかたは、僕の知っている人でもあるかもしれません」

「あら、そうなんですか?」

「はい。そのかたから伝言を預かっております。もし、あなたのような可憐なお嬢さんが来店してきたら、こう伝えて欲しいと」

「……なんでしょう?」

「――たいへん申し訳ありませんでした」


 俺は額がテーブルにつくほど、深々と頭を下げた。


「顔を上げてください」

「……」


 おそるおそる体勢を戻すと、えりりはくすくす笑っていた。

 さきほどまでの演技ではなく、自然な笑顔だ。


「許してあげます」

「……まじで?」

「はい。ただし」


 思いきりジト目を向けられる。


「理由は説明してください」


 あ、やっぱ怒ってないわけじゃないのね……。


「ややこしいことになるのが面倒だな、と思って」


 うその釈明にうそをついても罪が重くなるだけなので、正直に告白した。


「ややこしいことってなんですか?」

「だってえりり、俺のクラスメイトに『川原悠真の妻です』とか、ムチャクチャなこと言いそうじゃん」

「うわー、たしかに言いそうですね」


 えりりは苦笑した。


「だろ?」

「はい。ですが、お弁当の一件でわたしも反省しましたから、そこは自重しますよ」

「ほんとに?」

「ほんとです。このわたしが悠真さんを困らせることをすると思いますか?」

「ちょっと思う」

「ですね。ちょっとはします」

「おい」

「でも、ちょっとです。そこまでのことはしません。ですから、きちんと呼んでいただきたかったです」

「……まあ、それについては本気で悪かったよ。後悔も反省もしてる」

「そのようなので、許してあげることにしたんです」


 満足げに言って、えりりはクレープにまた口をつけ始めた。


「俺からもひとつ訊いていい?」

「ん、いいですよ」

「なんでわかったの?」

「ふふ、簡単な推理ですよ」


 えりりは上品に紅茶を飲んで、


「まず、悠真さんの制服がありませんでした」

「あ」

「部活に入ってない悠真さんが休日に制服を着るのはおかしいです。で、ネットでこちらの高校の行事予定を調べてみたら案の定でした」

「……おまえ、探偵になれるよ」

「悠真さんが間抜けなだけです。これくらい女なら誰でもできます」

「……さいですか」


 間抜け呼ばわりに返す言葉はなく、肩を落として嘆息した。

 と、そこで、


「あーっ、川原くんが美少女と戯れてるーっ!」


 無駄に大きな声を上げて、三浦さんが調理場からこちらに歩み寄ってきた。


「うわ、近くで見るとますます美少女だ! なになにっ? どうしたのっ? どういう関係っ?」


 きゃあきゃあはしゃぎながら、三浦さんはいろんな角度からえりりを眺める。テンションたけえな。


「……悠真さん、この失敬な人はどなたですか?」


 えりりが顔をしかめて訊ねてきた。


「うちのクラスの委員長、三浦陽那さん」

「――三浦? へえ、この人が」

「え、知ってるの?」

「お祭りのときに名前が出てたじゃないですか」

「あー、よく覚えてたな」


 直接会ったわけでもないのに。ふつうにすげえ。


「なになにっ? あたしの噂? てゆーか川原くん、早く紹介してよ。じゃないと通報しちゃうぞっ」


 ……ナチュラルに怖いこと言わないで欲しい。


「この娘は同じマンションの住人で、大江えりりさん。妹みたいなもんだよ」

「……どうも」


 えりりは軽く会釈をした。

 ごきげん斜めなのか、普段のえりりからするとやや無愛想な態度である。


「へぇー、ひとりで来たの?」


 気にした風もなく、三浦さんは朗らかに訊ねた。


「そうです」

「川原くんに会いに?」

「はい」

「わー、川原くん慕われてるねー」


 うらやましいぞこのこのー、と肘をぶつけられる。

 他意はないとわかっていても、俺はちょっとドキリとした。三浦さんは異性でもごく自然にこういうスキンシップができる。天然の小悪魔系だ。モテない男子はすぐ惚れてしまうので、安易にそういうことをするのはやめていただきたい。


 俺から離れて、三浦さんはえりりに近づく。


「クレープどうだった? あたしが作ったんだけど」

「ふつうでしたね」


 えりりは素っ気なく答えた。


「さっきおいしいって言ってたじゃん」

 思わずフォローを入れる。


「……ですから、ふつうにおいしかったということです」

「大事なほうを削るなよ」

「あはは、ありがと」


 三浦さんは楽しそうに笑った。


「うれしいから代金はタダでいいよ」

「え、いいですよ、払いますよ。悠真さんが」

「俺かよ!」


 なんだよそのフェイント。百円だし、借りがあるからべつにいいけど。


「じゃあ、川原くんの給料から引いとくね」

「給料なんてあったの?」

「時給クレープ一個」

「安っ」


 しかも現物支給て。とんだブラックだ。


「まあ、冗談はさておき。とっくに原価は回収してるし、どうせ売り上げは学校に取られちゃうから、お金はいらないよ」

「……では、ごちそうになります」


 えりりが控えめにお礼を言うと、三浦さんはニカッとピースした。


「ぜんぜんおっけー。なんならおかわりいる? てゆーか一緒に作ろうよ。クレープパーティーしよう」

「いや、それはダメでしょ」

「なによ、バイトの分際で店長に口答え? いいじゃん、どうせもうすぐ終わりだし」

「職権乱用だ……」


 誰だ、こんな横暴なやつをリーダーに選んだのは。俺もふくめたクラスのみんなだ。


「どう? えりりちゃん?」

「……せっかくですが、お気持ちだけ」

「川原くんの学校での様子とか話してあげるよ」

「ぜひ作らせてください。実はもっとクレープ食べたかったんです」


 と、えりりは立ち上がる。三浦さんと並んで調理場のほうに足を向けた。


「……ふたりとも、ちょっと待とうか」

「川原くんって変わってるよね」

「ですね。たぶん自覚ないでしょうけど」

「おいこら、聞けよ」


 てゆーか、おまえらに変わってるとか言われたくねえ。

 勝手にあれこれ話されてはたまらないので俺もついていく。


 で、本当に自由にクレープを作った。

 頼みの綱だった長峰さんも、止めるどころかノリノリで参加した。


 三浦さんによる俺についての話は、眠そうなわりに意外とちゃんと授業を受けてるとか、真面目に掃除をやってるとか、弁当をおいしそうに食べてるとかそんな感じで、聞いてて切なくなるほど地味な内容だった。まあ、目立つようなことはなにもしてないからな……。


 それより特筆すべきは、やはりえりりの料理の腕だろう。えりりはクレープを何枚も重ねて、即興でミルクレープを作った。

 これがまたうまかった。クレープには飽きていた俺もぺろりと食えてしまったほどだ。むろん、三浦さんと長峰さんも大絶賛した。


 ほかのクラスメイトがちらほら戻ってきたあたりで、えりりは帰った。おそらく俺に気を遣ったんだろう。もうちょっといれば? と引き留めようかと思ったが、数人ならまだしも十人以上の高校生に囲まれるのもしんどいかと思い直して、なにも言わなかった。三浦さんは大量のおみやげをえりりに持たせていた。



 そのあと。

 文化祭が無事に終わり、クラスでの打ち上げの席で、こっそり三浦さんが話しかけてきた。


「えりりちゃん、かわいくていい娘だったね」

「……まあな」


 単純に、いい娘なだけではないんだけど。


「川原くんのお弁当を作ってるのって、お母さんじゃなくてえりりちゃんでしょ?」

「――っ」


 予想外の指摘に絶句すると、三浦さんは「やっぱし」と笑った。


「……なんでわかったの?」

「だってすごい料理上手っぽいし、川原くんのお弁当の話のときうれしそうだった」


 それに、と三浦さんはニヤニヤして、


「川原くん好き好きオーラが半端なかったもん」

「……なんだよそのオーラ」


 俺はげんなりと返した。


「や、まじで。後半はやわらいだけど、最初のほうあたしめっちゃにらまれてたし」

「にらんでた?」


 たしかに無愛想ではあったけど、そこまで露骨じゃなかったと思うが。


「心の目でだよ。女子にはわかるの」

「……さいですか」


 えりりの言うとおり、女の観察力は男が思っている以上にすごいらしい。


「てか三浦さん、その……弁当の件は、ほかの人には秘密にしといてもらえる?」

「いいよ」


 おずおずとお願いすると、三浦さんはあっさりとうなずいた。


「でも、条件がある」

「条件?」

「今度、あたしにもえりりちゃんのお弁当を食べさせて」

「……えりりが許可してくれたらね」

「やった。それでいいよ。それと、もうひとつ」

「え、まだあるの?」

「うん。お弁当はあたし個人としてで、いまから言うのは学級委員として」

「なに?」


 三浦さんは真剣な面持ちで言った。


「手は出しちゃダメだよ?」

「出さねーよ!」

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