第19話 文化祭

 しつこかった残暑も消え去り、空気がすっかり秋めいてきた、十月下旬の金曜日。

 夕食のあと、俺はなるたけ自然に切り出した。


「えりり、ちょっといい?」

「なんですか?」

「明日なんだけどさ、俺のぶんの飯は作ってくれなくて大丈夫だわ。ちょっと出かける用事ができちゃって」

「え? あ、はい。三食ともですか?」

「ああ。けっこう朝早くから出てくし、夜もいつ帰ってくるからわからないから」

「はあ、わかりました。ちなみにどんな御用ですか?」


 予想どおりの質問に、俺は用意していた答えを口にする。


「クラスの友達に買い物に付き合ってくれって頼まれたんだ」

「へえ、どちらまで行くんですか?」

「渋谷って言ってたな」

「微妙に遠出ですね」

「なんかいろいろほしいもんがあるらしい」

「ふうん……いちおう訊いておきますが、まさか、デートじゃないですよね?」

「ちげーよ。男三人という切ない構成だよ。ほら、祭りのときに会ったやつら」

「ああ、あの方たちですか。それなら安心ですね」

「……てゆーか、もしデートだったらどうするんだ?」

「そんな話はもしでさえ想像したくありませんけど――まあ、とりあえず尾行じゃないですか?」


 なかなか斬新な『とりあえず』だな……。

 尾行って言葉はそんな気軽に使うもんじゃないと思う。


「それで、いい雰囲気になりそうだったらぶち壊します」


 ひでえ、と俺がうめくと、えりりは小首をかしげた。


「え、どこがですか?」

「…………」


 言葉にならねーよ。


「もう、冗談に決まってるじゃないですか」


 えりりが苦笑する。


「引かないでください」

「……じゃあ、本当はどうするんだよ?」

「泣きます。超泣きます」

「……それはそれでイヤだわ」

「そして立ち直って、そのデートの相手より魅力的になって、悠真さんを奪い返して、ゴールインです」

「意外とポジティブだな」


 奪い『返して』というのが気になったけど、そこはツッコまないでおいた。




 明けて土曜日。

 休日ということで、いつもならえりりが許す限り惰眠を貪るのだが、今日は予定があるので普段と同じ時間に起床した。


 ただし、昨夜えりりに話したのはうそだ。行き先は渋谷ではなく学校である。

 今日は俺が通う高校の文化祭二日目だった。

 平日だった昨日は学校内だけのもので、今日は一般開放をしている。


 うそをつくのは心苦しかったけど、正直に言ったらえりりは絶対にやってくるだろう。そうなると、ややこしいことになるのは容易に想像できる。特に近頃のえりりはぐいぐい来るしな。俺は無難な高校生活を送りたい。マザコンだけでもしんどいのに、さらにロリコンの称号まで得たくなかった。


 それにうちの文化祭はしょぼい。すごいやる気だねーと前評判の高いうちら二年B組にしたって、ホットプレートで作るクレープとティーバッグの紅茶を出す喫茶店もどきをやるだけだ。見るべきものだって特にないし、来たってたいしておもしろくない。


 というわけで、えりりには黙っておくことにした。

 ――のだが。


「チョコクレープひとつと、紅茶をください」

「…………」


 時刻はちょうど午後四時。

 一日ずっと盛況だったが終了まで残り一時間となり、ようやく客足が落ち着いてきた。

 そして、ついに店内のお客さんがゼロになった――と思ったところで。


 にこにこと無邪気な笑みを浮かべた女子小学生が。

 まあ、要するに、えりりが。

 お客としてやってきた。


 ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?


 くらいびびった。


「……な、なんで?」


 必死に平静を装い、小声で訊ねた。


「なんで? これは店員さんおかしなことを言いますね。このお店は注文するのに理由が必要なんですか?」

「……そうですね、すみません。少々お待ちを」


 一礼し、俺は調理場に行って注文を伝える。

 ちなみに、調理場といってもパーティションで区切ってるだけで同じ教室内だ。


「ちょチョぷレープとこうたゃお願い」


 噛みまくった。自分で思っている以上に、俺は動揺しているようだった。


「あはは! 川原くんカミカミ! どしたの?」


 三浦さんに爆笑されてしまった。すげー恥ずい……。


 三浦陽那。

 ショートカットがよく似合う、我らが学級委員長だ。明るく裏表のないさっぱりとした性格で、男女共に人気がある。いろんな意味でクラスの中心人物だ。


「なんでもないよ。よろしく」

 俺は曖昧に笑って誤魔化した。


「はーい」

 三浦さんは慣れた手つきで、ホットプレートに生地を落とし始めた。


 べつの女子、セミロングのおっとり系美人、長峰さん(三浦さんの親友で、二年B組の影のボスと呼ばれている)が紅茶の準備をする。


 現在、調理担当はなんとこのふたりしかいなかった。材料を余らせても仕方ないということで一気にクレープを量産し、ほぼすべての人員を移動販売に回したのだ。


 そしてなんとなんと、給仕担当は俺だけだった。

 みんな外回りを希望して、気がつくと教室に俺しか残っていなかったのだ。


 まあ、俺はべつに見に行きたいところもないし、歩き回るより教室にいたほうが楽でいいか、と思っていたのだけど、完全に裏目に出てしまったな……。ほかに客もいないし、いまフロアに戻ったらえりりとマンツーマンだ。


 いや、考えようによってはまだマシか。

 ふたりきりというのはフォローしやすいということでもある。


 とはいえ。

 やばいよなぁ、絶対怒ってるよなぁ……。

 と苦悩していると、三浦さんが声をかけてきた。


「あれ、川原くんフロアに戻らないの?」

「……いや、ちょっと急に立ちくらみがして」

「うそっ、大丈夫?」


 口からでまかせなのに、三浦さんは真面目に心配してくれた。

 あぁ、今日はよくうそをつく日だな、と俺は自己嫌悪に陥った。


「というか川原くん、朝からちょっとおかしいよね?」

「え、そんなことないと思うけど」

「いや、あるでしょ。だって、昼にご飯食べにちょっと抜けただけで、あとはずっと教室にいるじゃん。働いてくれるのは助かるから放置してたけど、やっぱり変だよ」

「そうかな? ウエーターやるの意外と楽しいんだよ」


 うそを重ねる。

 本当はえりりに対する罪悪感で、文化祭を楽しむ気になれなかっただけだ。


「えー、ぜんぜん楽しそうに見えないけど?」

「それは性格だよ。三浦さんみたいにはっきりと感情が出るタイプじゃないんだ」

「それ、あたしのことバカにしてる?」


 ジト目になる三浦さん。


「違うよ。むしろ褒めてるんだ。感情を素直に表現できるのは大きな魅力だと思う」

「――ならいいけど」

「陽那、焦げるよ」


 と、長峰さんが注意した。


「あっ、ナイス千絵!」


 三浦さんはフライ返しを巧みに操り、綺麗に生地をひっくり返した。簡単そうに見えるけど、下手な人がやるとすぐ破れる。二日間で熟練した技だ。

 裏面はささっと焼いて、巻紙の上に移す。生クリームとチョコソースをかける。巻くというよりは折りたたむようにして、完成。


「はい」

「どうも」


 俺は三浦さんからクレープ、長峰さんから紅茶を受け取って、お客様のもとに持っていく。


「お待たせしました」


 えりりのテーブルに、丁寧に配膳した。


「それでは、ごゆっくり」


 と俺はまた調理場に退散――


「ちょっと待ってください」


 ――しようとしたところで呼び止められた。


 ですよね……。

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