えりりと俺~五年後を見据えたお嫁さん計画~
暁雪
第1話 とりあえず一緒に帰ろうか
梅雨入りを感じさせる、ある雨の日のこと――
学校からの帰り道、図書館の軒下で途方に暮れている女の子を見つけた。
小学校の高学年くらいで、この辺りでは有名なお嬢様学校、麗千女学院の制服を着ている。
女の子がなにに困っているかは一目瞭然だった。
彼女の手に傘がなかったからだ。
雨は一時間ほど前から降り出した。
おそらく、天気予報を見ずに図書館までやってきてしまったのだろう。
あーあ、可哀想に。
と同情しつつも、俺はそのまま通り過ぎようとした。
冷たいと言われてしまうかもしれないが、雨の日に傘がない子どもをいちいち助けてやるほど俺はお人好しではない。この季節ならたぶん、風邪をひくこともないだろうし。
しかし近づくと、その女の子に見覚えがあることに気がついた。
同じマンションの住人だ。名前までは知らないが、エレベーターで一緒になったとき、挨拶くらいは交わしたことがあった。
そうなると、話が変わってくる。
俺はお人好しではないけれど、ご近所さんが困っていたら声をかける程度の良心は持っていた。
「こんにちは」
とりあえず挨拶すると、女の子はびくっとしてこちらを見た。
あっ、と口が開かれる。そして、
「……こんにちは」
と遠慮がちに挨拶を返してくれた。
その反応を見る限り、一応顔は覚えてもらっていたらしい。
俺はひそかにほっとして、「傘、ないの?」とわかりきっていることを訊ねた。
「……はい、やられました」
女の子は敬語で答えてくれた。
さすが麗千女学院。実に礼儀正しい。小学生だった頃の自分とはえらい違いだ。
――ん? やられました?
なんとも引っかかる物言いである。
「やられましたって、雨にっていう意味じゃなくて?」
「いえ、雨は予想していました。正確には予報を見ていました。なので、そうではなく、傘を盗まれてしまったという意味です」
女の子はすらすらと答える。滑舌がよくて、聞き取りやすい。容姿も控えめに言って整っているし、将来女子アナにでもなったら人気を博しそうだ。
さておき。将来よりもまずはいまだ。
「あー、それは災難だったね」
と、俺はなんの慰めにもならないことを言った。
女の子は憤慨した様子で、
「ええ、本当に最悪です。水色でお気に入りのやつだったのです。まったく、天気予報は降水確率だけでなく、傘盗まれる確率も出すべきだと思います」
「いや、さすがにそんな確率を出すのは難しいんじゃないかな」
気象庁も驚きの要望である。
責めるべきは窃盗犯のほうだろう。
ただ、本気で言っているわけではなさそうだ。
俺がくすりと笑うと、女の子の表情もやわらいだ。
「まあ、とりあえず一緒に帰ろうか」
と、傘を女の子のほうに傾ける。
すると女の子は警戒するように身を引いて、目を細めた。
「……身体目当てですか?」
「ちがうよ!」
びっくりした。いきなりなんてことを言うんだ。
「では、お金目当ての誘拐ですか?」
「ちがう!」
自分と同じマンションに住んでる子どもを誘拐するやつなんていねーよ。
「えー、じゃあ、なに目当てなんですか?」
むぅ、と女の子はくちびるをとがらせる。
「ヒントくださいよ、ヒント」
「ヒントって……」
「ノーヒントじゃわかりませんよ」
「いや、いつからクイズ形式になったんだ?」
「正解したらハワイ旅行ですよね?」
「そんな賞品はない」
「えーっ、だったらさっさと正解発表してくださいよ! 参加して損しました!」
「……なんで俺、怒られてるの?」
近頃の小学生はよくわからん。これがジェネレーションギャップってやつか。俺が小学校を卒業して、もう四年以上経ってるもんな。そういえば、山口先生はまだあの学校にいるんだろうか……。
「お兄さん、早く正解をお願いします」
俺が思い出に浸りかけたところで、女の子が急かしてきた。
「驚愕の答えはCMのあと! とかそんな引っぱりはいりませんよ」
「はいはい。せーかいは、ただの親切だよ」
「ん?」
女の子が小首をかしげる。小動物っぽくて、なかなかかわいい仕草だ。
「えーと、ごめんなさい。つまり、どういうことですか? もうちょっとわかりやすくお願いします」
「充分わかりやすいだろ。きみが濡れると可哀想だと思ったからだよ」
「お兄さんは傘のない子どもにいちいち声をかけるお人好しですか?」
「いーや」
まさにそんなことを考えていたから、思わず苦笑がもれる。
「単に同じマンションの住人だからだよ。一緒に帰ればきみが濡れないですむだろ」
「たしかにそうですね。もしかしてお兄さん、天才ですか?」
「凡人だ」
こんなことで天才呼ばわりされても、うれしくもなんともない。
てゆーか、中堅高校で平凡な成績を取ってる俺より、麗千に通うこの娘のほうがずっと頭の出来はいいだろう。
「そういうことならお兄さん、この大江えりり、喜んでお供させていただきます」
ぺこりと、女の子は深々とお辞儀をした。
「わたしのことは親しみを込めて、えりりんと呼んでください」
「それは恥ずかしいから遠慮する」
「あら、そうですか。では、ストレートにえりりとお呼びください」
「いや、ふつうに大江さんでいいだろ」
「……お兄さんが名字フェチならそれで構いませんが」
「そんなフェチはない」
いや、広い世の中にはあるかもしれんが……。
すくなくとも俺には、そんな特殊な嗜好はねえ。
「でしたら、名前で呼んでいただきたいです。えりりという名前、わりと気に入っているんですよ。ひらがな三文字でえりり。かわいいでしょう?」
「まあね」
自分で言うな、というツッコミは心のなかだけに留めておく。実際かわいいし。
「お兄さんの名前はなんですか?」
「川原悠真だよ」
「では、親しみを込めてゆーまっちと呼ばせていただきます」
「親しみすぎだ」
むしろ馴れ馴れしいぞ。
「では、UMA」
「人をネッシーみたいに言うな」
地味ながらも、いろんな人に確認されまくりながら生きているよ。
「では、ご主人様」
「人を変態に祭り上げるつもりか」
勘弁してくれ。マンションから追い出されてしまう。
「むー、なんとも難しいお兄さんですねー」
「難しくしてるのは自分だろ。俺は至ってイージーな男だぜ」
「ルイージな男?」
「言ってねえ」
「脇役な人生ってことですか?」
「だからルイージなんて言ってない。イージーだよ、イージー。それと、言っておくが、俺の人生の主役はいつだって俺だよ」
「おおー、かっこいいです」
ぱちぱちとえりりは手を叩く。
「『俺の人生の主役はいつだって俺だよ』ですか。メモしていいですか?」
「恥ずかしいからすんな」
「恥ずかしいんですか? 恥ずかしいセリフを自ら口にしたんですか? ――なるほど、あなたが変態ですね」
犯人を名指しする名探偵のように、えりりはキメ顔で言った。
「ちょっ、待ってくれ。そんなつもりじゃなかったんだ」
「ふん、それは犯罪者の常套句ですよ。さあ、おとなしく自首しましょう。人生はいつだってやり直せます」
「うっせえ」
なんで小学生に人生を説かれなきゃなんねえんだ。
「話を進めようぜ。俺の呼び方どうすんだよ」
「どうしましょうか。うーん、マスターのオススメはなんですか?」
「誰がマスターだ。まあ、無難に川原さんとかでいいよ」
「やっぱり名字フェチじゃないですか」
「フェチの判定がガバガバすぎんだろ」
「女子小学生にフェチを押しつけるなんて……これが令和の男子高校生ですか」
「押しつけてねえし、時代の語り方が雑すぎるわ」
令和の気持ちもちょっとは考えてやれ。
この際、俺の気持ちは置いといていいから。
「んー、でもあいにくですが、名字呼びだとちょっと不安があるんですよね」
「不安?」
「ええ。カワハラさんではなく、セクハラさんと呼び間違えそうで……」
「もしそんな間違いをしたら、全国の川原さんに土下座して回れ」
「やっぱり、悠真さんと呼ばせていただきますね」
「……好きにしろよ」
はあ、と嘆息する。
大江えりり。
気軽に声をかけてみたけれど、ずいぶんトリッキーな女の子だな……。
でも、そのギャップは決して不快じゃない。それどころか、自分でも意外なほど楽しい気分だった。彼女の冗談のセンスに、俺はかなり惹かれるものを感じた。
「じゃあ、帰ろうか」
いつまでもこんなところで突っ立っていてもしょうがないのでうながすと、
「はい」
女の子――えりりは気持ちのいい返事をして、俺の傘に入ってきた。
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