第2話 傘の共有化
というわけで、えりりと一緒に帰ることになった。
図書館からうちのマンションまで、およそ十分の道程。
ふたり並んで歩き出す。
「相合い傘ですね」
えりりが照れたように言った。
「まあ、そうだけど」
「わたし、男の人と相合い傘するの初めてです」
「ふーん」
最近の小学生は進んでると聞いたことがあるけれど、えりりはそうでもないらしい。モテそうなルックスしてるのに。
「悠真さんはどうですか? これまで何人くらい悠真さんの傘下に治めてきましたか?」
「傘下の使い方がちげえ」
ヤのつく人みたいに言うな。漢字だけ見ると合ってるっぽいけど。
「で、どうなんですか?」
「……俺も初めてだよ」
誠に遺憾ながら、十七年ほどの人生で、そのような相手はいなかった。
「あら、それは意外ですね」
と、えりりは口元をほころばせる。
「なんでうれしそうなんだ」
「だって、わたしが悠真さんの初めての女ってことですから」
「そうだけど、変な言い方すんな」
知り合いに聞かれたらどう責任とってくれる。
「とても光栄です」
「なんでだよ。自分で言うのもなんだけど、俺なんかたいした男じゃないぞ」
「そんなことないですよ。実はわたし、かねてより悠真さんのことを密かに慕っていました」
「うそつけ。あんまり調子のいいこと言うな」
こちとら、それがたとえお世辞であろうと、褒められることに慣れてないんだよ。
「うそじゃないですよ。わたしはこれまで何回も、悠真さんに親切にしてもらっています」
「え、そんなことしたっけ?」
「はい。わたしと一緒にエレベーターに乗ると、悠真さんは必ずドアを押さえててくれます」
「そうだっけ?」
正直、あんまり覚えてない。
べつにたいしたことじゃないし。
「そうです。そのたびにわたしは王子さまにエスコートされるお姫さまの気分に浸っていました」
「大げさすぎるわ」
「まあ、そうですね。たしかにいまのは勢いで言っちゃいました」
てへ、とあざとく舌を出し、
「でも、ひそかに慕っていたのは本当ですよ? じゃなきゃ、男性と相合い傘なんてしません。ご存じのとおり、わたし、ガードの硬さに定評がありますからね」
「ご存じじゃねえ」
「ええっ!?」
「……なんで驚いてんだよ」
あきれる俺に、えりりは真剣な顔で問うてくる。
「悠真さんは、地球が太陽のまわりを回っているのは知っていますか?」
「知ってるよ」
もちろん。
「水が零度で凍りだすのは?」
「知ってる」
当然だ。
「なら、わたしのガードの硬さもご存じでしょう?」
「そこで『なら』が使われる意味がわからん」
ふふっ、とえりりは笑った。
「悠真さんはあれですね、丁寧にツッコんでくれますね」
「ふつうだよ」
「いえいえ、間が実に気持ちいいです。わたしも乗せられて、ついくだらないことを言ってしまいます」
えりりはまた楽しげに微笑んだ。
俺も釣られて、ちょっと笑った。
そんな雑談をしているうちに、家と図書館の中間地点である踏切までやってきた。
カンカンカンと、タイミング悪く遮断機が下りてくる。
仕方なく立ち止まって、交互に点灯する赤い電飾をなんとなく見つめた。
踏切で待っているときは、なぜかいつもこれを見てしまう。
雨はますます強くなってきた。
俺は若干、傘をえりりのほうに寄せた。
すると、えりりがくすりとする。
「そこまで気を遣わなくてもいいですよ」
「……べつに、気なんて遣ってねえよ」
「あはは、すみません。ここは気づかない振りをしたほうがよかったですかね?」
「知らん」
なんか照れるので、強引に会話を打ち切った。マラソン大会前に秘密の特訓を見られたかのような、微妙な気恥ずかしさである。
電車が通過して遮断機が上がった。
歩きだしながら、えりりが口を開く。
「ところで悠真さん。ちょっと考えたんですけど、聞いてもらえます?」
「いいよ。なに?」
「傘って、共有化したらいいと思いませんか?」
「……どういうこと?」
「ですから、公共の色んな場所に、自由に使える傘をあらかじめ置いておくんですよ。そうすれば、誰も人の傘を盗んだりしないでしょう?」
「なるほど」
えりりの言わんとすることがわかった。
どうやら、傘を盗まれたことを根に持っているらしい。そりゃそうだ。俺と会ったことでいちおうこうして濡れずにすんでいるが、お気に入りの傘をなくしたことには変わりない。
「二度と、こんな悲劇は起こってはいけないと思うんです」
昔ここで戦争があったんだよ、くらいのシリアスさでえりりは言った。
「そのために、傘の共有化か」
「そうです。日本はそろそろ、傘が盗まれない社会を築く段階にきています」
「どんな段階だよ」
「傘の共有化を行わないのは、政治家の怠慢です」
「手厳しいな」
どれだけ国民から批判されてきた政治家でも、小学生からそんな理由で斬られるとは思ってないだろう。
「でも、えりり。公共の施設にご自由にどうぞな感じで傘を置いたら、誰かがたくさん持ってっちゃうんじゃないか?」
「そうですかね? 傘なんて何本もあってもしょうがないじゃないですか」
「……まあ、そうだな」
それにその場合、無料で手に入るものだから尚更だ。
ふむ。そう考えると、むしろ逆か。
「傘をそこらへんに捨てる人が出てくるだろ」
雨が止めば傘は邪魔な荷物でしかない。
「む、たしかにそうですね。各自のモラルに期待したいところですけど、それができるなら、そもそも他人の傘を盗んだりしませんもんね」
んー、とえりりは十秒ほど考えこむ。
「じゃあ、共有傘をお金が戻ってくるコインロッカーみたいにするのはどうですか? 使う時に百円いるんですけど、所定の場所に返せば戻ってくるようにして」
「なるほど」
それなら、たとえ金はいらないから捨てようって人が出てきても、他の誰かが拾うだろう。俺だって百円もらえるならそうする。いい手だな。
だけど。
「根本的な問題、それをやるための予算はどうするんだ?」
全国に傘と傘置き場をいくつ用意すればいいかはわからんけど、半端じゃない額がかかることは間違いない。
「それは税金でなんとかします」
「言い切りやがったな……」
「たとえ増税したって、それはやるべき政策です!」
「どんだけ傘が盗まれない社会を目指してるんだよ」
消費税くらいしか税金を払ってないくせに。俺もだけど。
「でも、金の問題は税金だけじゃないぞ。そんなもん置かれたら、全国の傘屋が困るだろ」
「そうですか?」
「そうだよ。タダで使えるものを、誰も買おうなんて思わないだろ」
「いえ、それは違いますよ」
えりりは冷静に否定した。
「悠真さんは傘なんて雨がしのげればなんでもいいと思っているかもしれませんが、傘はファッションの一部でもあるんです。国が用意する共有傘なんてダサダサに決まっています。オシャレさんは傘屋さんで自分だけの傘を買いますよ」
「む……」
それはたしかに、そうかもしれない。
「それにビニール傘の影響で、すでに傘屋さんの売り上げはコンビニとか百円ショップに大分取られているでしょう。いまの時点で、こだわり派となんでもいい派は分かれていると思いますよ。むしろ、傘共有化が施行されることで、オシャレ傘がいまよりもっと注目されて、傘屋さんは潤うんじゃないでしょうか」
「……一理あるな」
まいった。言い負かされてしまった。
「ふふ、悠真さん。もう反論はないんですか? でしたら、わたしが選挙に出たあかつきには、清き一票をお願いしますよ」
えりりは得意げに胸を張った。
「ぐぐ……」
ちくしょう、あきらめるな。いくら俺が三流公立校で、相手が一流お嬢様学校とはいえ、高校生が小学生に負けるわけにはいかない。
――あ、そうだ。
「ふっ、えりり。お前はひとつ、大事なことを見落としてるぞ」
「え? なんですか?」
「えりりが盗まれたのはお気に入りの水色の傘と言ったな?」
「そうですけど?」
「つまり、えりりはオシャレな傘を持つ、こだわり派だ」
「そうですね。できれば、かわいいものを使いたいです」
その答えを聞いて、俺はにやりとして返す。
「となると、傘が共有化されても、やっぱりえりりの傘は盗まれる可能性があるよ。無料で使えるダサい傘は安全だろうけど、オシャレな傘はオシャレなだけに盗まれる危険がある」
「あっ!」
えりりは目を見開き、がくりと肩を落とした。
そのテンションの落ち方は、名探偵に証拠を突きつけられた犯人にも似ていた。
いや、べつに悪いことはなにもしてないんだけど。
「やはり、各自のモラルにまかせるしかないんですね……」
えりりは切なげに言った。
「そうだな……」
俺も切なげに返しておく。
「けっきょく、一番怖いのは人間だったオチですね」
「それをオチとしていいのはホラーだけだろ」
人間しか登場してないんだから当たり前だ。
そこでちょうど、俺たちが住むマンションに到着した。楽しいおしゃべりもここまでだ。
エントランスに入り、傘を畳む。
「悠真さん、どうもありがとうございました」
ぺこりと小さな頭を下げて、えりりは丁寧にお礼を述べた。
「こちらこそありがとう。おかげで、帰り道に退屈しないですんだよ」
「……わたしと話していて、つらくなかったですか?」
「ぜんぜん。楽しかったよ」
「本当ですか?」
「本当だよ。なんで?」
「……恥ずかしながら、わたしの話はどうもめんどくさいらしいんです」
「めんどくさい?」
「はい。たとえばさっきの傘の共有化ですが、実際にそんなことができないのはわかってるじゃないですか」
「そりゃね」
「そんな架空の話を、あそこまで真剣に付き合ってくれる人はなかなかいないんですよ。特にわたしのまわりには」
「ふーん」
まあ、麗千の生徒だしな。
ああいった無益な話を好むやつは、たしかにすくなそうだ。
「じゃあ、本音だということを強調するために、もう一回言っておこうか。俺はえりりと話せて楽しかったよ」
「……ありがとうございます。わたしもとても楽しかったです」
えりりは満面の笑みを浮かべた。
うん、無邪気でかわいらしい。
礼儀正しくて口調はおとなびているけど、笑うと年相応の女の子だな。
外はまだ雨だけど、この笑顔を見られただけで、気分は晴れだ。
エントランスを抜けて、エレベーターに乗りこむ。
俺とえりりはふたりとも三階の住人だ。
俺が306で、えりりが302。
うちのほうがエレベーターの近くにあった。
別れ際にえりりは言う。
「よかったら、またお話しさせてください」
「いいよ。いつでも声をかけて」
「はい。では、失礼します」
えりりは自分の家のほうに足を向けた。
――と思ったら、三歩目でいきなり振り返った。
「どうしたの?」
「もうひとつ、傘を共有化しないほうがいい理由を思いついてしまいました」
それを言うために足を止めたのか。俺は内心で苦笑する。
「これは決定的です。反論の余地がありません」
「なに?」
「もし傘が共有化されていたら、今日、悠真さんと出会うことはありませんでした」
「――そうだね。それは決定的だ」
「でしょう?」
「ああ、間違いない」
お互いに笑みを浮かべて、あらためて別れの挨拶をする。
「では、また。本当に話しかけますから、ちゃんと付き合ってくださいね?」
「いいけど、お手柔らかに頼むよ」
「それはどうでしょう」
えりりは悪戯っぽく言って、背中を向ける。
三歩目で振り返らないことを確認して、俺は自宅の鍵を開けてなかに入った。
こうして。
小学六年生の大江えりりと、高校二年生の俺は友達になった。
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