第4話 漫画の好みと異性の好み
頼んでもないのに陽は昇る。
朝がきたら学校に行かなければならない。
眠気と戦いながらルーチンをこなし、いつものように家を出る。と、
「おはようございます」
エレベーターの前に制服姿のえりりがいた。
本日も朝からしゃきっとした、よくできた小学生である。
「おはよう」
二日連続の遭遇だった。これまで一週間に一度見かければいいくらいだったのに、本格的に知り合ってから確率が上がった気がする。
マンションを出て、一緒に歩きながらそのことを振ると、えりりは実に単純な回答をしてくれた。
「だって、狙ってますから」
「狙ってる?」
「悠真さんに会える時間に合わせて、わたしも家を出ているんです」
「そうなの?」
「はい。昨日で悠真さんが家を出る時間を把握しましたからね。今日に限らず明日もあさっても、わたしはエレベーターの前で悠真さんに朝の挨拶をするでしょう」
「そういうことか」
そりゃ出会うわけである。
「白状しますと、相合い傘をしていただいてからわたし、毎日すこしずつ家を出る時間をずらしていました」
「俺と会うために?」
「そうです。なので、昨日会えたときはうれしかったですね」
「そりゃどうも」
ちょっと照れくさいけど、なんとも光栄である。
「ゲームでレアモンスターを見つけたときの気分でした」
「人をモンスター呼ばわりするな」
「もちろん褒めていますよ? 何度も言っていますが、悠真さんとのお話はとても楽しいのです。まるで最高級のブラックコーヒーのように、朝のわたしのテンションを上げてくれます」
「大げさだな。そんな褒めてもなにも出ないぞ」
「ちなみにわたし、ブラックコーヒー飲めませんけど」
「……だったらほかのたとえにしろ」
無理しておとなっぽいものでたとえるな。
「では、最高級のソフトクリームのようにと言い換えます」
「子どもらしいチョイスだけど、朝にソフトクリームは食べないだろ」
「なら、ひと晩寝かせたカレーのように、にします」
「ああ、それが正解かも」
翌朝のカレーのうまさは、子どもじゃなくてもテンション上がる。
さておき。
「エレベーターの前で待つのはいいけど、俺が遅刻したり、いつもより早く家を出たらどうするんだ?」
「困ります」
「……だよな」
なんか対策でもあるのかと思って訊ねたのに、ただのノープランだった。
「困り果てて待ちぼうけになるでしょう。ですから毎朝同じ時間に家を出てください」
「まあ、できるだけそうするよ」
「土日もですよ?」
「それはイヤだよ!」
休日は怠惰に暮らしたい。二度寝は当たり前で、できたら三度寝とかしたい。
「むぅ、では平日だけで我慢します。年下に我慢させるなんて、悠真さんはダメな高校生ですね」
「そもそも要求が無茶なんだよ」
てゆーか、
「わざわざ待ってないで、ふつうにインターフォンを押せばいいじゃん」
「え、いいんですか?」
えりりは目を瞬かせた。
「べつにいいよ」
「でもチャイムを鳴らしたら、ご両親にご迷惑じゃありませんか?」
「大丈夫。うちの親、ふたりとも仕事人間だからな。俺が起きた頃には出勤してるよ。もしくは、チャイム程度じゃ起きないくらい爆睡してるか」
「あ、そうなんですか」
「ああ。だからその気遣いは偉いけど、遠慮しなくていいよ」
むしろ寝坊したときに起こしてもらえると思えば、俺にとってもありがたい。
「じゃあ、明日からそうさせてもらいますね」
「はいよ」
他愛のない雑談をしているうちに、駅までやってくる。
すでに電車はドアを開いて停車していた。この駅は終点であり始発なので、電車が到着してから数分はこういう状態なのだ。
また、始発駅の利点として、比較的空いている状態で乗車することができる。
通勤・通学の時間だが、空席がちらほらあった。
しかしえりりはどこにも座らず、車両の隅っこに立った。昨日教えてもらったけど、えりりは登校時の電車ではあまり座らないそうだ。自分が下りる駅まで近いし、ほかの疲れている人に譲ってあげたいとか。さすが麗千のお嬢様って感じだ。そんなことを聞かされたら俺も付き合うしかあるまい。
えりりの隣のつり革をつかんで、電車が発車するのを待つ。一分ほどでドアが閉まり動き出した。
すっかり見慣れた我が町の景色が窓の外を流れていく。川沿いや山沿いなんかも走る、ベッドタウンな風景だ。
「悠真さん」
ちょんちょんとえりりに肩をつつかれた。
「なに?」
「悠真さんは漫画とか読みますか?」
「漫画?」
いささか唐突な質問である。
同じ車両に漫画雑誌を読んでいる人がいるので、ふと気になったのかもしれない。
なんにせよ、雑談のテーマとしては悪くない。
「もちろん読むよ」
と、素直に答えた。高校生で漫画を読んでない人のほうが稀だと思う。
「どんな漫画が好きですか?」
「そうだなー」
えりりの問いにしばし考えこむ。
親の影響で、俺はけっこうな漫画好きだ。広く浅くではあるけれど、自分が生まれる前の名作もたしなんでいるし、趣味の筆頭にあげてもいいかもしれない。
「強いて言えば青春ものかな。スポーツでも恋愛でもいいけど、努力して夢を叶えようとか、そういう感じのやつ」
「へー、それはちょっと意外ですね」
「そう?」
「はい。男の人ってみんなバトルが好きだと思ってました」
「定番だけどみんなってことはないだろ」
「悠真さんはなんでバトルが好きじゃないんですか?」
「いや、俺もべつに嫌いではないよ」
あくまで強いて言えばであって、バトル系にも好きな作品はたくさんある。
「えりりはどんなのが好きなんだ?」
「わたしはそうですね……日常生活のなかに、すこしふしぎな要素が入っている作品とか好きです」
「ほう。たとえば?」
「えーと、古い作品なので、悠真さんは知らないかもしれませんが……」
「言うだけ言ってみ」
「『ドラえもん』って知ってます?」
「知らないわけねーだろ」
たしかに原作は古いけど、国民的すぎてもはやそういう次元じゃねえ……!
アニメはずっと放映してるし、むしろ知らないで生活するほうが難しいわ。
「さすが悠真さん。しずかちゃんの入浴シーンもしっかり押さえていると?」
「なんでピンポイントにそこなんだよ。『ドラえもん』の見所はほかにもたくさんあるだろ」
「『ほかにも』ということは、見所であることは否定しないんですね?」
「……ノーコメントで」
漫画好きとして、作品の感想でうそをつくことは躊躇われた。
「やっぱり悠真さんもしずかちゃんみたいな乙女っぽい女の子が好きなんですねー」
「……断片的すぎる情報で人の好みを決めつけるな」
「じゃあ、どんな女の子が好きなんですか?」
「言う必要はないな」
「教えてくれなかったら今後はしずかちゃんに片思いしている人だと認識します」
「わかった。教えるからそれは勘弁してくれ……」
たしかにしずかちゃんは素敵なヒロインだと思うけど、女子小学生にそんな目で見られるのはさすがにつらい。しかも片思いってのがちょっとリアルで切ないし……。
「では、正直な回答をお願いします」
「へいへい……」
己の名誉のために、ちょっと真面目に考えてみる。
とはいえ……うーん、実際どういう娘がタイプなんだろう。あんまり意識したことがないからパッとは浮かばないな。好きになった娘がタイプって答えるんじゃあ、さすがに答えとしてはお粗末だろうし……。
過去に想いを寄せた女子を思い返してみる。なにかしらの共通点があるはずだ。
………………あれ、なくね? 外見も内面もばらばらだぞ。
いや、待て、ひとつあった。
「一緒に話してて楽しい娘かな」
話してるうちに気がついたら好きになってるパターンばかりなので、たぶんそういうことなんだろう。まあそれでも淡い気持ちというか、告白したいと思うくらい本気で好きになったことはないけれど。
「なるほど。見た目よりも中身重視ですか?」
「どちらかと言うとね」
一目惚れの経験はないからそうなのだろう。もちろん見た目がいいに越したことはないけれど。
「……ちなみに、わたしと話すのは楽しいんですよね?」
「まあね」
「ふふ……つまり悠真さんはわたしがタイプということですね」
えりりは照れたように微笑んだ。
ちげーよ、と言い返そうとして、はたと考える。いや、そのとおりだ。えりりのユーモアはかなり気に入ってるし、容姿だって可憐だ。年齢さえ合っていれば、この時点で俺はえりりに惚れていてもおかしくない。そう思うと、なんだか不思議な感じがした。
「はは、そうだな。えりりがあと五年早く生まれてくれてたらよかったのに」
俺が笑いながら言うと、えりりは「むぅ……」とむくれた。
「あれ、どうした?」
「なんでもありません」
「そう?」
……あきらかに口調はツンケンしてるけど。
「はい。ただひとつ言えるのは、わたしがあと五年早く生まれていたら、悠真さんなんて相手にしてなかったでしょうね」
「う……」
辛辣な意見だけど否定できない。十六歳のえりりは相当な美少女になっているだろう。頭もいいし、間違いなく高嶺の花だ。俺なんかじゃ話すことも叶わないと思う。
「そう考えると、えりりが五年早く生まれてなくてよかったよ」
「……そうですか?」
「ああ。えりりと話せなくなるのは残念だからな」
「……あはっ」
えりりはうれしそうに笑った。
「でしたら、わたしとおしゃべりできることをもっと感謝するんですね」
「はいはい、ありがとうございます」
「はいは一回です」
「……はい」
「ありがとうございますは三十九回です」
「ありがとうございますありがとうございますありが――って多いわっ」
「なので、さんきゅーでも可とします」
「ダジャレかよ」
女子小学生が親父ギャグを言うな。
とか話しているあいだに、えりりが下りる駅に近づいてきた。
「あ、そうだ悠真さん。漫画に話を戻しますけど」
「なに?」
「今度、悠真さんのオススメの漫画を読ませてもらえませんか?」
えりりは両手を合わせて、上目遣いでお願いしてきた。
「ん、ぜんぜんいいよ」
むしろ喜んで。好きな漫画を知り合いと共有できるのはうれしいことだ。
「やった。ありがとうございます。感想を語り合うのを楽しみにしていますね」
「こちらこそ」
と、そこで電車が駅に到着した。ぷしゅーとドアが開く。
「では悠真さん。約束を忘れない程度に学校がんばってください」
「えりりもな」
軽く手を振ってえりりと別れた。
ドアが閉まり電車はまたゆっくりと加速していく。
さて。
えりりにまずどんな漫画を読ませよう?
定番の名作か、知る人ぞ知る傑作か。バトルかラブコメかファンタジーか。
そんなことをあれこれ考えていたら、次の駅で危うく乗り過ごすところだった。
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