第11話 夏祭り

「悠真さん、今日は夏祭りですよ」


 八月も半ばの昼下がり。

 自室でだらりと漫画を読んでいたところ、えりりが唐突に言った。


「ふーん、そうなんだ」

 俺は漫画から目を離さないまま返した。


「そうなんだ、じゃないですよ。さっきから太鼓の音が聞こえるでしょう?」

「ん、そーいえば」


 漫画に集中してたから気づかなかったけど、外でうっすらぽんぽんとリズミカルな音が鳴っていた。


「――あれ、もしかして一緒に行こうってこと?」

 漫画を閉じてえりりのほうを見る。


「遅いですよ!」

 えりりは目を釣り上げて怒鳴った。


「本来ならわたしが言わずとも、悠真さんから切り出さなきゃいけない話題ですよ」

「あー、それは失礼しました」


 と、そこで。

 ぶぃーんぶぃーんと俺のケータイがふるえた。


「メッセージですか?」

「うん」

「誰からです?」

「クラスメイト。お、まさにその夏祭りに一緒に行こうだって」

「……へえ」


 えりりが目を細める。


「それで、悠真さんはなんてお返事なさるんですか?」

「なんて返してほしい?」

「……悠真さんのお好きなように」

「じゃあ、おーけーって言おうかな」

「…………」


 あ、やべ、予想以上にイラッとしてる。

 えりりの無言の圧力にびびった俺は「うそだよ」とすぐに前言を翻した。


「タッチの差で、えりりのほうが早かったからな。えりりと行くよ」

「へー、『早かったから』ですか」

「……いや、いまのは言葉の綾で、俺がえりりと行きたいからそうするんだよ」

「無理しなくてもいいですよ」


 つーん、とえりりはそっぽを向く。


「学校のお友達も大切ですからね」

「でも、えりりのほうが大切だよ」

「――――」


 俺はクラスメイトに『悪い。先約がある!』と返事をした。


「この夏は俺と遊びまくってくれるんだろ? 好きなだけ奢ってやるから一緒に行こうぜ」

「…………」


 えりりは深くうつむいて、なぜかなにも言ってくれなくなる。

 あれ、もしかして怒ってるのか……?


「……えりり? えりりさん?」

「こっち見ないでください」


 おずおずと顔を覗こうとしたら、強い口調で注意された。


「いや、だって、急に黙るから」

「……ちょっと考えごとをしてるだけです。一分ほど待ってください」


 会話の途中でいきなり考えごとって……。

 と思わなくもなかったが、怒らせたら怖いので言われたとおりにしておく。

 ややあって、えりりはため息をつき顔を上げた。


「まったく、悠真さんは本当にアレですよね」

「……なにが?」

「自分で考えてください。あと、そのアレさに免じて、一緒にお祭りに行ってあげます」

「……そりゃどうも」


 いまいち腑に落ちないけど、とりあえず話がまとまったのでよしとしよう。


「何時から行きますか?」

「んー、そうだな」


 現在の時刻は十四時を過ぎたばかり。まだ腹もぜんぜん減ってないし、祭りの本番はやはり夜だ。数時間は間を置きたいところである。


「じゃあ、六時くらいでどう?」

「いいですよ」

「なら、決まりな」


 それまではだらだら過ごそう、と俺はまた漫画を開く。

 楽しみです、とえりりは微笑んだ。



 で、約束の時刻。


「じゃーん、どうです?」


 えりりはくるりと回って得意げにポーズを取った。

 一度帰ったと思ったら、浴衣に着替えて戻ってきたのだ。

 白地に青のアジサイ柄。花びらの髪留め。清純にして可憐といった感じで、誰が見ても文句のつけようがない完璧な着こなしだった。


「うん、いいね。えりりの髪は綺麗だから、和服もよく似合うな」

「あは、ありがとうございます。さりげなく髪まで褒めるとは悠真さん、お世辞の腕を上げましたね」

「べつにお世辞じゃないよ」


 思ったことをそのまま口にしただけだ。


「しかし、悠真さんは普段着ですか。せっかくのお祭りなんですから、浴衣か甚兵衛か着たらどうです?」

「そんなもん持ってねえよ」

「買いましょう。なんならわたしが出してもいいです」

「遠慮する。そういうのは照れるから、俺はふつうでいいんだよ」

「えー、そうですか。ちょっと見てみたいのですが、仕方ありませんね」

「てか、そんなことより早く行こうぜ。腹減ってきちゃったよ」

「色気より食い気ですか」

「そういうことだね」


 まず空腹を満たさないことには、色気を気にする余裕もない。

 花より団子って、そういうことだと思うね。



 うちからおよそ徒歩十分。

 ほどほどの大きさの神社と、そのそばにある商店街が祭りの主な会場だ。


 所狭しと屋台が並んでいるため、人口密度が大変なことになっている。しんどいといえばしんどいが、おかげで活気と雰囲気が出るので、これもひとつの醍醐味だと観念するしかない。


「はぐれるなよ」

「大丈夫ですよ。子どもじゃないんですから」

「そいつは失礼」


 まあ、実際えりりはしっかりしてるし大丈夫だろう。

 鳥居をくぐって境内に入る。入り口付近は特に渋滞がひどい。亀みたいなスピードで歩いて行く。十メートルほど進むと道がいくつかに別れていて、そこからは並んで歩ける程度のゆとりはあった。

 そこかしこからいいにおいが漂ってきて、俺は本格的に空腹を感じる。


「なにから食う?」

「うーん、そうですね。たこ焼きはどうですか?」

「定番だな。いいよ」

「ですが、ひとまわりしてからにしましょう。買うのはどこが一番よさそうか見極めてからです」

「えー、とりあえずなんか食おうぜ」

「我慢してください。あとであっちのほうがよかったってなったら悔しいじゃないですか」

「はいはい」


 さすが、主婦スキルが高いえりりだ。しっかりした考えをお持ちで。

 神社から商店街を巡るまで、立ち止まらなければ三十分もかからない。えりりの目利きで出店を選んでいく。


「どういう基準があんの?」

 迷いなく決めていくので気になった。


「勘です」

「勘かよ」


 だったらひとまわりする必要なかっただろ、と思うがまあいいか。

 最初に話したとおりたこ焼きを皮切りに、焼きそば、イカ焼き、フランクフルト、じゃがバタと食していく。種類を多く食べるために俺が七で、えりりが三くらいの割合でシェアした。


 味はどれも想像どおりだ。だいぶ空腹だったし、この空気で食えば大概うまい。

 しかし正直なところ……えりりの料理のほうがうまいな、と思ってしまった。

 値段を考えたら特にそう感じる。まあ、無粋なのであえて口には出さないが。


「もうおなかいっぱいですね」


 じゃがバタを完食したところで、えりりが満足げに言う。

 俺も同感だった。お祭りの食べ物はけっこう腹に溜まる。最初は全種類食えるくらいの気持ちでも、意外とすぐ満腹になるんだよな。


「では、これからデザートに行きましょう」

「……おなかいっぱいじゃねえのかよ」

「女子にはふたつの胃袋があるんですよ。さっきまでは食事用の胃袋で、これからは甘いもの用の胃袋です」

「ゲームのボスみたいだな」


 一回倒したら、変身して第二ラウンドが始まる的な。


「悠真さんだって、かき氷とか食べたいでしょう?」

「そうだけど」


 あれは水分だし。それに、夏祭りでは欠かせない一品だ。


「あと、チョコバナナとわたあめとリンゴ飴も食べたいでしょう?」

「そんなには食えねえよ。……え、おまえ、いまの全部食うつもり?」

「そう言いたいところですが……ちょっと厳しいので、かき氷とリンゴ飴だけにしておきましょう」

「それがいいと思う」


 というわけで、まずはかき氷をふたつ買って、座って食える場所に移動する。

 神社のすぐ近くに小さな公園があって、ベンチがたくさん用意されていた。

 幸運にもひとつだけ空いていて、並んで腰かける。

 俺はレモン、えりりはイチゴ味をしゃくしゃくといただく。


「うん、冷たくて甘いな」

「当たり前じゃないですか」

「いや、えりりが思っている以上に俺のは冷たいぞ」

「ほんとですか? わたしのよりもですか?」

「たぶんな。ちょっとこっちの食ってみる?」

「では、いただきます」


 と、えりりはこちらのかき氷をすくって、ぱくりと口にする。


「――あ、わたしが思っているとおりの冷たさでした」

「え、うそ、ぴったり同じ?」

「同じでしたね。こちらも食べてみますか?」

「んじゃ、ひと口――――あ、俺のとまったく同じ冷たさだ」

「これはなにかの法則ですかね。研究して学会で発表しましょうか」

「そうだな。ノーベル的な賞が取れるかもしれない」


 そんなどうでもいい会話をしながら、夏の風物詩を楽しんだ。

 そして。

 ちょうど食い終わった頃に、


「あれ、悠真じゃん」


 と、知り合いに声をかけられた。

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