第7話 食事会と合い鍵

 ――わたしにできることならなんでもする。


 女子から言われたらかなりときめく言葉ではあるが……。

 残念ながら相手は小学生であり、小学生にやってほしいことは特にない。

 ので、代わりにさっきちょいと気になったことを訊ねることにした。


「んじゃ、質問してもいい?」

「質問? そんなのでいいんですか? それともそれだけいやらしい内容なんですか?」

「いやらしくはねえよ」


 ……こいつ、なにげに下ネタ好きだよな。

 小学生らしいといえばらしいけど。


「そうですか。やや拍子抜けの感は否めませんが、悠真さんがお望みならどうぞご質問ください」

「……」


 そんな大仰に言われると、逆に訊きにくいわ。訊くけど。


「えりりは習いごととかしてないのか?」

「……なんでまたそんなご質問を?」


 意外だったのか、えりりはきょとんとした。


「だって麗千のほとんどは習いごとしてるんだろ? えりりはなんかやってないのか?」

「やってるわけないじゃないですか。そんなのがあったら毎日ここに来てないですよ」

「そりゃそうだけど。なんかやりたいとか思わないのか?」


 ただでさえ小学生は好奇心旺盛だし、まわりの人たちから影響を受けやすい。

 そういう環境であれば『自分もなにかやりたい』と考えるんじゃないかと思った。


「んー、ないですかね。ピアノとかお習字とか、興味を持ったことはありますが、けっきょく漫画とか小説のほうが楽しいって思っちゃうんですよ」

「ふうん」


 俺と気が合うわけだ。


「じゃあ、逆にやらされたりは? 塾とか家庭教師とか」

「それもないですね。自力でそれなりの成績は取れますし」

「……おまえ、賢そうだもんなー」


 なんせ小学生なのに高校生と気が合うんだもん。女子のほうが成長は早いって言うけど、それにしたっておとなびている。ぶっちゃけ精神年齢は俺と大差ないだろう。身体は子ども頭脳はおとなとは、こいつのことなんじゃないだろうか。


「うちの両親はわりと放任主義なんです。他人に迷惑をかけない限り、自由にさせてくれます」

「なるほどね」


 それだけ親御さんから信頼されているってことなんだろう。

 うちもけっこう放任主義だけど、たぶん質が違うと思う。


「とはいえ、毎日悠真さんの部屋にお邪魔してると言ったら、さすがに注意されるでしょうけどね」

 と、えりりは苦笑する。


「てか、言ってなかったのか?」

「はい。言ってたら挨拶のひとつくらいしてますよ」

「ああ、そうか」


 これだけよくできたお嬢さんの親なのだ。それくらいの礼儀は見せるだろう。


「そんなことしたら悠真さんは逆に気を遣うと思って、親には黙ってます」

「……まあ、その読みは正しいけどさ」


 ただ、問題がないわけじゃないぞ。


「じゃあこの時間、えりりはなにしてることになってるの?」

「ふつうに家で過ごしていることになってますね」

「ダメじゃん」

「親が帰ってくるまでに戻ればバレませんよ」

「そうかもしれないけど、親にうそをつくこと自体がよくないだろ」

「……そう言われると、そうですね。その発想はなかったです」

「ふつうあるだろ」

「誰にも迷惑かけてないので、セーフだと思ってました」

「アウトと言い切るほどでもないけどさ」


 しかし、その判定をするのはご両親のほうだ。


「あと、それだとさ、バレたとき『うちの娘に漫画ばっか読ませてなにしてくれてんだ』ってむしろ俺が怒られない……?」

「あはは、なにびびってるんですか」

「……笑うなよ。真面目に言ってるんだぞ」

「あ、すみません。でもその点は大丈夫ですよ。うちの親もそこそこ漫画好きですし、年齢指定さえ守ってればとやかく言われません」

「ならいいけど」


 まあ考えてみれば、漫画はダメだなんて言う厳しい親だったら、えりりみたいなユーモアのある娘は育てられないか。えりりの言うとおり、そこは安心してよさそうだ。

 だけどそれがわかったところで、根本的な問題が残っている。


「それで、今後はどうするんだ? 黙ったままでいるのか?」

「んー、そうですね。やっぱり言っておいたほうがいいですかね」

「そうだろうな」

「では悠真さん。お手数ですが、うちの親に挨拶に行ってもらえますか?」

「え、俺が行くの?」

「はい。『娘さんをください』と、バシっと決めてきてください」

「なんの挨拶だよ」


 なんで結婚するみたいになってるんだ。

 そんな一生に一度あるかないかのイベント、こんなところでこなしたくない。


「わたしもしっかりと、悠真さんのご両親に挨拶させていただきますので」

「しなくていい」


 そんなことされたら親子の縁を切られてしまう。放任じゃなくて放逐されるわ。


「たしか、まずお仏壇に手を合わせるといいんですよね?」

「どこの婚活テクだよ」


 小学生がそんな女子力を身につける必要はない。


「ふつうに306号室の人と友達になったって、まず自分の親に言えよ」

「友達ですか?」

「そうだろ」

「……ま、そうですね。では、その線でうまいこと報告しておきます」

「よろしく。くれぐれも誤解を招くような言い方はするなよ」

「わかってますよ」


 そう言って、えりりはくすりと笑った。

 俺が心配しすぎなのがおかしかったらしい。

 ……そうだよな。冗談の使いどころくらいは弁えているだろう。




 で、数日後。

 なぜか川原家と大江家で、食事会が催されることとなった。


「同じマンションの同じフロアの住人同士ですし、どうせなら一度、皆さんでご飯でも食べましょう」


 と、えりりが提案したらしい。

 まじか、と思った。

 小学生が企画することじゃねえだろ。


 そしてさらに驚くべきは、会場は大江家で、料理はえりりが振る舞ったことだ。

 さりげなく、俺に手料理をごちそうするという約束を果たしたわけでもある。


 そんで、これがまたえらいうまかった。チャーハンやら酢豚やら、オーソドックスな中華ばかりだったけど、ぶっちゃけ俺の母親に圧勝していた。てゆーか、えりりの母親と比べても勝っているらしい。完璧超人かよ……。


 えりりのチートみたいな高性能は、食事中にも十全に発揮された。礼儀正しい言葉使いはもちろん、誰かの飲み物がなくなればすぐに注ぎ、なにごとも如才なくこなしていた。


 影の委員長の異名を誇っていただけあって、すさまじいコミュ力だ。

 えりりの料理に舌鼓を打ち、えりりの聞き上手ぶりに舌を巻いた。


 当然のごとく、うちの親は瞬く間にえりりの虜になった。

『うちの息子と交換してほしい』と十回以上は言っていた。

 うるせーよ、俺だって交換して欲しいよ。


 というのも、えりりのご両親は実に心優しい方たち(おまけに美男美女)だった。


「娘がたいへんお世話になっております」


 と、まずお父さんに丁寧に頭を下げられた。しかも敬語だぞ。高校生相手に。俺はもう恐縮しまくりだった。

 さらにえりりがキッチンに立っているあいだ、お母さんがこっそり俺に耳打ちした。


「最近えりりがとても楽しそうなのは、悠真さんのおかげだったんですね」


 それを聞いて俺は悟った。

 この人たちはとっくに、娘のうそに気づいていたのだ。

 その上で、えりりの意思を尊重していたのだ。

 えりりが楽しそうならそれでいいという理由で。

 えりりならおかしなことはしないだろうと信頼して。


 お母さんはこう続けた。


「よろしければ、今後も娘の面倒を見ていただけませんか?」


 喜んで、と俺は答えようとした。

 でも、ちょっと違うなと思った。

 だからこう言った。


「面倒を見るのは無理です。ただ、一緒に遊んでいるだけですから」

「――ふふっ、なるほど。あなたは、えりりから聞いたとおりの人なんですね」


 そう笑みをこぼすお母さん。

 えりりとよく似た笑い方で、親子なんだなーと思った。


「えりりはなんて言ってたんですか?」

「それは内緒です。しゃべったらえりりに怒られます」

「……じゃ、仕方ないですね」

「はい、あの娘は怒ると怖いですからね。悠真さんも気をつけてください」


 その言い方が本当にえりりの怒りを恐れているかのようで、俺は声に出して笑ってしまった。危うくえりりに気づかれるところだった。忠告してもらって、速攻で怒られたら間抜けすぎる。


 食後、おとなたちは酒を楽しみ、俺とえりりはその様子を時折眺めながら、ソファに並んで座って雑談を交わした。

 幸いにも、親同士も意気投合していたようだった。うちの親が無礼を働いたらどうしようと心配していたけど、そんなことはなさそうでほっとした。


「今日はありがとな、えりり」

「いえいえ、こちらこそお休みのなかお越しいただきありがとうございます」

「……ほんとにたいしたやつだよ」

「ふふ、でしょう。惚れました?」

「惚れねえけど」


 と答えたけれど、正直に言おう。

 もしこいつがあと五年早く生まれていたら、確実にやられていただろう。

 危ないとこだったぜ……。


 それから数日後。

 えりりは俺の知らないあいだに、俺の母親に会っていたらしい。

 そしてなんでか知らんけど、うちの合い鍵を持つようになっていた。


 これにより俺が帰宅していなくても、えりりは俺の部屋に自由に出入りできるようになった。

 さすがにどうかと思ったが、もはや母親は俺よりえりりの味方である。

 拒否権はなかった。


 まあ、しゃーない。

 えりりのお母さんからもよろしくと頼まれたしな。

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