第34話 大晦日

 時間の流れというものは、年々早く感じるようになるらしい。


 らしいというか、俺も実感していることだ。たとえば小学一年生の一年間と、高校一年生の一年間じゃ、圧倒的に後者のほうが早く感じた。

 そこには九年の開きがあるので、相対的に一年長さの感じかたが違うのは当然のことだと思う。


 だけど今年は、その法則だけじゃ説明できないくらいあっという間だった。去年の半分くらいしかなかったんじゃないかと、本気で疑いたくなるほどだ。


 十二月三十一日。一年で最後の日。大晦日。

 あと二時間足らずで今年が終わる。

 リビングのソファで特番を視聴しながら、俺はぼんやりと感慨に浸っていた。

 すると、


「どうしたんですか悠真さん? ぼーっとして」


 隣に座っているパジャマ姿のえりりが話しかけてきた。

 普段ならえりりはもう帰っている時間だ。門限は特に設定されていないけど、午後十時までというのが暗黙了解である。だというのに今日は特別だと、一度帰宅して入浴をすませてからまたやってきたのだ。


 これがえりりの独断なら、俺はこんこんと自宅に戻るようさとしただろう。しかしうちの両親とえりりの両親、そろって二年参りに出かけていき、里紗さんから直接「悠真くん、えりりをよろしくね」と頼まれてしまったのだ。こうなると俺も受け入れるしかない。


 ちなみに、里紗さんとはえりりのお母さんのことだ。おばさんと呼ぶには気が引ける美人なので、さんづけで呼ばせてもらっている。

 里紗さんのほうも、最初は俺を『悠真さん』と呼んでいたが、いつからか『悠真くん』と呼ぶようになっていた。親しみが感じられるので、もちろん悪い気はしない。


 ともあれそんなわけで、えりりとふたりきりでの年越しである。

 まあ、今年を締めくくるには相応しいのかもしれないけど。


「もっとテンション上げていきましょうよっ」

「べつに、テンションを上げるような日じゃないだろ」


 ご機嫌なえりりに、俺は冷静にツッコむ。


「むしろ、なんでえりりはそんな楽しそうなんだよ」

「だって、初めてのお泊まりですよ? もうワックワクのドッキドキですよっ」


 ……ほんと、まぶしいほどに無邪気な笑みだな。

 るんるんってオノマトペが聞こえてきそうである。


「エロティックな言い方をすると、初夜ですねっ」

「そんな言い方しなくていい。あと、もたれかかってくるな」


 えりりが俺の肩に頭をあずけてきたので押し返す。ソファの大きさには余裕があるのに、えりりが隙あらば近寄ってくるのでやたらと窮屈だった。シャンプーなのかなんなのか、やけにいいにおいがするし。


「やーん、今日くらいいいじゃないですか」

「よくない。おまえ体温高いから暑いんだよ」

「窓開けましょうか?」

「バカなのか?」

「うわ、つめたっ! 外の空気より冷たい! 悠真さんのハート配置は西高東低ですか?」

「うるせえし、たいしてうまくもねえからな」


 本当に窓を開けて、頭を冷やしてやったほうがいいかもしれない。


「むぅ……。でも、わたしのパジャマ姿って意外と初めて見るでしょう? ちょっとこう、いつもと違う格好に、ときめいたりしませんか?」

「ないね」

「ちょっ、せめてこっち見て言ってくださいよ」

「……しょうがねーな」


 えりりが文句を言うので、俺はじっくりと眺めてやる。

 水色ドット柄のオーソドックスなパジャマ。

 シンプルだけど清楚な感じがして、よく似合っていた。


「――あの、悠真さん。そんなふうに見つめられると恥ずかしいのですが……」


 顔を赤らめて、もじもじとするえりり。


「おまえが見ろって言ったんだろ」

「そうですけど……」

「そしてやっぱりときめいたりはしねえな」

「えーっ、こんな舐めまわすように見ておいて、けっきょくそれですか」

「うるさいな。まあ、かわいいとは思うよ」

「え、ほんとですか?」

「ああ。子犬とかぬいぐるみとか、そういう系統のかわいさだけど」

「え……悠真さんって、子犬とかぬいぐるみを、恋愛対象として見てるんですか?」

「なんでそうなる……」

「だって、わたしと同系統ってことは、そういうことでしょう?」

「そういうことじゃないって言いたかったんだよ」

「むぅ…………まあでも、かわいいと思ってくれてるだけでもうれしいので、いまはそれでよしとしましょう」


 でもいつか――などとぶつぶつ言って、えりりは自己完結したのか「よし完璧です」とうなずいた。


「どんなシミュレーションしてんだ」

「……その質問はセクハラです」

「なんでだよ」


 まあいいや。怖いから聞かないでおこう。


「それで、話を戻しますけど、なにか考えごとでもしてたんですか?」

「たいしたことじゃないよ。ただ、今年は早かったなーって」

「あー、ですねー」


 えりりはうんうんとうなずく。


「特に、悠真さんと知り合ってからはジェットコースターのようでした」

「……やっぱり、そうだよなぁ」


 考えるまでもなく、今年が早く感じられた要因は間違いなくえりりだった。

 振り回されることも多いけど、なんだかんだで、えりりといるのはとても楽しい。だから時間の流れも早く感じる。それだけのことなんだ。


 えりりは遠い目をして、しみじみと告げる。


「雨の日に悠真さんにナンパされて、相合い傘をしたのが始まりで……」

「おい」

「漫画を誘い文句にして、家に連れ込まれて……」

「おい」

「水着姿を見たいと言われて、プールに行ったりもしましたね……」

「だからおい」


 言い方にぜんぶ問題しかないんだよ。

 微妙に真実なのがタチ悪いし……。


「そして、夏休み終盤のあの日。わたしの熱烈な告白によって悠真さんの心が動かされ、ふたりはついに結ばれて……」

「結ばれてねえ」

「将来を誓い合ったんですから、もうそういうことでいいじゃないですか」

「よくない。拡大解釈にもほどがあるわ」

「それなら大丈夫です。わたしの解釈は、六百倍まで拡大できるので」

「顕微鏡レベルじゃん……」

「しかも、見たくないものは見えないようにできています」

「ちゃんと真実を映せ」


 目をそらしたところで、現実はなにも変わらないぞ。


「でも悠真さん。真実がきれいなものとは、限らないじゃないですか……」

「たしかにそうかもしれないが……」


 えりりが無駄に切なげな表情で告げるので、俺もなんとなくそのノリに合わせる。


「それでも勇気を出して、真実に向き合っていこうぜ」

「……そのエゴによって、どれだけの微生物を犠牲にしてもですか?」

「そうだ」

「でも、でも……! ミジンコだってミドリムシだって生きてるんですよ!?」

「わかってる! だけど俺たちは、何枚プレパラートを割っても、あいつらの姿をスケッチしなきゃいけないんだ!」

「悠真さん……」

「えりり……」

「なんの話をしてるんですか?」

「知らねえよ」


 まじでなんの話をしてたっけ……。


「あっ、今年の思い出の話ですよ」

「そうだった……」

「ちなみに悠真さんにとって、今年一番の思い出はなんですか?」

「んー、そうだな」


 一番って言われると、すぐに決めるのは難しいが……。

 なんにせよ、えりり関連のことになるだろう。


 えりりのおかげで、俺の生活の充実度は目に見えて上昇した。筆頭はなんと言っても食生活だ。おいしくて健康的。えりりの料理を食べるようになってから、身体の調子がよくなった気がする。寝坊するとたたき起こされるので、あまり夜更かしをしなくなったことも影響しているかもしれない。


 もうひとつわかりやすいところでは、成績が上がった。これまでは平均あたりをうろちょろしていたのに、二学期はクラスで五番という自分でも驚きの向上ぶりだ。えりりにバカにされないようにと、勉強への意識が高まったからだろう。それによって母親は「えりりちゃんを家庭教師に雇おうかしら」なんてアホなことを言っていた。なめんな。効果はありそうだけど……。


 ほかの変化としては、三浦さんや長峰さんと親しくなれたことだろうか。

 たとええりりのおまけでも、このふたりと交流が持てるようになるとは、まったく思っていなかった。


 ほかにもあるかもしれないが……。

 まあ、主なところでは、だいたいこんな感じだろうか。

 あらためて考えてみると、えりり効果、半端じゃないな。


 もちろん深く感謝している。

 けど、もっと優しくしてやるべきなのかもしれない。

 すぐ調子に乗るから気をつけないといけないが……もうちょっとくらいは。

 そう思って、


「ぜんぶかな。えりりとの時間は、ぜんぶ大切な思い出だ」


 と、えりりの頭をなでながら、質問に答えた。


「――っ…………うぅ……っ…………」


 えりりは、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 かと思ったら――


「もう! いきなりそんな素敵すぎること言わないでくださいよ!」


 突然、ぎゅううっと。

 体当たりかって勢いで抱きついてきた。


「ちょっ、こら、やめろっ」

「ダメですっ。今夜はもう離れませんっ!」

「アホなこと言うな! はーなーれーろ!」

「いーやーでーす!」


 と、そこで。

 テーブルに置いてあった俺のスマホがふるえた。

 メッセージが届いたようだ。


「ほらえりり。確認するからどけ」

「どうせ宣伝とかのどうでもいいやつです。お気になさらずわたしを愛でてください」

「うるさい。里紗さんからかもしれないだろ」


 無理やりえりりを押しのけ、スマホを手に取る。


「あ、三浦さんからだった」

「世界一どうでもいいやつじゃないですか!」


 えりりが憤慨する。


「悠真さんにメッセージを送って、わたしと悠真さんのラブラブタイムを邪魔するとか、弟子として最悪の所業ですよ! 許せません! もう破門してやります!」

「いや、なんか大事なことかもしれないし、そこまで言うことないだろ」

「…………わかりました。では文面で判断するので見せてください」

「いちおう確認してからな」


 たぶんないと思うが、個人的なメッセージの可能性もある。

 俺は画面を開き、内容に目を通した。

 ……………………なるほど。


「まさか、悠真さんを口説いたりしてませんよね?」

「してないよ。基本えりり宛ての内容だった」


 ジト目のえりりにそう言って、画面を見せてやる。

 そこにはこう書かれていた。


『ほんとは0時ぴったりに送るつもりだったんだけど、もう眠くなっちゃったからいまのうちに送ることにするね! えりり師匠! ついでに川原くん! 明けましたらおめでと~! これからもよろしく!』


 いや、『明けましたら』ってそんなんありか。三浦さんらしいわ。

 そして当然ながら、えりり師匠はお怒りになられた。


「知性の欠片もない文面ですね! こんなアホな人とよろしくすることなんてありませんよ! というか本気でどうでもいいですし! もうこの人とは師弟関係ではありません! 悠真さん『破門』って送り返してください!」


 俺の肩を揺すって、えりりが怒鳴る。

 その様子に、俺は思わず笑ってしまった。


「ちょっ、なにがおかしいんですか!?」

「だってえりり、すごい楽しそうじゃん」

「楽しそうっ!? わたしが!? なんで!? いくら悠真さんでも、それはさすがにどこに目ぇつけてんだと言わせてもらいますよ!」

「はいはい」

「うわ、なんですか、その『わかってますよー』的な態度は!」


 威嚇する子猫のごとくにらんでくるえりりに、俺は笑顔で返した。


「わかってるよ。えりりのことだもん」

「――っっっ……ですから、悠真さん。不意にときめく台詞を言うのはズルいです」

「そんなことより小腹が減ってきたな。そろそろ年越しそばを食べようぜ」

「あ、自分で言って、恥ずかしくなったんでしょう? 誤魔化しかたが強引すぎます」

「いいから早く作ってくれ。そばを食うまでなんも話す気しねえわ」

「ふふっ、はいはい」

「…………」


 なんだよその『わかってますよー』的な態度は、と言ってやろうかと思ったけど、返ってくる答えがわかりきっているのでやめておいた。

 照れ隠し検定は、やはり五級もとれそうにないな……。


 うまいそばを食べ、除夜の鐘を聞いて、年越しの瞬間を迎える。


「明けましておめでとうございます」

「おめでとう」

「今年もよろしくお願いしますね」

「こちらこそ、よろしくお願いするよ」


 お互いぺこりと頭を下げて、えりりと俺は、同時に照れたような笑みを浮かべた。

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