第33話 クリスマス・イブ
どこに向かうかわからないまま、えりりのあとをついていく。
やや不安ではあったが、まさか落とし穴に導かれるなんてことはないだろう。
なにか場つなぎの会話をしようかと思ったが、えりりが真面目な雰囲気で口を閉じているので、俺も黙って歩くことにした。
横断歩道で、にぎやかな家族とすれ違う。
子どもは男の子と女の子で、どちらもまだ幼稚園児くらいだ。
とても楽しそうに、ジングルベルを歌っていた。
コンビニの前を通りすぎる。
窓にはでかでかとケーキのポスターが貼られ、入り口付近に電飾のついたツリーが置かれていた。
いまこの瞬間がクリスマスイブであることを、あらためて意識させられる。
なんとなく、肩にかけているカバンに手を添えた。
中身はあまり入っていない。
ケーキ作りに必要なものはすべて三浦さんが用意してくれたので、べつに手ぶらでもよかったくらいだ。
まあでも……備えておいて損はないと思い、持ってきていた。
そして、駅から二分ほど歩いたところで、白を基調とした大きな建物が見えてくる。足繁く通う人もいれば、まったく興味ない人もいる、市営の施設だ。
もしかして……。
という予感は、果たして的中する。
その施設――図書館の前で、えりりは足を止めた。
もう閉館しているので、自動ドアは反応しない。
ガラス越しに館内の様子は見えるが、当然ながら真っ暗だった。
「……えりりが寄りたいところって、ここ?」
「はい、そうです」
「借りている本を返しにきた、わけじゃないよな?」
玄関の横には返却ボックスが設置されており、閉館時間でも本が返却できるようになっていた。
「もちろん違います」
えりりはすこし照れたように微笑んで、
「いわばここは、わたしたちにとって始まりの場所ですからね。いろいろ候補はあったんですが、なんだかんだでここが一番、ロマンチックかなと思いました」
「……ロマンチックって、なにをするつもりだ?」
「ふふ、ちょっと目をつぶってもらえます?」
「…………」
「警戒しなくても大丈夫です。不意打ちでキスとかしませんから」
「…………」
まあ、ここで拒否するのは野暮ってものだろう。
えりりを信頼し、素直に従った。
ドキドキしながら待つ。
カバンからなにやら取り出しているような気配があり――
ふわっと、首になにかが巻きつけられた。
すごく、あたたかかった。
「もういいですよ」
「…………」
ゆっくりと目を開けて、首にあるものを確認する。
ネイビーブルーのマフラーだった。
「わたしからのクリスマスプレゼントです」
「……もしかして、手編み?」
「はい。悠真さんのことを想いながら、ひと針ひと針、心をこめて編みました」
「…………愛が重い」
「もちろんです。世界一愛する人への贈り物ですから。軽くするわけにはいきません」
俺の率直なコメントに、えりりは開き直って答えた。
たぶん、こちらの本音を見透かしているのだろう。
本当に俺は、照れ隠しが下手らしい。
…………しょうがない。
だったら俺も、開き直るか。
今日は特別な夜だしな。
思ったことを、そのまま口にしてやろう。
「まあでも……なんだ。ちょっと自分でもびっくりするくらい、うれしいよ。ありがとう」
「……本当ですか?」
「ああ。お世辞とかいっさい抜きで、最高のプレゼントだと思う」
「――ふふふ、そう言っていただけて、わたしもすごくうれしいです!」
えりりはとびきりの笑みを咲かせ、安心したように大きく息をついた。
「あー、ほんと喜んでくれてよかったです。大丈夫だとは思ってましたが、やっぱりちょっと緊張しました」
「そうなのか?」
「ええ。本気で重いと思われたらどうしようって」
「いや、重いは重いけどな。でも、日頃から手料理を食べさせてもらってるし、いまさらマフラーくらいで引いたりしないよ」
「ふふ、見事にわたしに飼い慣らされてますね」
「言い方」
女子小学生に飼われるとか、人聞きが悪すぎる……。
せめて『しつけられてる』って言ってくれ。
女子小学生にしつけられる男子高校生。
これならまだマシ……なわけがないふつうにダメだわ。
「ちなみに、デザイン的にはどうですか? ファッションセンスがない悠真さんでも使いやすいよう、シンプルな感じにしたんですけど」
「ひとこと余計だけど……実際ありがたい気遣いだな。ふつうに学校にもつけていけるし、かなり好きな感じだよ。肌触りもいいし。料理だけでもすげえのに、こういうのも作れるんだな」
「えへへ、実はこっそり練習しました」
「……まじか。俺のためにわざわざ?」
「はい。悠真さんのためにわざわざ。でも、やってみたら思った以上に楽しくて、いろいろ挑戦してみたいと思いました」
「へえー、すごいな……」
「ふふ、好感度上がっちゃいました?」
「ああ。まじで尊敬するわ」
マフラーのぬくもりを感じつつ、俺はあらためて感謝の気持ちを伝える。
「本当にありがとな。これから大事に使わせてもらうよ」
「…………じゃあ、ちゃんと明日のクリスマスパーティーにも、その首輪――じゃなくてマフラーをつけていってくださいね?」
「いま首輪言ったな?」
「言ってません」
いや、完全に言っただろ……。
と思って、ふと気づく。
「あ、さてはいまのがえりり流の照れ隠しか?」
「…………は? べつに照れてませんし?」
「顔真っ赤だぞ」
「……いや、これはあれです。ちょっとクリスマスカラーになろうと思っただけです」
「器用な技だな……」
「乙女のたしなみですよ」
「まあ、そういうことにしといてやるよ」
「……うぅ、悠真さんのくせに生意気です」
ニヤリと笑って流してやると、えりりは悔しそうにうめいた。
精神的優位に立てた感じで、俺は気分がよくなる。
――ああ、そうか。
だからえりりは、よく俺の照れ隠しを指摘してくるのか。
なるほどなー。チャンスがあったら、今後は俺もやるようにしよう。
まあ、そんなにないとは思うけど。
「えっと、それじゃあ帰りましょうか。寒いなか付き合ってくださって、ありがとうございます」
気を取り直すように微笑み、えりりが言った。
「いや、悪い。ついでに俺からもちょっといいか?」
「え……?」
せっかくえりりが、素敵な雰囲気を作ってくれたのだ。
この流れに乗らない手はない。
やっぱり、備えておいてよかったな。
俺はカバンを開けて、赤い紙袋を取り出した。
「……えっ、え? もしかして、それ……?」
「ああ。俺からのプレゼントだ」
「――よ、用意してくれてたんですか?」
「いちおうな。手作りじゃなくて、ふつうに買ってきたものだけど」
「……あ……りがとう……ございます」
照れ笑いしながら差し出すと、えりりはかなり動揺している様子で、おずおずと受け取ってくれた。
「よかったら開けてくれ」
「あ、はい……」
紙袋の口を開き、なかに入っているものを手に取る。
「……っ」
えりりは息をのみ、食い入るようにそれを見つめた。
水色の、折りたたみ傘である。
「まあ、なんていうか、これなら盗まれる確率は低いだろ?」
日常的に使えて、なおかつ多少はロマンを感じられるもの――
三浦さんに相談して、そういう方向で行くことに決めた。
『やっぱりここは指輪でしょう!』
と、三浦さんは無責任に意見してくれたが、もちろん秒で却下した。
いろんな意味でハードルが高すぎる……。
カバンとか靴とか帽子とか、それくらいのものならいいと思ったが、残念ながらセンスがないので、なにを買っていいかわからなかった。
そこまで三浦さんに頼るわけにはいかないし。
それであれこれ悩んだ結果、思いついたのが傘だった。
わりと日常的な道具だし、仲良くなったきっかけなので、ほどほどにロマンもある気がした。
とはいえ、ふつうの雨傘は言うまでもなく買い直されていて、愛用しているものがすでにある。だからそのデザイン(主に色)を参考に、折りたたみのものを選んだ。これならセンスがなくても、そんなに大きく外すことはないだろう、と。
あとは、どういうシチュエーションで渡すかだが……。
変に気取るのもなんだし、なにもなければ、今日の別れ際に渡すつもりだった。
だけど図らずも、ぴったりの場所で渡すことができた。
完全にえりりのおかげだな。
しかし……。
だからといって、喜ばれるとは限らない。
折りたたみ傘とかべつにほしくなかったわー、と根本から否定される可能性もあるしな……。
なので。
「………………………………」
えりりのこの沈黙は、俺をかなり不安にさせた。
プレゼントを手にしたまま、なにも言ってくれない……。
…………え、もしかしてやっちまったのか……?
「えーと、どう? 気に入らなかったら、べつに使わなくてもいいんだけど……」
本格的に焦ってきて、そんな弱気なことを言ってしまう。
えりりはうつむき、かすかに首を横に振った。
「…………無理、です」
うぐっ、まじかぁ……。
やっぱ傘とはいえ、俺のセンスじゃ無理だったのか……。
「…………こんなの……我慢、できません……」
えりりは声をふるわせ――
ぎゅっ。
と、俺に抱きついてきた。
「……ゆ、悠真さんからこんなのもらっちゃったら……泣くのを我慢するなんて、無理ですよぉ……」
俺の胸に顔を押しつけ、えりりは嗚咽をもらし始めた。
「……それはつまり、うれしいってこと?」
「――あ、当たり前じゃないですかぁ……っ」
そうか……そりゃあよかった。
ああ、本当に。すげえ安心したわ……。
俺は大きく息を吐き、えりりが泣きやむまで、優しく背中をなでてやった。
しばらくして。
泣きやんだえりりは俺から離れ、とても恥ずかしそうに言う。
「……悠真さんに泣かされるのは、これで二度目ですね」
「微妙に人聞きが悪いな……」
「悔しいので、いつか悠真さんのことも泣かしたいと思います」
「いや、そんなことで対抗心を燃やさなくていいから……」
「忘れたころに、わさびを大量に仕込んだご飯を作りますね」
「そんな物理的な方法かよ……」
せめてあたたかい涙をこぼさせてほしい。
「てか、無駄話は家でもできるし……今度こそ帰るか」
「はい、一緒に帰りましょう」
えりりは笑顔でうなずいて、いそいそとあげたばかりの折りたたみ傘を開いた。
「……雨とか一ミリも降ってないけど?」
「ホワイトクリスマスって設定にしましょう」
「……まあ、いいけど」
押し問答をするのも面倒なので、相合い傘で家路につく。
ほかの人とすれ違うとき、だいぶ恥ずかしかった……。
「あ、大事なことを言い忘れてました」
踏切を過ぎたところで、えりりが朗らかに告げる。
「悠真さん、素敵なクリスマスプレゼント、ありがとうございます」
「あー、どういたしまして」
「でも、あまりにも最高すぎて、ちょっとこのさきの悠真さんが心配ですね……」
「え、なんで?」
「だって、プレゼントのハードルが年々上がっていくじゃないですか」
「……来年以降ももらう前提かよ」
「わたしもがんばりますね」
「…………楽しみにしてるよ」
にっこりと微笑むえりりに、俺は苦笑しながら返した。
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