第36話 スマホデビュー

 冬休みも終わりが見えてきた、日曜の昼下がり。

 自室のベッドで漫画を読んでいると、玄関のほうから物音が聞こえてきた。

 里紗さんと買い物に出かけていたえりりが帰ってきたのだろう。


 えりりにしては珍しく、ドタドタと足音を立てて部屋の前を通りすぎる。いったん洗面所に向かったらしい。風邪やインフルエンザに気をつけなきゃいけないこの季節、手洗いうがいは大事だからな。

 急いでいる様子なのに、そのへんきちんとしているのがえりりらしい。


 そのあいだに、俺はキリのいいところまで漫画を読み進める。

 ちょうど栞を挟んだところで、ノックとともにえりりが呼びかけてきた。


「悠真さん、入りますよっ」

「はいよ」


 ドアを開けて、満面の笑みで入ってくる。

 コートも脱がず、ポケットからなにかを取り出した。


「見てください悠真さんっ。ついにわたしもスマホデビューですっ」


 右手で高々とかかげたメタリックなそれは、最新のスマートフォンだった。


「おおー、もう買ってもらったんだ」


 あまりにも得意げだったので、思わずパチパチと拍手をする。


「ふふふ、これでわたしも流行の最先端を行く女子ですねっ。映え映えな自撮り写真をSNSにアップして、フォロワーを五億人作りますっ」

「……スマホを持っただけでめちゃめちゃ増長するな。あと、ネットに自撮りをあげるのはやめといたほうがいいと思う」


 五億人はないにしても、えりりのかわいさなら変な人に絡まれるかもしれないし……。ネットリテラシー、大事。


「そうですか。では、自撮りは悠真さんだけにお送りしますっ」

「俺にも送らなくていい」

「えぇー、スマホの容量をいっぱいにするくらい送り合いましょうよっ」

「テンションたっけえな……」


 さすがについていくのが難しく、苦笑いを禁じ得ない。


「だって、これでもう『見て見てえりり、悠真くんからこんなスタンプが送られてきたー♪』ってお母さんにマウントをとられることはなくなりますし、陽那さんからの連絡に悠真さんを通す必要がなくなりますからねっ」

「……そんなにはしゃぐなら、さっさと買えばよかったのに」

「ほんとそれですよっ。変に意地を張って必要ないという態度でいましたけど、いまどきスマホを持ってないとか、現代人としてありえないですもんねっ」


 いや、べつにありえないとまでは思わないけど。

 ガラケーを愛用している人もいるし。


「というわけで悠真さん。さっそくわたしとあれこれ交換しましょう。サッカー選手が試合終了後にユニフォームを交換するかのように」

「そのたとえはよくわからんけど」

「まず、アプリってどうやってダウンロードすればいいんですか?」

「そこからか」

「はい、わたしのスマホ力はたったの五ですからね。手取り足取り教えてください」

「わかったから、とりあえずコートくらい脱げ」

「アプリのためならぜんぶ脱ぎます」

「ぜんぶは脱ぐな!」


 えりりのテンションを落ち着かせ、コートをハンガーにかけさせ、隣に座らせる。

 アプリのストアを開き、ダウンロードの方法を教えた。


「おおー、さすが悠真さん。見事にダウンロードできましたっ」

「簡単だろ」

「しかも無料で手に入れるなんてっ。ハリウッド映画に出てくるスーパーハッカーみたいな神業ですねっ」

「もともと無料なんだよ」


 違法ダウンロードみたいに聞こえるから、変なよいしょはするな。


「では、悠真さん。いよいよラインというやつを試してみましょう」

「はいはい」


 お互いのアカウントを登録して、


『川原悠真です。よろしくお願いします』


 と、まずは無難なメッセージを送ってみた。


「おお、きました!」

「テキトーに返事してみ」

「はい」


 えりりは慣れない操作に少々もたつきつつも、特に問題なく送ってくる。


『えりりです。末永くよろしくお願いします』


 ……ひとこと余計だけど、まあいいか。


「なるほどなるほど、これはなかなか楽しいですね。ちょっと練習してもいいですか?」

「ああ」


 べつに必要ないとは思うが、水を差すのもなんなので付き合ってやろう。


「じゃあ、ちょっとリビングから送ってみますね」

「わざわざ?」

「顔が見えないほうがそれっぽいじゃないですか」

「たしかに」


 えりりは立ち上がって、部屋から出ていく。

 ややあって、メッセージが送られてきた。


『長い文章を打つのは時間がかかっちゃうので、単語だけで済むしりとりをしてみましょう』


 断る理由もないので、素直に『了解』と返した。


『リサイクル』


 しりとりの『り』からということで、えりりが送ってくる。

 てか、いきなり『る攻め』かよ……。

 ふつう初手は『りんご』とかだろ。まあいいけど。


『ルビー』


『ビール』


 また速攻で『る』を返してきた……。


『ルーレット』


『トラブル』


『ルクセンブルク』


『クール』


『ルール』


『ルーブル』


 こちらの『るカウンター』にも一瞬で対応してきた……。


『ループ』


『プール』


『ルックス』


『スマイル』


『ルイ十四世』


『イスカンダル』


 世界史ネタに同じく世界史ネタで返してくるとか、芸術点もなかなかだな……。

 ちょっとすぐには思いつかなくなかってきたが、意地になって返していく。


『ルーマニア』


『アヒル』


『ルーター』


『タスマニアデビル』


『ルーズリーフ』


『フリル』


『ルネサンス』


『スパイラル』


『ルルイエ』


 いや、もう、だいぶ苦しくなってきたな……。

 ちなみに『ルルイエ』はたしかクトゥルフ神話に出てくる地名で、詳しくはないが単語だけは覚えていた。

 しりとりのマナー的には、お互いが知っている単語のみで戦うべきだが、えりりはこれを知っているだろうか。


 すると、そのへんの判断をしているのか、ここで初めてえりりからの返事が滞る。

 補足を入れようか悩んでいると――


「ん?」


 なぜか単語ではなく、写真が送られてきた。

 写っているのは、かわいくピースしているえりりである。

 いや、なんでいきなり自撮り写真なんだ……?

 ――ああ、そうか、『えりり』ってことか。


 納得して、吐息をもらす。

 写真を送るとか、早くも立派に使いこなしてるじゃねえか……。

 もう練習は必要ないなと思い、俺はスマホを置いた。


 しばらくして。

 ――ドタドタドタドタッ、バンッ!


「悠真さん! せっかく勇気を出して送ったのに、無視するなんてひどいじゃないですかっ!」


 顔を真っ赤にしたえりりが、こちらの部屋に戻ってくる。

 俺は余裕の笑みで対応した。


「いや、ちゃんと返したじゃねえか」

「えっ? そうなんですか? こっちには来てませんけど……」

「『リアルな既読スルー』だからな」

「――まさかのる攻め返しっ!? いや、だいぶ強引ですし! あと、噂には聞いていましたが、既読スルーって思ったよりダメージ大きいんですね! お願いですから二度としないでください!」

「……それは振りってことでいいんだよな?」

「違います! マジ中のマジです! 今度やったらお義母さんに言いつけますからね!」

「……あ、はい、わかりました」


 本気の剣幕で詰め寄られ、俺はこくこくとうなずいた。

 そして、その勢いのまま『既読スルー禁止条約』を結ばされる。

 破った場合は即婚約になるらしい。

 不平等条約だと思ったが、従うしかなかった……。


 また、こちらはどうでもいいけれど。

 しりとりについても、俺の反則負けということになった……。

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