第23話 すき焼きの条件

 ある日の夕方。

 部屋で漫画を読んでいたら、


「悠真さん」

「ん?」

「ちょっといまからスーパーに行ってきますね」


 と、えりりから声をかけられた。


「スーパー?」

「ええ。おしょうゆがそろそろ切れそうなのを思い出して」

「あー、だったら俺が買ってこようか?」


 えりりには日頃からおいしい料理を作ってもらっている。

 おつかいくらいしなきゃ罰が当たるだろう。


「気を遣わなくていいですよ。悠真さんは家でくつろいでてください」

「いや、そう言われてもな」

「あ、それじゃあ、一緒に行ってくれますか? そのほうが買い物も楽しいので」

「ああ、喜んで。役に立たないけど、荷物持ちくらいはさせてもらうよ」

「ありがとうございます」


 というわけで、手早く支度を整えて家を出る。

 西の空はあかね色に染まっており、昼間に比べてぐっと気温が下がっていた。


「思ったより肌寒いな」

「ですね。もう冬も間近って感じです」

「なんか秋ってあっという間に過ぎるよな」

「ええ、もうちょっと日本に居座ってくれてもいいんですけどね」

「きっと奥ゆかしいやつなんだろうな」

「はい。このまえ会いましたけど、とってもいい子でしたよ」


 俺が冗談めかして言うと、えりりは当然のように乗ってきた。

 いいね。だからえりりと話すのは楽しいんだよな。


「このまえって、どこで会ったんだよ」

「そこのコンビニでばったり」

「まじか。なにを買ってた?」

「履歴書ですね。あと、バイト情報誌をもらってました」

「……転職を考えてるのかな」

「ええ、けっこう悩んでる様子でしたね。いまの仕事も給料は悪くないらしいんですけど、夏と冬からのパワハラがきついみたいで」

「くそ、あいつら……だから最近、秋がよりいっそう短く感じるのか」

「日本には必要な人材なので、もっと自信を持って主張していいんですよ、って励ましておきました」

「おお、助かるわ」


 ――なんて。

 そんな他愛ないやりとりをしているうちに、スーパーに到着する。


 来るのは地味にひさしぶりだ。買い物の手間を減らすため、日々の食材の大半は宅配サービスによって届けられるので、あんまり行く機会がない。

 今日のように調味料を始め、ちょっとしたものはスーパーで買っているみたいだが、俺が学校から帰宅する前に、えりりがひとりで済ましてしまうことが多かった。


「せっかくですし、今日の晩ご飯の材料も買っちゃいましょうか」

「ああ、いいんじゃないの」

「悠真さんはなにが食べたいですか? 付き合ってくれたお礼に、リクエストにお応えしますよ」


 なんともありがたいお言葉だ。

 ここでなんでもいいと返すのも野暮である。

 俺はちょっと考え、思いついたものを口にした。


「鍋なんていいんじゃないか?」


 さきほど寒さを感じたので、身体があったまるものを食べたくなった。


「ん、いいですね」

「だろ」

「なに鍋がいいですか?」

「あー、そっか。鍋といってもいろいろあんのか」

「はい。寄せ鍋、チゲ鍋、おでん、しゃぶしゃぶ、すき焼き、などなどです。悠真さんはなにが一番好きですか?」

「まあ、わりとなんでも好きだけど……強いて一番をあげるなら、すき焼きかな」

「なるほど。じゃあ、今日はすき焼きにしましょうか」

「おお、豪勢だな。いいのか?」

「ふふふ、おまかせください」


 強気な笑みを浮かべ、えりりは胸を張って告げる。


「今日はうちの両親も悠真さんのご両親も帰りが遅くて、夕飯はいらないって言われてますからね。つまり、用意するのはふたりぶんなので、ちょっとくらい奮発してもぜんぜんOKなのです」

「おおっ、さすがすぎるぜえりりん!」

「えへへ、惚れ直しました?」

「いや、それはないけど」

「えぇー、ノリ悪いですねー」


 と、えりりはくびちるをとがらせる。

 そんなこと言われても……そもそも惚れてないので、直しようがない。

 恋愛的な意味でなければ、大好きと言ってもいいけどな。


「そんなつれないことを言うと、悠真さんは春菊抜きにしますからね」

「……おい、すき焼きでこそ輝きを放つ春菊を抜くとか、それはいかんだろ」

「ネギと白菜と豆腐もなしです」

「ぜんぶ定番の具材じゃん……」

「白米もなしにしましょう」

「うそだろ……。味の染みた具材と白米によるセレナーデを楽しめないっていうのか……?」

「とどめに、牛肉と卵も抜きです」

「もはやすき焼きでもなんでもねえ……」

「その代わり、しらたきは食べ放題にしてあげます」

「いや、好きだけどさ、ヘルシーにもほどがあるわ……」


 がっくり肩を落とす俺に、えりりはやわらかな笑みで言った。


「仕方ないですね。では、頭をなでなでしてくれたら、許してあげましょう」

「……ここじゃなんだし、家に帰ったらな」

「ん、いいですよ。そのほうが落ち着いて堪能できますしね」


 交渉が成立し、えりりはごきげんな様子で食材選びを始めた。


「さっきあげたもの以外に、入れてほしい具材はありますか?」

「そうだな。それだけあれば充分だけど……」


 と、前置きしつつ、俺は浮かんだものを言っていく。


「しいたけとかえのきとかは、あってもいいかもな」

「なるほど。キノコ類ですね」

「あと、油揚げが意外とうまい」

「へえー」

「締めにうどんもありだよな」

「……充分とか言っておきながら、いろいろ出てくるじゃないですか」

「いや、べつになくても文句は言わないよ」


 俺の言葉に、えりりは興味をそそられたように訊ねてくる。


「じゃあ逆に、なにがなかったらすき焼きとして認められないですか?」

「すき焼きを成立させる、ぎりぎりのラインってことか」

「はい。すき焼きドラフト会議です」

「まあ、そしたら……一位はやっぱり牛肉だろ」

「おおー。ちなみに、豚肉じゃ代用できませんか?」

「それはそれでうまいと思うけど、すき焼きの定義からは外れるな」


 えりりはふむふむとうなずき、続きをうながしてくる。


「では、二位は?」

「まあ、卵かな」

「ほう、割り下ではなく?」

「……割り下も対象かよ。だったら割り下だわ」


 あの味付けがあってこそのすき焼きだ。

 なければしゃぶしゃぶみたいになってしまう。


「それで、卵が三位ですか」

「ああ。あとは四位が白菜で、個人的にはここまであれば、とりあえずはOKかな」

「ほう。意外とすくなくていいんですね」

「まあ、いちおう」


 ぶっちゃけ男子としては、肉が食えればだいたいOKみたいなところはある。


「えりりはどうだ?」

「わたしは、そうですねー」

「ずばり一位指名は?」

「んー、まあ、悠真さんと一緒に食べられたら、べつにお肉がなくてもいいですね」

「は? なんで?」

「えへへ、それはですね」

「――あ、待て。やっぱ言わなくていい」


 なんとなくオチが見えたので、俺は会話を打ち切りにかかった。


「えー、言わせてくださいよー」

「遠慮する」

「悠真さんのことが、好きだからですよ」

「だからいいって!」

「あはは、これがほんとすき焼きですね」

「なんにもほんとじゃないし、ぜんぜんうまくもないからな!」


 それから当初の目的であるしょうゆと、俺の希望どおりの食材をそろえて、会計をして帰宅する。

 見事な手際で、えりりは素晴らしいすき焼きを作ってくれた。

 しょうもないシャレと違って……こちらはめちゃくちゃうまかった。

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