第6話 パンツの話はもういい
「また、明日も来てもいいですか?」
えりりはうちに来ると、だいたい帰り際にこんなようなことを言う。
べつに断る理由はないので、俺は気軽に「いいよ」と答える。
すると、えりりはうれしそうにはにかむ。
「えへへ、ありがとうございます」
で、その結果として……。
気がつけばすっかり、えりりは俺の部屋に入り浸るようになっていた。
学校から帰宅して、夕食の支度をする時間になるまで、各自で漫画を読んだりゲームをしたりあるいはただ雑談したりと、ふたりでだらだらと過ごすのだ。いちおう休日は遠慮しているようだが、そのぶん平日は毎日のように、というか実際に毎日やってきていた。
ここまで懐いてくれるとは正直思っていなかった。もちろん悪い気はしない。なんだか妹ができたみたいだ。たぶんえりりのほうも、俺を兄みたいに思っているんじゃないだろうか。お互いひとりっ子なので新鮮な感覚だった。
椅子に腰かけた状態で、ベッドに視線をやる。
えりりは『ドラゴンボール』を読んでいた。漫画史において欠かせない超傑作に、えりりはここ数日どハマり中である。
ベッドの上に乗られるのはあきらめた。このお嬢さんは基本的にはいい子だが、意外と強情なところもあり、何度注意しても翌日にはまたベッドにポジションを構えようとするのだ。やっぱりそこが落ち着くらしい。自分の部屋のようなくつろぎっぷりだ。
まあ、それ自体はべつにいい。えりりとは漫画の趣味も合うし、話していると純粋に楽しい。お客が快適に過ごせるなら、部屋の主として不満はない。
だけど。
さすがにそれが二週間も続くと、ちょっと心配になってくる。
なので、俺は話を振ってみることにした。
「なあ、えりり。ひとつ訊いてもいいか?」
「いまいいところなので、あとにしてください」
「……」
ちらりと覗いてみると、たしかにめちゃくちゃいいところだった。孫悟空が初めてスーパーサイヤ人になった場面だ。ただ、ナメック星の行く末より、いまはえりりのことのほうが気になる。
「えりり、ちょっと聞いてくれ」
「うるさい!」
「……すいません」
キレられた。
えりりに本気で怒鳴られたのは初めてかもしれない。
俺の部屋で、俺の漫画なのに……。
いや、しかし、気持ちはわからんでもない。
しょうがないので、フリーザ戦が終わるまで待つことにした。
キリのいいところまで読み進めたのを確認して、俺は再度話しかける。
「なあえりり。もういいだろ?」
「待ってください。人造人間がどんな敵か見てから」
「ダメだ。そしたらまた止まらなくなるだろ」
「べつにいいじゃないですか。話はいつでもできます。わたしは逃げませんよ」
「漫画だって逃げねえよ。いったん止めないと没収した上にネタバレするぞ」
「……脅迫ですか。小学生相手におとなげないですね」
「おとなは理不尽なものなんだよ」
「むぅ、わかりましたよ」
と、えりりは漫画を閉じてこちらを向く。
「で、話ってなんですか? 世界情勢についてですか?」
「そんなややこしいテーマを唐突に話すか」
それにこいつの賢さだと、俺のほうが話についていけなそうだし。
「では、わたしのパンツの色についてですね?」
「そんなわけねえだろ。なんで世界情勢の次がパンツなんだよ。話飛びすぎだろ」
「でも、年頃の男子は常に女子のパンツのことを考えているのでしょう?」
「常には考えてねえ。もしそんなやつがいたら変態だから近寄るなよ」
「なるほど」
えりりはうなずき、興味深そうに訊ねてくる。
「では、悠真さんはいつどんなときに、女子のパンツについて思考を巡らせるのでしょう?」
「すくなくともえりりの前では考えねえから安心しろ。てゆーか、パンツの話じゃねえって言ってるだろ。もうパンツ禁止な」
「ぱ、パンツ禁止って、ノーパンになれってことですか!?」
「ちげえよ!」
「悠真さんはとんでもない要求をしてきますね……従いますけど」
えりりはスカートのなかに手を入れた。
「ちょっ、従うな! そもそもそんなこと言ってねえし、たとえ言ったとしても断固として拒否しろ!」
「脱いだパンツはもちろん悠真さんに献上するんですよね?」
「だから脱ぐな! あともちろんとか言うな!」
「あはは、冗談ですよ」
えりりはスカートから手を戻して、したり顔になった。
「……いや、わかってるけどさ」
はあ、と大きく息をついた。
こいつの冗談は下手すると事案になりそうで怖い……。
「まったく悠真さん、わたしのパンツに興奮しすぎですよ」
「してねえ。てゆーかいい加減、話をさせてもらってもいいですかね?」
「仕方ありませんね。どうぞ」
「……」
なんで上からなんだよ。いまはツッコまないでおくけど。
一呼吸おいて切り出す。
「えりりさ、いくらなんでもここに来すぎじゃない?」
「……それは、遠回しに来るなってことですか?」
えりりは露骨にしゅんとした。大きな瞳を不安たっぷりにしてこちらを見つめる。
当然ながら、悲しませたいわけではない。俺はやわらかいトーンで否定した。
「いや、違うよ。そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味でしょう……?」
「学校の友達とかと遊んだりしないのか?」
「……それは、あれですか。悠真さんはわたしに友達がいるかどうかを心配しているのでしょうか?」
「――――」
いきなり核心を突かれて俺はやや驚いた。めちゃくちゃ察しがいいな。
「まあ、ありていに言えばそうかな」
「そうですか、お気遣いいただきありがとうございます」
「気に障ったか?」
「いえ、とんでもないです。皮肉じゃなく、悠真さんに気にしてもらえるのはうれしいです」
えりりは小さく微笑み、言葉を継ぐ。
「ただ、それは完全に杞憂ですね。わたしは学校にもそれなりに友達はいますよ」
「あ、そうなの?」
「はい。なにを隠そう『影の委員長えりりん』とはわたしのことです」
「……お嬢様学校とは思えない異名だな」
「半年くらい前に三日だけ流行りました」
「あー、俺も小学生のとき、なんかそういうのあったわ」
一瞬だけクラスでブームになるやつな。
さておき。
「でも最初に話したときさ、周りからめんどくさがられてるとか言ってなかったか?」
「あー、言いましたね」
「そこらへんはどうなのよ?」
「それもべつに問題ではないですよ。わたしの話が面倒なんであって、わたし自体が面倒なわけじゃありませんから。わたしは空気が読める女ですからね。学校でのボケはほどほどにして、むしろ聞き上手としての地位を築いています」
たしかに言われてみれば、こいつの距離感は絶妙だ。たまーにさっきみたいに調子に乗りすぎて焦らされることはあるが、不快に感じたことは一度もない。
「勘違いしないでいただきたいのは、だからって学校がつまらないというわけじゃないですよ? 勉強も嫌いじゃないですし、クラスメイトと遊ぶのは楽しいです」
「ふーん。だったらここに来るのもいいけどさ、学校の友達と遊ぶのと半々くらいにしたら?」
「そうするのもやぶさかではないですが、悠真さんは麗千を見誤っていますね」
「ん? どういうこと?」
「小学生は放課後、友達と遊ぶものだとか思ってるでしょう?」
「まあ」
すくなくとも俺の小学生時代はそうだった。
「麗千の生徒は違います。ほとんどの人は塾か家庭教師か、なにかしらの習いごとをしています。だから遊びたくても相手がいないんです」
「……なるほど」
それは盲点だった。
俺みたいな一般人が通っていた小学校とは、根本的に時間の使い方が違うのか。
「まあ、仮にいたとしても、わたしは悠真さんを優先させますけどね」
「なんでだよ」
「それは乙女の秘密です」
「なんだそりゃ」
いやまあ、言われなくてもだいたいわかるけどな。
漫画とかゲームがあるからだろ。
「というか、友達と言うなら悠真さんだって誰とも遊んでないじゃないですか」
「それはえりりが来るからだろ」
「……え?」
えりりがぱちくりと目を瞬かせる。
「わたしのために、予定を入れないようにしてくれてたんですか?」
「そうだよ。でなきゃ週に一、二回くらいは遊んだりするよ」
だけど、毎回名残惜しそうに『明日も来ていいですか?』なんて言われたら、まっすぐ帰るしかないじゃないか。
「……それは、なんか、申し訳ないです」
えりりは恐縮するように顔を伏せた。
「いや、べつに謝らなくていいよ。用があったら言うし、えりりといるのは楽しいしな」
「……つまり、わたしに惚れていると考えてよろしいですか?」
「よろしくねえよ」
「えー」
「えーじゃない」
「でも、うれしいお言葉ありがとうございます」
えりりはえへへとはにかみ、
「わたしも悠真さんとおしゃべりするのは、世界で一番楽しいです」
「そりゃ、こちらこそどーも。ただ、さっき『ドラゴンボール』を優先させてたことは忘れないけどな」
「……根に持ってるんですか?」
「べつに」
「もう、わかりましたよ」
えりりはやれやれと嘆息して、
「では、そのお詫びと日頃のお礼を兼ねて、どんな願いでもひとつだけ叶えてあげましょう」
「シェンロン気取りか」
「はい、不老不死にだってしてあげますよ」
「堂々とうそをつくな」
「でもギャル、というかわたしのパンティくらいなら差し上げられます」
「パンツの話はもういい」
いい加減にしろ。女子としての慎みを持ちなさい。
「それで、なにかないんですか? どんな願いでもは無理ですが……」
えりりはいたずらっぽい口調で言う。
「わたしにできることなら、なんでもさせていただきますよ?」
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