第16話 照れ隠し検定
新学期初日はほとんど始業式だけなので、正午前に俺は帰宅した。
平凡な公立校らしいゆるいスケジュールだ。
対して、えりりが通う麗千では最初からふつうに授業があるらしい。私立だからか、あるいは二学期制だからか。
なんにせよ、高校生が小学生より楽なのはどうだろう? とか思わなくはない。
こういうのが積み重なって将来のあれこれが変わってきたりするんだろうか。学問のすすめだな。
福沢先生の教えに従い、俺も勉強することにした。
まあ、明日夏休み明けテストがあるからなんだけど。
テキトーなテレビ番組をBGM代わりに流しながら、だらだらと数学の問題を解き続ける。二時間ほど経ったところで腹が減ってきた。ちょっと疲れてきたし、飯にしよう。
えりりが冷やし中華を用意してくれていた。朝飯だけでなく昼飯まで準備してるとか、いったい何時起きだよと恐縮せざるを得ない。
冷蔵庫から麺と具とタレを出して混ぜ合わせる。
いただきます、と小さく声に出して箸をつけた。
――うわ、うまっ。
冷やし中華ってこんなにうまいものだったんだ。これまでコンビニのものしか食べたことがなく、あれはあれでけっこう好きなんだけど、断然こっちのほうがいいな。
つるつると口に運んでいき、あっという間に完食してしまった。
しばし食休みを入れて、勉強を再開させる。今度は英語だ。ひたすら単語や熟語を書いて記憶していく。退屈極まりないけど、えりりも学校で勉強してるのだと思うと、サボる気にはなれなかった。
自分でも意外なくらい集中でき、気がつくとけっこうな時間が経っていた。
んーっ、と伸びをして、とりあえずこんなもんでいいかと切り上げる。
アイスでも食おうかな、と部屋を出たところでちょうど玄関のドアが開いた。
えりりが帰ってきたのだ。
自分の家で着替えてきたようで、ノースリーブワンピースと涼しげな格好である。
「ただいゆうまさんです」
「おー、おかえりり。いまからアイス食うけど、えりりも食べる?」
「あ、やった。いただきます」
冷凍庫からガリガリくんを二本持ってきて、俺の部屋で食べる。
「やっぱり梨はおいしいですね」
ひと口かじって、えりりはしみじみと言った。
「そうだな」
「その相づちですと、ソーダのほうがいいみたいに聞こえなくもないですよ」
「いや、わかるだろ」
さすがにそのツッコミは細かすぎだ。
「ところで、ソーダとサイダーってどう違うんですか?」
「……さあ、意識したことないわ」
「なんとなく、戦ったらサイダーのほうが強そうですよね」
「戦わせる意味がわからんけど、でも、ソーダのほうが知略に長けてそうじゃん」
「力か知か、よきライバルですね」
「協力したら最強だな」
「総裁ですしね」
「それだとなんか悪っぽいイメージになるな」
そんな益体もない会話をしながらガリガリくんを食べ終えると、
「そういえば、冷やし中華はどうでした?」
と、えりりが訊ねてきた。
「ああ、うまかったよ。ごちそうさま」
「ふふ、それはよかったです」
「手作りの冷やし中華って初めて食べたよ」
「へえ、そうなんですか?」
「ああ、タレがすげえうまかった。どうやって作るの?」
「ふふ、それは企業秘密です」
「企業じゃねえだろ」
「キスしてくれたら教えてあげます」
「じゃあいいや」
「あきらめ早っ! もうちょっと粘ってくださいよ!」
「知ったところで、たぶん自分じゃ作らないし」
「なるほど」
えりりはニヤリとして、
「それはつまり、一生わたしに作ってほしいと?」
「学校はどうだった?」
「スルー!? せめてツッコんでくださいよ!」
「なんでやねん」
「うわ、雑っ!」
「で、学校はどうだった?」
「……悠真さんのいけず」
はあ、と嘆息して、えりりは切り替える。
「べつにふつうですよ。可もなく不可もなくです。悠真さんはどうでした?」
「こっちは始業式とちょっとしたHRだけだったから、どうもこうもないな」
「そうですか。明日からはもう午後まであるんですよね?」
「ああ。主要科目は休み明けテストがあるけど、時間割的にはほぼ通常運転だな」
「じゃあ、お弁当を作ってもいいですか?」
「え、作ってくれるの?」
「はい。悠真さんの食事は全部わたしにまかせていただきたいです」
「……いや、やっぱいいよ」
「えっ、なんでですか?」
「だって大変だろ?」
夏休み中はまだ時間にゆとりがあったからよかったけど、学校が始まれば朝は忙しい。そこまで面倒かけるわけにはいかない。
「いえ、ぜんぜん大丈夫ですよ。朝食のついでみたいなもんですし、夕飯の残りを使ったりもしますし。それに麗千もお弁当なので、どっちみちわたしは作ります。ひとつもふたつも変わりません」
「ほんとに? 無理しなくていいんだぞ」
「無理なんてしてません。余裕ですよ。それとも、わたしのお弁当よりコンビニのほうがいいですか?」
「いや、そんなことは絶対ないけど」
というかぶっちゃけた話、えりりの料理で舌が肥えてしまったので、いまさらコンビニとか購買のものはあまり食べたくない。絶対調子に乗るからそこまでは言わないけど。
「だったらいいじゃないですか。悠真さんはおいしいお弁当が食べられて、わたしは悠真さんにお弁当を食べさせてあげることができる。ウィンウィンな関係ですよ」
「俺のほうが圧倒的にウィンな気がするぞ」
「そう思わせるのがわたしの作戦です。ここでポイントを稼いでおけば、ほかで多少やんちゃしても許してくれるでしょう?」
「…………」
半分本音で、もう半分は俺に気を遣わせないためってところか。
そして図星でもある。
「じゃあ、お願いしようかな」
けっきょく、おいしいものを食べたいという単純な欲求に負けた。
「はい、喜んで。もしそれでもまだ申し訳ないと思うようでしたら、お礼にキスしてくれればいいので」
「それは無理だけど」
「むぅ、では頭なでなででどうでしょう?」
「……まあ、それくらいならいいけど」
「ほんとですかっ? じゃあ、ぜひそれでお願いします」
えりりはうれしそうに言って、頭をこちらに向けてきた。
「では、さっそく今日のぶんをお願いします」
「え、今日から?」
「はい。冷やし中華おいしかったんでしょう?」
期待に満ちた目で見つめられる。
……こいつ、キスというでかい要求を断らせて、次の小さな要求を断りにくくしたな。俺でも知っている基本とはいえ、心理学を駆使した交渉をする小学生ってどうよ。
「わかったよ」
しょうがないなと、えりりの頭をなでてやる。
うわ、すげーさらさらで、すげー気持ちいい。
俺の髪とは分子の構造からして違うだろ、これ。
「あー、幸せです」
えりりはひなたぼっこ中の猫みたいに目を細めた。
……くそ、かわいいな。もっと甘やかしてやりたくなってしまう。
「もういいか?」
「まだです。ハゲるまで続けてください」
「イヤだよ!」
どんだけだ。髪は女の命だろ。
手を離すと、えりりは「えー」と不満げな声を上げた。
「三十秒も経ってないじゃないですか」
「あんまりやりすぎたらありがたみが減るだろ」
「とか言って悠真さん、照れたんでしょう?」
にやにやと笑みを浮かべていじってくる。
「無邪気に喜ぶわたしを見て、正直ちょっとかわいいとか思っちゃいました?」
「……ここでその余計なひとことを言うのがえりりらしいよ」
「まあ、これがわたしなりの照れ隠しですからね」
「ぜんぜん照れてるようには見えないけどな」
「照れ隠し検定一級ですから」
「そんな検定あったのか」
「受験や就職にも有利です」
「まじか。俺にも取れる?」
「どうでしょう。筆記はわりと簡単ですが、実技が難しいんですよ」
「どんな内容なんだよ」
「では、やってみましょうか?」
「いいぞ」
うなずくと、えりりはこほんとわざとらしく咳払いをして、
「悠真さんって超カッコイイですよね」
「……」
――なるほど。そういうことか。要は褒められても動揺しなきゃいいんだな。カッコイイはお世辞すぎて逆になんも思わないぜ。
「でも、寝顔とかは超かわいいです」
「ぅ……」
かわいいはさておき、寝顔を言及されるのは恥ずい。
「もう一生寝てて欲しいくらいですよ」
「おい」
それは褒めてねえ。
「あと、ご飯を食べてるところも好きですねえ。おいしそうに食べてくれるので、作り甲斐があります」
「……」
「そして、忘れちゃいけないのが笑顔ですね。もう大好きです。悠真さんの笑顔を守るためならわたし、なんでもしちゃいますよ」
「よし、もうやめよう」
降参だ。リアクションに困る。てゆーかふつうに照れる。隠せるかこんなもん。
「あはは、悠真さんぜんぜんダメですねー。それじゃ五級も怪しいですよ?」
「うるせえ」
これといった特技もなく生きてきたのだ。褒められるのに慣れてないんだよ。
「ま、もし一級レベルになっても、わたしは見抜いちゃいますけどね」
「なんでだよ」
「わたしは悠真さん検定一級なので」
「――そんな検定はねえ」
「ふふふ。やっぱり五級も取れそうにありませんね」
と、えりりはいたずらっぽく笑った。
……ちくしょう、年下にからかわれるとは我ながら情けない。
一瞬やり返してやろうかと思ったが、それはそれでえりりの思うつぼのような気がして、やめておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます