第44話 オーブンだけに

 板チョコを刻んだあとは、湯煎で溶かしていく作業だった。

 耐熱ボウルにお湯を入れて、その上にチョコを入れたボウルを重ねる。


「チョコレートは火属性のモンスターのごとく、水気に弱いですからね。お湯が入らないように注意してください」

「わかった」


 えりりの指示に従い、ゴムベラを使いつつちょっとずつ溶かしていく。


「――お、いい感じにとろけてきたな」

「はい、さすがですっ。こんなにスムーズに溶かせるなんて、きっとチョコレートも悠真さんにメロメロになってしまったんでしょうねっ」

「よっ、川原くんのチョコレートたらしっ」

「チョコレートには手を出しても犯罪じゃないからねー」


 なんだか人聞きの悪い賛辞だが……まあ、よしとしておこう。

 とろとろになったチョコレートに、薄力粉をふるいにかけて入れていく。

 直接入れるとダマになったりして、サクサク感が大きく損なわれてしまうらしい。


 チョコレートと薄力粉をゴムベラで丁寧に混ぜ合わせ、よきところでラップの上に乗せていく。

 多めに生地を作っていたようで、三つに小分けした。

 それを海苔巻きみたいにして、細長い棒状にする。


「これを切って焼いていくわけですが、その前に大事なことがあります。悠真さん、なんだかわかりますか?」


 いや、そんなこと急に振られてもわからない。

 しかし、無回答というのもなんなので、


「えーと……お菓子の神様に祈るとか?」

「メルヘンですね」


 テキトーに答えると、えりりはくすりと笑ってくれた。


「では、祈ってください」

「え、まじで?」

「まじです。悠真さんは大事なことだと思ったんでしょう?」

「いや、それは……」

「川原くん、教わっている立場なんだから、師匠の言うことはちゃんと聞かないとダメだよ」

「私もそう思うな。自分の言葉にはちゃんと責任を持たないと」


 女子三人がにまにましながら追いつめてくる。

 とてもじゃないが、断れる雰囲気ではない……。

 俺は迂闊な発言を後悔しつつ、


「…………お菓子の神様、どうかおいしくしてください」


 胸の前で両手を組み合わせ、自分なりに祈りを捧げてみた。


「あはは、悠真さん、おかわいいですね」

「川原くんってそういうとこあるよねー」

「ひねてくれてそうだけど、意外と純粋だよね」


 女子たちは遠慮なく笑いものにしてくれた。

 これはふつうに恥ずかしい……。


「……で、正解はなんだよ?」


 抗議することもできず、ぶっきらぼうに訊ねた。


「生地を休ませることです」

「あー」


 言われてみれば、わりとよく聞く工程だ。

 たしかグルテンだかなんだかが、影響してくるんだっけ。


「三十分ほど冷蔵庫に入れておくので、そのあいだに違うレシピのチョコクッキーにも挑戦してみましょう」

「はいよ」


 で。

 あれこれやっているうちに、あっという間に三十分が経過する。

 最初に作った生地の一本を冷蔵庫から取り出し、ラップを剥がしてまな板に乗せた。


「八ミリくらいの厚さで切ってください。ここでの最重要ポイントは、もちろん指は切っちゃダメ、ということです」

「わかってるよ」


 生地に包丁を当てて、ふと思う。


「……八ミリってどれくらい?」

「高校生にもなって、ミリという単位を知らないんですか?」

「知ってるわ。感覚的にどんなもんかわからないんだよ」

「一円玉の直径が2センチなので、その半分よりちょっと下って感じですね」

「なるほど。じゃあこんなもんか」

「そうですね。あと、ベタベタ生地にはさわらず、なるべく手早く切ってください。ただし焦るのは禁物ですよ。安全第一でお願いします」

「わかった」


 万が一にも指を切ったら、痛いだけでなく二度と包丁を持たせてもらえなくなるかもしれない。

 言われたとおり、慎重に生地を切っていく。

 幸いにもケガはしなかったが……。


「あ」


「あぁ……」


「えぇ……」


「…………」


 一枚切るごとに、えりりの表情が無に近いものになっていった。

 一本切り終えたところで、俺も苦笑いしてしまう。

 ちょっと信じられないくらい、厚さがバラバラだった。

 我ながらひどい出来だな……。


「へえー、悠真さんの一円玉は、それぞれ大きさが違うんですね」

「そうなんだ。あたし一円玉って、ぜんぶ同じ大きさだと思ってたよ」

「私も。川原くん、おもしろいことを教えてくれてありがとね」


 皮肉が半端ないな……。

 さっきはチョコを刻んだだけであんなに褒めてくれたのに……。

 接待の時間は終了してしまったらしい。


 ともあれ。

 クッキングシートを敷いた天板に、切った生地を乗せていく。

 こちらのぶんで一枚、三浦・長峰ペアのぶんで一枚、それぞれの天板をオーブンに入れた。


「わたしと悠真さんの関係のように、ちゃんとオーブンを余熱しておくのが、とても重要なところですね」

「よくわからんたとえは入れなくていい」

「あと、オーブンによってムラとかクセがありますので、初めて作るときはそのあたりを注意して、様子を見たほうがいいでしょう。レシピどおり作ったのに焦げてしまうとかは、だいたいこれが原因です」

「なるほど」

「もちろんわたしは、悠真さんとこのオーブンのことは知り尽くしていますので、ご安心ください」

「ご安心できねえなぁ……」


 実際、自分自身でも気づいてないクセとか、知られてたりしそうだし……。


「いやあ、ほんと師匠と川原くんって熱々だよね、オーブンだけに」

「ほんとやけちゃうよね、オーブンだけに」

「えへへ、素直じゃなくて手を焼かされることもありますけどね、オーブンだけに」


 たいしてうまくもないのに、三人はそんなことを言ってくすくすと笑った。

 くそ、また好き放題からかってくれやがって……。

 俺は必死に頭を働かせて、その会話に口を挟む。


「まったく、女子に言われっぱなしなんて、俺も焼きが回ったもんだぜ、オーブンだけに」


「…………」

「…………」

「…………」


 三人は見事なまでに沈黙した。

 うそでしょ……。

 直前までめっちゃなごやかだったじゃん……。


「おふたりとも、うちの悠真がすみません。もしかしたらオーブン内の温度が変化して、クッキーに悪影響を及ぼしてしまったかもしれません……」

「ううん、気にしないで、師匠」

「そうだよ、えりりちゃん。失敗は誰にでもあることだから」


 いや、いやいやいや……。

 なんで俺だけそんな寒いこと言った感じになるんだよ。

 レベル的には同じくらいだっただろうが。

 百歩譲って俺だけ寒かったとしても、オーブン内の温度が変化ってどういう理屈だ。


 こうなったらヤケである。

 俺はもうひとつ放り込んでみた。


「あの、もっとあったかい反応をしてくれませんかね? オーブンだけに」


「…………」

「…………」

「…………」


「だから沈黙はやめてくれ!」


 ちょっと泣きそうになって懇願すると、三人は我慢できなくなったように笑い出した。


「あはは、ほんと悠真さんは世話が焼ける人ですねー」

「「オーブンだけにね」」

「うるせえよ!」


 このままだとオーブンを見るたびに苦い気持ちになってしまう……。

 俺は住人の権限を発動し、この家でオーブンをネタにするのは禁止にさせてもらった。

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