第8話 テスト勉強
ある土曜日の昼下がり。
コンコンコンという丁寧なノックが、俺の集中を途切れさせた。
「悠真さん、いらっしゃいますか?」
ノックの主、えりりが廊下から呼びかけてくる。
「いらっしゃいますよ」
机に向かっていた俺は、シャーペンを置いて答えた。今日えりりが遊びに来ることは聞いていないが、こうした突然の訪問はもう慣れたものだ。
川原家と大江家の食事会から一週間。
うちの親とも親しくなり、合い鍵を手にして以来、えりりは平日休日関係なく、こんな調子で気軽に訪れるようになっていた。たとえ俺が不在でも、ひとりで漫画を読んだりゲームをしたりして過ごしている。
その自由度は日に日に増していて、昨日なんか帰宅したら俺のベッドですやすやとお昼寝していた。そのうちえりりの私物も持ちこまれたりするかもしれない。
「入っていいですか?」
「どーぞ」
了承すると、静かにドアを開けて入ってくる。
「あれ、勉強してるんですか? 珍しいですね」
「月曜から期末テストなんだよ」
うんざりと俺は返した。七月の上旬。一学期最後の試練である。
「なるほど、それで慌てて勉強ですか」
「べつに慌ててはないよ」
いちおう真面目に授業を受けているしな。
この週末そこそこ勉強すれば、平均点くらいはとれるだろう。
「わたし、お邪魔ですか? それだったら帰りますけど」
「好きにしな。相手はできないけど、うるさくしないならいてもいい」
「ありがとうございます。では、高校生のテスト勉強というものを見学させていただきますね」
と、えりりはこちらに歩み寄ってくる。机の上にある教科書を見て、
「算数ですか」
「数学な」
「……どっちでもいいじゃないですか。細かいですね」
「はいはい」
しかし、算数ってひさびさに聞いた。語彙が豊富で、おとなびた喋り方をするえりりから、そんな子どもらしい単語が出るとなんだか微笑ましい。
「ふむ。もしかしてこれが、難関と名高い微分積分ってやつですか?」
「そうだよ。てか、知ってるんだ」
「ええまあ」
「もしかして解けたりする?」
「無理に決まってるじゃないですか」
「だよな」
もしやと思って訊ねてみたけど、真っ当な答えにほっとする。さすがのチートガールも高校の数学まではカバーしていないらしい。もしすらすら解かれたら、俺の小さなプライドでもいくらか傷つく。
「クラスメイトには解ける人もいますけどね」
「……そうなんだ」
恐るべしお嬢様学校。まあ、全国トップレベルの小学生は余裕で俺より学力あるだろうしな。えりりだって習ってないだけで、教えられたらあっさりできちゃいそうだし。
「ところで、この時期にテストがあるってことは、悠真さんの高校は三学期制なんですね」
「そうだよ。麗千は二学期制?」
「ですね」
「ふうん。俺はずっと三学期制だから、二学期制はちょっと違和感あるんだけど」
「というと?」
「だって、通知表をもらうの十月とかなんだろ?」
「はい。それがおかしいですか?」
「ああ。やっぱり成績は、夏休みとか長期休暇の前に出されるイメージだから」
「なるほど。ではやはり、悠真さんは二学期制より三学期制のほうがいいですか?」
「どちらかと言うとね」
いずれにせよメリットデメリットはあるのだろうが、個人的には慣れ親しんだ制度のほうが好ましい。
「試験だって休み明けにあるくらいなら、前にあったほうがいいし」
「なぜです?」
「そのほうがすっきりして休みを満喫できるだろ」
「あー、それは一理あるかもしれませんね」
「えりりはどっちのほうがいいと思うんだ?」
「わたしも断然、三学期制ですかね」
「断然? なんで?」
「だって、フィクションの学校は大体三学期制じゃないですか」
たしかに、言われてみるとそうかもしれない。が、
「……それだけ?」
「それだけじゃダメですか?」
「いや、ダメってことはないけど」
断然と言うわりにはしょぼい理由だ。
もっと学術的見地から意見を述べるのかと思った。
「わたし、学園ものによくある『赤点取ったら補習だよ!』的なイベントがけっこう好きなんですよ。最近読んだ『SLAM DUNK』にもそれっぽいくだりがありましたけど」
「まあ、お約束だな」
「二学期制だとそれができないでしょう? まったく、無粋な制度ですよ」
「文部科学省も驚きの批判だな」
二学期制をそんな角度から捉えた人はいないと思うぞ、たぶん。
「なので、中学に進学してわたしが生徒会長になったあかつきには、麗千を三学期制にすることを公約と致します」
「生徒の権限じゃねえだろ」
「大丈夫です。学園ものではたびたび、教師より権力がある生徒会長が登場します」
「ここは現実だ。てゆーか、そんな公約じゃそもそも当選できないだろ」
「そこはわたしのかわいさで押し切ります」
「自分でかわいいって言うな」
えりりは悪い顔でフフフと笑い、グッとこぶしを握る。
「学園のアイドルになって、男子票を根こそぎゲットですっ」
「麗千は女子校だろうが」
「――あっ、そうでした! この大江えりり、一生の不覚です……!」
「小学生の一生の不覚って、ぜんぜん重みないな」
「けっきょく、過ぎた力を求めると身を滅ぼすってことですね……」
「いまの流れでいい教訓みたいにまとめるな」
そういうのは魔的なアイテムとかが出てくるから成立するんだよ。
「まあ、どちらの制度がいいかはさておき」
あっさり立ち直り、えりりは言う。
「悠真さん、勉強しなくていいんですか?」
「……するよ! おまえが話すから付き合ってたんだろ!」
「なるほど。わたしとのおしゃべりが楽しすぎて、つい勉強を忘れてしまったと」
「ちげーよ」
「気持ちはわかりますが、ちゃんとやらないとダメですよ? それこそ赤点で補習なんてことになれば、わたしが困ります」
「……なんでえりりが困るんだよ?」
眉をひそめる俺に、えりりは堂々と答えた。
「夏休みは、悠真さんにいろんなところに連れていってもらう予定ですから」
「待て。なんでえりりの予定に俺が勝手に組みこまれてるんだよ」
「仕様ですね」
「バグだろ。責任者を出せ」
「悠真さんのお母様からは許可をいただいていますよ?」
「……卑怯だぞ」
「定跡ですよ。城を落とすにはまず外堀を埋めます」
えりりは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「……はいはい、わかったよ。どっかしらには連れてってやるよ」
「ほんとですかっ?」
「ああ」
勝手に決められていたのがダメなだけで、べつにイヤってわけじゃないからな。
「やった! 悠真さん最高です!」
えりりは目を輝かせて大げさにはしゃぐ。
「最高すぎてもはや神です! 新世界の神ですね!」
「その言い方はなんか違う」
と、そんなこんなはありつつも、その後はきちんと勉強した。
えりりも茶々を入れるのは自重して、英語の単語カードを作ってくれたり、ちゃんと覚えてるか確認のための問題を出題してくれたりと、あれこれ手伝ってくれた。
そのおかげで、いつもより好成績で期末テストを乗り切ることができた。
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