第9話 看病イベント
風邪をひいてしまった。
夏休みに入った矢先である。
「まったく、なにやってるんですか……」
ベッドで横になっている俺に、朝っぱらからやってきたえりりはあきれた様子でため息をついた。
「この夏はわたしと遊びまくらなきゃいけないんですよ? 風邪なんてひいてる場合ですか」
「……すいませんね」
俺はおざなりに謝罪した。たしかにどこかに連れていく約束はしたが、遊びまくるなんて知らねえぞ、と反論する元気もない。
てか、うつると困るから来るんじゃない、と親に伝言を頼んだはずなんだが……。
「しかし、ひいてしまったものは仕方ないですね。一日も早く治るよう、微力ながら看病させていただきます」
「え……看病に来てくれたの?」
お叱りから一転、気遣いの言葉にやや驚く。
「当然です。お父様もお母様もお仕事でしょう? なら、悠真さんにはわたししかいないじゃありませんか」
「……いや、悪いからいいよ」
「遠慮しないでください。わたしと悠真さんの仲じゃないですか。それにお母様から頼まれてますので、悠真さんに拒否権はありませんよ」
えぇ、まじか……。
あの母親、なんで俺の伝言とまるきり逆のことを言ってんだよ。
「症状はどんな感じですか?」
「……喉がちょっと痛いのと、身体がだるいのと、鼻づまりがしんどい」
意地を張ってもしょうがないと観念して、正直に答えた。
「なるほど。なにかしてほしいことはありますか?」
「特にない」
「ほんとですか? 素直に甘えてくれたほうがわたしとしても助かるんですけど」
「まじでないんだよ」
「では、これを飲んで寝ててください」
持参していたコンビニの袋から、えりりはポカリのペットボトルを取り出した。わざわざ買ってきてくれたようだ。ありがたく受け取る。
「水分補給は基本中の基本ですからね。喉がかわいたって状態にならないよう、マメに飲んでください」
「わかった」
「わたしはリビングにいるので、なにかあったら呼んでください」
「はいよ。ありがとな」
「どういたしまして。では、しっかりとお休みください」
と、えりりは部屋を出ていった。
俺はもらったポカリを適度に飲んで、目を閉じる。とにかくいまは寝るしかない。
しかし、風邪というのは厄介なもので、睡眠すらもままならなかった。
原因は主に鼻づまりだ。鼻がつまると呼吸がおかしくなり、おかげで身体は睡眠を欲しているのにぜんぜん寝つけないということになる。眠いのに寝られないというのは実にきつい。普段意識することはないが、健康って素晴らしいことなんだなと痛感させられる。失って初めて気づく大切さ、ってやつだ。取り戻したらまた忘れそうだけど。
そんな益体もないことを考えたりしながら、浅い眠りを繰り返す。気がつくと、えりりが来てから二時間近く経過していた。ポカリも空になってしまった。
……トイレに行こう。
重たい身体にムチを打って、ベッドから立ち上がる。
ふらつきそうになるのを堪えてトイレまで歩いた。
そして、トイレから出たところで、えりりとばったり対面した。
「あ、悠真さん、なに起きてるんですか」
非難するような口調でえりりが言う。
「なんかあったら呼んでくださいって言ったでしょう」
「トイレでいちいち呼ぶかよ」
「倒れたりしたら危ないじゃないですか」
「そこまでの重病じゃないよ」
えりりの注意から逃げるように、俺はその場から離れてベッドに戻った。
ついてきたえりりは、目ざとく空のペットボトルを見つける。
「もう、なくなったなら呼んでくださいよ。わたしを呼ぶのがイヤなんですか?」
「それは飲み終わったばっかだよ」
「ほんとですか?」
疑いの眼差しを向けられる。
「ほんとだよ。トイレのついでに言おうと思ってたんだ」
「……まあいいです。ところで、そろそろお昼ですけど食欲はありますか?」
「んー、ちょっとなら」
「では、おかゆがあるので食べてください」
「え、作ったの?」
「はい。勝手にキッチンをお借りしちゃいました」
「いや、それはぜんぜんいいけど」
「持ってきますので、ちょっと待っててください」
えりりはぱたぱたと部屋を出ていった。
数分して、おかゆをよそった器と新しいポカリを持ってきてくれた。
おかゆは卵がゆだ。そこに梅干し、しょうが、ネギが入っている。ふわふわと湯気が立ちのぼり、鼻が正常ならいい香りなんだろうなと思った。
……うん、うまそうだ。自分が思いのほか空腹であることを実感した。
「どうぞ」
まずはポカリを渡される。さんきゅーとひと口飲む。スポーツドリンクの類いは日頃あまり飲まないが、たまに飲むとうまいもんだな。
「失礼しますね」
えりりがベッドの端に腰かけた。
「うわ、なんだよ」
「こうしなきゃ食べさせにくいじゃないですか」
えりりはスプーンでおかゆをすくい、ふーふーと息を吹きかけて、
「はい、あーん」
「……いや、自分で食べられるよ」
「と思うでしょう? ですが、それは風邪を甘く見すぎです。実は悠真さんはスプーンを持つのも辛いほど弱体化しているはずです」
「そんなことねえよ」
「なんですか。悪いのは体調じゃなくてノリですか?」
むぅ、とくちびるをとがらせるえりり。
「両方だな。とにかく自分で食うからよこせ」
「やです。あーんしたいです。させてください」
「……なんでだよ」
「だってこれは、漫画でたびたび見られる看病イベントじゃないですか。せっかくですからあーんまで体験したいです」
「知らん。現実とフィクションを混同するな」
「頭の固いおとなみたいなこと言わないでください」
言い聞かせるように、えりりは主張する。
「フィクションからの影響はいいものも多いですよ。たとえば、『キャプテン翼』に憧れてプロサッカー選手になった人がどれだけいると思ってるんですか?」
「そうだけど、それとこれとは違うだろ」
「同じです。わたしもこれをきっかけにナース道に目覚めて、ナースワールドカップに出場する日が来るかもしれません」
「ナースワールドカップってなんだよ」
「いいから、とにかくあーんさせてください。ぶっちゃけ、これをやりたいがために看病しに来たと言っても過言じゃないんですよ」
「どんな動機だよ……」
そんなやつがナースワールドカップに出場できるか。
「ほら、お口を開けてください。これ以上拒否すると、これはわたしが食べちゃいますよ」
「……わかったよ」
これ以上言い合いを続けるのもしんどい。看病してもらってるという引け目もあるし、ここはえりりの願望を叶えてやろう。それに、本当におあずけにされたらたまらない。
俺は観念して口を開けた。
「あはは、悠真さん、ひな鳥みたいでかわいいですね」
「……バカにするなら食べないぞ」
「あ、すみません! うそです! ひな鳥ではなく、カバのように勇ましいです!」
「どちらにせようれしくねえ」
とりあえず動物でたとえるのやめろ。
「いいから早く食わせろよ」
「了解です。あーん」
「……」
ぱくり。
口いっぱいにやわらかくあたたかな米が広がる。薄味で実に食べやすい。それでいて薬味の存在感が抜群で、味気ないということもなかった。
「うまいな」
のみこんで素直な感想をもらす。もっと食べたいと胃が主張していた。
「それはよかったです」
えりりは微笑んで、次のひと口をまたふーふーして差し出してくる。
俺はなけなしのプライドを捨て、ぱくぱくとスプーンを受け入れた。えりりは終始ニコニコしていた。なにがそんなに楽しいんだろうか。気になったけど「ペットにエサをあげてるみたいです」とか言われたら泣きたくなるので訊ねないでおいた。
ペースを落とすことなく食べ続け、きれいに完食してしまった。
「おかわりいります?」
「いや、もう満足。ごちそうさま。うまかったよ」
「えへへ、おそまつさまでした」
えりりはベッドから立ち上がる。
食器を片づけるためキッチンに向かった。
それからも薬や氷枕や夕食の用意など、甲斐甲斐しく看病してくれた。どうもえりりは人の世話をするのが好きみたいだ。面倒かけているのにちっともイヤな顔をせず、俺は不覚にもかなり元気をもらってしまった。
おかげで翌日にはだいぶ身体も楽になり、二日でほぼ完治することができた。
もしえりりがいなかったら、あと数日は引きずっていたと思う。
――で。
この話には驚愕の続きがある。
俺の看病のお礼として、母親はえりりになにかほしいものはないかと訊ねた。
それに対し、えりりの要望はこうだった。
「では今後、悠真さんの食事をわたしに作らせてもらえませんか?」
理由は俺の健康のためだとか。両親が夜遅くまで働いているせいで、俺の食事はコンビニに頼ることが多かった。えりりは前からそれを気にしていたらしい。これまでは差し出がましい真似だと自重してきたが、これを機会に全面的にまかせてほしいとお願いした。
まあなんていい娘なんでしょう! と母親は感激した。
俺もそれを聞いたときは驚いた。だって要求すれば洋服だって漫画だってゲームだって買ってもらえるのに、俺の食生活を改善させたいっていったいどんな聖者だよ。
だから俺は反対した。いくらなんでもそんなことをやらせるわけにはいかない。
しかし、川原家と大江家で、反対しているのはなんと俺だけだった。
実はえりりのこの提案、共働きの両家にとっていいことずくめなのだ。
まず、うちにとってのメリット。俺の食生活を改善できる。おいしい料理を日常的に食べられるようになる。家事の負担が減る。
そして、大江家にとってのメリット。えりりの面倒を見てもらってることの恩返しができる。仕事で帰りが遅くなっても、えりりにさびしい思いをさせないですむ。
いわゆるウィンウィンな関係ということらしいが……。
しかしそれでも、うちが一方的に得すぎるだろうと思った。
ただ、うちのぶんを作ろうが作るまいが、どっちみちえりりは料理をするので、人数が増えても手間としては大差ないこと。
もし申し訳ないと思うなら、そのぶんえりりと遊んであげたり勉強を見てあげたりしてください、とえりりママに言われたこと。
なにより、労力を払うえりり自身がもっともそうしたいと希望していること。
この三つを考慮すると、俺としても強硬に断る理由はなくなってしまう。
デメリットはほとんどなく、誰にとってもメリットだらけなのだから。
かくして。
我が家での権力をえりりはまた拡大させたのだった。
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