第41話 サプライズという名の優しさ
「ほら川原くん、ため息なんかついてないで、早くあたしたちを案内してよ」
俺の肩をぺしぺし叩き、三浦さんがせっついてくる。
「……いや、ここまで来たら、もう案内なんていらないだろ」
「そう思うのは素人だね。あたしはどっちかっていうと建物のなかで迷うタイプの方向音痴だから、まだ油断できないよ」
「たしかにね。陽那ってカラオケでトイレに行くと、三回に一回はもとの部屋に戻れなくなるし」
「あれはトラップだよねー。部屋の名前を数字じゃなくて、プリンとかモンブランとか、お菓子の名前にしてくれたら覚えやすくていいのに」
「……幼稚園かよ」
まあ本音を言うと、わからなくもないけれど。
たしかに同じようなドアが並んでいると、うっかり間違えそうになる。
というか、前に涼平に付き合ってカラオケに行ったとき、実際にわからなくなってラインで部屋の番号を訊いたからな……。
マンションの場合は表札もあるから大丈夫だろ、と思わなくもないが、あえて別々に行く必要もないので、俺は気を取り直してエントランスに入った。
「いちおうここで鳴らしとけば?」
オートロックの自動ドアの横に、数字のボタンが並んでいる。
訪問者はここで住人をコールして、開けてもらうのがふつうだ。
家の前にもインターホンはあるが、ここで鳴らしておけばちょっとしたタイムラグができるので、住人としては迎える準備がしやすかったりする。
「ラインで連絡ずみだから大丈夫」
と、三浦さんがスマホを手にしてふりふりする。
「『悠真さんと一緒に入ってきてください』というお返事もいただいてるよ」
「……一緒に帰ってること知ってるのか」
「むしろ、師匠の提案だからね。『悠真さんについて行けば間違いないのでそうしてください』って」
「……それを俺に言わなかったのは、どっちの意志?」
「もちろん師匠」
……ですよね。あとで厳重に抗議しよう。
ともあれ、そういうことなら問題ない。
カギを使ってオートロックを解除する。
エントランスを抜けて、エレベーターに乗り込んだ。
もう数え切れないくらい乗ったエレベーターだが、三浦さんと長峰さんが一緒だと、なんだか不思議な感じがした。
三階でおりて共同の廊下を歩く。
俺は自宅の前で足を止め、さらにさきのほうを指さした。
「向こうの302号室がえりりの家だから」
「へえー、ほんとにご近所さんだねー」
と、三浦さんはニコニコし、
「いつか機会があったら、えりりちゃん家にもお邪魔してみたいね」
と、長峰さんがさらりと言った。
……機会があったら? それが今日なんじゃないのか?
首をかしげて……まさかと思う。
「――え、ちょっと待って。もしかしてうちで遊ぶつもりなの?」
「そうだよ」
「……っ!」
三浦さんにあっさりと肯定され、俺は言葉を失った。
――そうだよ、じゃねえよ!? 聞いてねえよ!?
と、そこで長峰さんが勝手にインターホンを押す。
『はーい』
「長峰と三浦です。こんにちは、えりりちゃん」
『こんにちは。すぐにお出迎えしますね』
十秒ほどの間をおいて、玄関のドアが開く。
「おふたりとも、ようこそいらっしゃいました」
と、えりりはにこやかに言った。
「たいしたもてなしはできませんが、ゆっくりしていってください」
「ありがとね、師匠。お邪魔しますっ」
「お邪魔しまーす」
「……いやいや、お邪魔されるのは俺なんだが?」
さすがにスルーできずにツッコんだ。
「なんですか悠真さん。お客様に失礼ですよ?」
「住人である俺には失礼じゃないの?」
「ちゃんとお義母さんの許可はいただいています」
くそ、うちの母親もグルだったか……。
えりりらしい抜かりのなさだ。
「いや、でも、うちじゃなくて、えりりの家で遊べばいいじゃん」
「遊ぶだけならそれでもいいんですが、今日はチョコレートのお菓子を作るので、道具が充実している川原家のキッチンを使わせてもらうことにしました」
……なるほど、バレンタインの準備というわけか。
そうなると、心理的にも反対しにくい。
道具が充実しているのは大江家からこっちに持ってきたからだけど、また持ち運ぶのも手間だしな。たしかにうちを使ったほうが効率的だ。
「なにより、悠真さんだけのけ者にしたら可哀想じゃないですか」
「さすが師匠、やっさしー」
「川原くんはえりりちゃんのことが大好きだもんねー」
「えへへ、照れますね」
きゃっきゃと楽しそうな女子三人。
仲がよさそうなのはたいへんけっこうだが、俺にだけ事前に教えないというのは、のけ者には該当しないのだろうか……。
「というわけで、悠真さん。一緒にあま~いチョコ菓子を作りましょうね」
「えっ、俺も作るの?」
「はい。今日は特別に、キッチンに入ることを許してあげます」
「……でも、バレンタインの準備なんだろ?」
男である俺は、むしろのけ者にするのが筋だと思う。
「それについてはわたしもちょっと悩んだんですが、わたしが悠真さんに本命チョコを贈るのは、正直バレバレじゃないですか」
「……いや、まあ」
きっともらえるとは思っていたけど、三浦さんや長峰さんの前で本命って言い切られると、いささかリアクションに困ってしまう。
「だったらいっそ共同作業にしちゃったほうが、サプライズ感があっていいかなと思いました」
「……べつにサプライズとかなくてもいいだろ」
「そうはいきません。悠真さんを驚かせるのは、わたしのたしなみですから。それに実際のところ、ふつうにチョコをもらうより、こっちのほうが悠真さんもうれしいでしょう?」
疑問系ではあったが、えりりは確信しているかのように微笑んでいた。
「……なんでそう思う?」
「だって悠真さん、このまえさびしそうにしてたじゃないですか」
「……このまえって?」
「フィナンシェを作ったときです」
「――っ!」
うぐっ、まじか!?
あのときの気持ち、見透かされてたの!?
うわあ、すげえ恥ずかしい……っ!
めちゃくちゃ顔が熱い……っ!
「わたしたちのお菓子作りに混ざりたいんだろうなとは思いましたが、ふつうに誘っても断られちゃいますからね。だから素直じゃない悠真さんのために、こうして一計を案じたのです」
「さすが師匠、やっさしー」
「川原くんはえりりちゃんのことが大好きだもんねー」
三浦さんと長峰さんが、これ以上ないほどニヤニヤしながら、さきほどと同じ台詞を口にした。
「――っ…………っ……!」
俺は動揺しすぎて、なにも言うことができない。
「いやあそれにしても、川原くんはシャイだねー。一緒にお菓子作りがしたかったら、仲間に入れてって言えばいいのに」
「ほんと、陽那の言うとおりだよ。よく一緒にいる飯島くんは、あんなに恥も外聞もないのに」
「でも、そういう照れ屋なところが、わたし的にはかわいかったりもするんです」
「あー、ちょっとわかるかも。不器用な人って応援したくなるもんねー」
「たしかに、義理チョコのためにお金を出しちゃう男子よりはいいかもね」
「おふたりとも、だからって悠真さんに手を出しちゃダメですよ?」
「あはは、わかってるってー」
「えりりちゃんとは友達でいたいからね」
俺をネタにして、女子たちはまたきゃっきゃと盛り上がる。
なんともいたたまれない気分になるが……。
そのやりとりに、俺は光明を見いだした。
もしかして……。
あの日、俺がさびしいと感じたのは、お菓子作りに混ざれなかったからだと思ってるのか……?
もちろん、それも間違いではないが……。
微妙に本質をはずしている。
なぜなら、さびしいと感じたもっとも大きな要因は、
『えりりは俺と遊ぶより、三浦さんや長峰さんと遊ぶほうが楽しいんじゃないか……?』
と思ってしまったことにあるからだ。
しかし、えりりの様子を見る限り、この気持ちには気づいていないようだった。
だとしたら、ぎりぎりセーフである。
いやあよかった……!
これがバレてたらほんとスーパーしんどかったわ!
俺は心の底から安堵して、
「あー、はいはい、認めますよ。本当は仲間に入れてほしかったです」
と、本音の一部をさらけだした。
「だから悔しいけど、サプライズは成功だよ。ありがとな、えりり」
「ふふふ、どういたしまして」
「……三浦さんと長峰さんもありがとう。それと、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくー。師匠からポンコツだって聞いてるけど、実際どれほどのものか、お手並み拝見させてもらうよっ」
「一緒に楽しもうね、川原くん」
とまあ、そういうわけで。
うちでバレンタインのチョコ菓子を作ることになった。
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