第42話 沈黙は金

 洗面所で手洗いうがいをして、えりりは私服、高校生組は制服のまま、チョコ菓子作りを始めることにする。

 材料などはえりりが準備してくれていた。


 四人でキッチンに入るとさすがに手狭なので、作業は主にリビングのテーブルで行うとのこと。

 上手側に三浦さんと長峰さん、下手側に俺とえりりという配置で立った。


「というわけで、今日はチョコクッキーを作ろうと思います」


 と、えりりが仕切る。


「あまり手間がかからず、学校に持って行きやすく、大人数でもわけやすいので、バレンタインでの義理チョコ友チョコには打ってつけですね」

「材料費も安いしねー」

「はい、そこも大事なポイントです」


 長峰さんがにこやかに言うと、えりりもにっこりと微笑んだ。

 なるほど、材料費か。

 その言葉にピンとくる。


「だから長峰さん、昼休みに男子たちのリクエストを受けたのか」

「まあ、そういうこと。もともと今日はクッキーは作る予定だったし、多めに作って恩を売っておくのもいいかなと思って」

「ふうん……」


 あんなやつらのために、お人好しだなー。

 ――と、思った瞬間。

 とある可能性が脳裏をよぎり、肌がざわりと粟立った。


「……え、ちょっと待って」

「なに?」

「もしかして……いや、そんな残酷なことはしないと思うんだけど……」


 俺は祈るような気持ちで、おずおずと訊ねた。


「……男子たちに、俺が作ったクッキーを、渡そうとしてない?」


 そう、長峰さんはあのときすでに知っていたのだ。

 今日、この家でチョコクッキーを作ることを。

 そして、それに俺も参加させるという、えりりのサプライズの計画を。


 であれば。

 軍師的頭脳の持ち主である長峰さんなら、きっと考えたはずだ。

 天国にいる男子たちを、一瞬で奈落の底に突き落とす――

 悪魔でも実行を躊躇するような、このシナリオを……。


 しかし幸いなことに、


「あはは、やだなー川原くん。そんなことしないよ」


 と、長峰さんは笑いながら否定してくれた。


「だよな、さすがにしないよな……」


 ああ、よかった。本当にほっとした。

 たしかにあいつらはデリカシーに欠けるバカだけど、そこまでされるようなことはしてないもんな。


「うん、いまのところはしないつもりだよ。それはプランCだからね」

「――プランC!?」


 しっかりと候補には入ってたのかよ!

 しかも三番目って、けっこう現実的な範囲で!


「……ちなみに、ほかのプランはどんな感じなの?」


 聞かないほうがいいような気もするが、気になりすぎて訊ねてしまった。

 長峰さんはさらりと答えてくれる。


「最初に浮かんだプランAは、きのこ派の人にはたけのこの里を、たけのこ派の人にはきのこの山を一個ずつだね」

「……なんでそんなえげつないことを、最初に考えられるの?」


 ひと箱ではなく一個という部分は、まだわかる。

 けど、派閥と逆のものをあげるとか……戦争が怖くないのかよ。


「なんとなく、おもしろそうかなと思って」


 ……どうやら軍師さまは戦争を遊びだと考えていらっしゃるようだ。


「で、プランBは、私と陽那で作ったチョコクッキーをあげるだね。女子のためにきりきり働いていたみたいだし、これにしてあげようかなと思ってるよ」

「そうか……」


 努力がちゃんと報われる、優しい世界でよかった……。


「もっとよさそうなプランDがあったら聞くけど?」

「いや、プランBでいいと思う」


 どう考えてもその一択だわ。迷う余地なんかひとつもない。


「教室の平和のためにも、ぜひプランBにしてあげてくれ」

「そう? じゃあ、川原くんに免じて、やっぱりそれで決定かなー」


 念押しのようにお願いすると、長峰さんは聞き入れてくれた。

 男子たちは全員、俺に深く感謝すべきだと思う。

 ただ、ちょっと報われすぎな気もするので、苦笑まじりに言う。


「でも、どうせなら百円じゃなくて、もっととってやればよかったのに」


 なんせ材料費が安いとはいえ、長峰さんと三浦さんの手作りになるわけだ。

 それなら千円でも、男子たちは喜んで出したように思う。


「まあ、それもちょっと考えたけど、さすがにクラスメイトを相手に商売するのはどうかと思って、自重したよ」


 へえ、長峰さんにも良心があったんだな。


「へえ、千絵にも良心があったんだねー」

「――ふふふ、おもしろいこと言うじゃない、陽那」

「あ、いや、いまのは言葉の綾的なやつです!」

「ふうん、へえ……?」

「ごめんて! 千絵が本当は優しいこと、あたしはよく知ってるから!」


 長峰さんに笑顔を向けられ、三浦さんは慌てて言い繕った。

 あ、あぶねぇー……。

 完全に同じことを思ったけど、口に出さなくてよかったわー。


「あと川原くんも、なにか失礼なことを考えてなかった?」

「考えてないです」


 俺は真顔で否定した。

 まったく……女子ってやつは、なんでこんなに鋭いんだ。


 幸いにも長峰さんは見逃してくれ、えりりに手を合わせる。


「えりりちゃん、脱線してごめんね」

「いえいえ。男子の扱いについて聞くのは、新鮮でおもしろいです」

「そう?」

「はい、麗千は女子校ですからね。勉強になります」


 ……そんなこと勉強しないでよろしい。


「では、話を進めましょうか」


 えりりは仕切り直すように言って、こちらにエプロンを差し出してきた。


「悠真さんは、これをつけてください」

「……こんなのも用意してたんだ」

「せっかくですからね」


 微妙に気恥ずかしかったが、いらないというわけにもいかないし、俺は素直にエプロンをつけた。


「へえ、いいですね。料理できない系男子のくせに、思ったより似合うじゃないですか」

「むむ、たしかに。川原くんのくせに料理できそうに見える」

「むしろ川原くんに似合うエプロンを選んだ、えりりちゃんのセンスを評価すべきだよね」


 えりり、三浦さん、長峰さんの順でそれぞれコメントをくださる。

 褒められているのか貶されているのかよくわからないが、気分的には後者だった。


「……って、えりり、なにしてるんだ?」

「もちろん記念撮影です」


 えりりはいそいそとスマホを取り出し、パシャパシャと撮り始める。


「ちょ、恥ずかしいからやめろ」

「大丈夫です。いつも家でやっているあの格好よりは恥ずかしくないので」

「いつも家で恥ずかしい格好をしてるみたいに言うな」


 三浦さんと長峰さんに誤解されたらどうしてくれる……。


「えりりちゃん、ツーショットを撮ってあげるよ」

「あ、さすが千絵さん、ナイスアイデアですっ」


 えりりもエプロンをつけて、俺にぴったりと寄り添った。


「はい、ピース。ほら、川原くんも笑ってー」

「いや、そんなこと言われても……」


 むかしから、カメラの前で笑顔を作るのが苦手なんだよ。

 中学の卒業アルバムとかも、なんか微妙な表情になってたし……。


「ちゃんと笑わないと、笑えなくなることをするよー」

「怖いこと言うな!」

「たとえば、この写真をクラスメイトに見せるとか」


 かつてないほど必死に笑顔を作った。


「はい、えりりちゃん。こんな感じでどう?」


 スマホをすいすいと操作する長峰さん。

 ラインで送ったみたいで、


「わあ、いいですね! ありがとうございます!」


 それを見たえりりが、満面の笑みを浮かべた。

 すると、三浦さんが手をあげる。


「ねえ、師匠っ師匠っ。あたしとも写真を撮ってよっ」

「時間がもったいないので、あとにしてください」

「えぇー、川原くんとは撮ったのにー」

「悠真さんはかわいいからいいんです。悔しかったら悠真さんのかわいさを見習って、陽那さんもかわいくなってください」

「うぅ……わかりました」


 いや、わかるなよ。

 俺よりぜんぜん三浦さんのほうがかわいいだろ。

 もちろん、口には出さないけど。


 しかし、不覚にも顔には出てしまったらしい。

 三浦さんと長峰さんもエプロンをつけ、その姿に『おぉーさすがふたりとも似合うなー』とか思っていると、えりりに足を踏まれた。


「……あの、えりりさん?」

「なんですか?」

「足を踏んでるんですが?」

「べつにいいじゃないですか?」

「よくはないと思うんですが?」

「そうですか? じゃあ今後はお互いに気をつけましょうね?」

「……はい」


 踏まれた側が気をつけることってなんだよ……。

 なんて反論は、もちろんできなかった。

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