第40話 乙女のたしなみ

 昼休みの熱狂の余波で、多くの男子たちが浮ついていたが……。

 特になにごともなく、授業が終わる。

 連絡事項もほとんどなく、帰りのHRもさくさくと終了した。


 みんな一斉に席を立ち、机と椅子を教室後方に下げ始める。

 ここからは掃除の時間だ。

 班ごとに決められた場所を掃除して、終わったところから放課後となる。


 今週、俺の班の担当は自分たちの教室だった。

 手を抜いたらクラスメイトたちから苦情がくるので、地味に一番大変なところだ。

 すこしでも早く帰りたいときに当たると、いささか鬱陶しく思う。

 まあ、そんな切羽詰まった予定なんて、俺にはそうそうないのだが。


 幸いというか、あいにくというか、今日もこれといった予定はない。

 マイペースにホウキを動かし、隅っこの埃を一カ所に集めていった。


 しばらくすると、ほかの班の男子たちがなぜか教室に戻ってくる。

 みんなカバンを持って担当の場所に向かうので、掃除を終えたらふつうはそのまま帰宅するか、部活やバイトに行くのだが……。


 今日はいったいどうしたんだ……?

 と怪訝に思っていたら、そのなかのひとり、涼平がおよそありえないことを言い出した。


「オレたちも手伝うよ」

「は?」


 学校の掃除を喜んでする生徒は、俺が知っている範囲では存在しない。

 涼平なんて普段はめちゃくちゃテキトーにやっているようで、同じ班の女子からなぜか俺にクレームが寄せられたこともある(本当になぜだ……)。


 にもかかわらず、わざわざほかの班の掃除を手伝うだって?

 いったいどういう風の吹き回しだ……?


 意味がわからなすぎて不気味に感じていると、ほかの男子たちも口々に言う。


「みんなで使う教室は、やっぱり綺麗にしておきたいもんな」

「大切なイベント前ならなおさらな」

「あとはオレたちでやっとくから、女子のみなさんはもう帰っていいよ」

「あ、おまえいいこと言うじゃん」

「おれもまったく同じこと思ってたわ」

「たしかに、女子のみなさんには日頃からお世話になっているもんな」


 ……なるほど、そういうことか。

 俺は腑に落ちて、苦笑いする。


 明日のバレンタインが楽しみで、単純にごきげんというのもあるだろうが……。

 あわよくば女子たちからの好感度を稼いで、ちょっとでもチョコレートのランクをあげてもらいたい、なんてことを考えているわけだ。

 いやはや、涙ぐましい努力じゃねーか……。


 もちろん女子たちは遠慮することなく、


「じゃあよろしくー」

「予定あったからふつうに助かるわー」

「安い義理チョコで、男子を使えるならコスパいいよねー」

「それあるー。千絵がうまいこと采配してくれたおかげだねー」

「さすがだわー」


 とか言いながら、さっさと教室を出ていった。

 男子のあいだでは涼平が英雄扱いされているが、女子のあいだでは長峰さんが名軍師のように評価されているようだ。


 残念ながら俺は、チョコをもらえるわけでも、掃除を代わってもらえるわけでもないが……。

 まあ、男女ともに喜んでいるなら、いいんじゃないかと思う。

 トータルでは人手が増えてるので、掃除も早く終わりそうだしな。





 そんなこんなで、掃除が終わったあと。

 部活に向かう涼平や信二と挨拶を交わして、俺はひとりで家路につく。

 下駄箱で靴を履き替えていると、肩をポンと叩かれた。

 やや驚いて振り返る。


「やあ川原くん、いま帰り?」

「なんだ三浦さんか……」


 俺は安堵して、吐息をもらす。

 そこにいたのは我がクラスのツートップ、三浦さんと長峰さんだった。


「なんだとは失敬だな」

「いや、だって、いきなり肩を叩かれたらびっくりするだろ」

「ふふふ、男の子をびっくりさせるのは乙女のたしなみだからね」

「イヤなたしなみだな……」

「ちなみに、師匠の言葉だよ」

「……そういうところは、影響を受けなくていいから」


 三浦さんに変な教育はするなと、帰ったらえりりに説教しよう。


「それで、なにか用?」


 帰り際に声をかけてくるくらいだから、なにかあるのかと思って訊ねる。


「べつに用ってわけじゃないんだけど」


 と、長峰さんが答えてくれた。


「私たち、今日は違う学校の友達と遊ぶ約束があって、川原くんと同じ方向の電車に乗るんだよね」

「あ、そうなんだ」

「そうなの。だからよかったら、一緒に帰らない?」

「……まあ、いいけど」


 俺が曖昧に返事をすると、長峰さんは眉をひそめる。


「けど? あんまりうれしくなさそうな言い方だね」

「いや、ふたりと一緒に帰ってるところをほかの男子に見られたら、ちょっと厄介だと思って」

「大丈夫。なにかあったら私が処理してあげるから」

「……頼もしすぎて怖いんですけど」

「そういう失礼なことを言うと、川原くんを処理しちゃうよ?」

「……喜んでお供させていただきます」


 忠誠を誓う家臣のごとく、俺は深々と頭を下げた。

 うちのクラスに、軍師長峰に逆らえるものはいない。


 てなわけで、三人で学校を出て、駅に向かう。

 一緒に帰っているのに黙っているのもなんなので、俺はさきほどの出来事、男子たちが一生懸命掃除していたことを話してみた。


「あはは、必死すぎて気持ち悪いねっ」


 と、三浦さんは笑いながら辛辣なコメントをして、


「でも、健気といえば健気だよね。特別に、プランBにしてあげようかな」


 と、長峰さんはいかにも策略家っぽいことを言った。

 どういうプランなのか興味はあったが、聞くのも怖いのでスルーしておこう。


「そういえば、川原くんは頼んでなかったよね?」


 三浦さんがニヤニヤしながら訊ねてくる。


「やっぱり師匠に気を遣ったの?」

「……まあ、そういうわけでもあったりなかったりするな」

「どっちだよ」


 ……言わせるなってことだよ。


「でも、賢明な判断だよねー」


 長峰さんが感心したように言う。


「おかげで女子のあいだで、川原くんの株があがってるよ」

「――まじで?」

「あ、うれしそうな顔をした。えりりちゃんに報告しようかな」

「……長峰さん、そういう意地悪はよくないと思います」


 切実な気持ちで訴えると、三浦さんが楽しげに笑う。


「あはは、あたしたち、どんどん川原くんの弱みを握っちゃうね」

「三浦さんは、あんま調子に乗ったらえりりに言いつけるからな」

「……川原くん、そういうのはよくないと思う」

「だよな。俺も平和を望んでいるよ」


 と、そんなことを話しているうちに駅につく。

 電車に乗ったところで俺は訊ねた。


「どこでおりるの?」

「えーと、たしか……この駅かな」


 三浦さんがスマホの画面を見せてくれる。

 乗り換え案内のアプリが表示されていて、行き先は俺がよく知っている駅になっていた。


「え、俺と同じじゃん」

「あ、そうなの? じゃあ、もし迷いそうだったら案内してよ」

「べつにいいけど、どこに行くんだ?」

「友達の家。アプリを使えば楽勝だと思うけど、いちおうね」

「駅からは遠いのか?」

「や、そんなに遠くはないよ。十分くらいだと思う」

「へえ、もしかしたらうちの近所かもな」

「あはは、そうかも」

「やっぱり、川原くんと一緒に帰って正解だったね、陽那」

「だねー」


 ほどなくして、うちの最寄り駅に到着する。

 電車をおりて、改札を抜けた。

 三浦さんが地図アプリでルートを確認する。


「えっと、こっちだね」


 奇遇なことに、うちと同じ方向だった。


「地図を見せてくれたら、俺が先導するけど?」

「ありがと。でも道を覚えたいから、とりあえず自力で行かせて。人に連れて行ってもらうと、ぜんぜん覚えられないから」

「あー、なんかわかるわそれ」


 納得したので、三浦さんにまかせてみる。

 いざというときには、手助けさせてもらおう。


 ただ、それほど迷う余地がなかったのか、三浦さんはスムーズに進んでいく。

 時折画面を見ながら歩こうとするので、長峰さんがフォローしていた。


 そして、無事に目的地に到着する。


「あ、ここだここだ!」


 三浦さんはとあるマンションの前で足を止めて、お宝を見つけた冒険者のように声を上げた。


「一発でたどり着けるなんて、陽那にしては上出来だね」

「うふふ、そうでしょー。もっと褒めてもいいんだよ?」

「はいはい、偉い偉い」

「えへへー」


 長峰さんに頭をなでられ、三浦さんはうれしそうにはにかんだ。

 美少女ふたりのスキンシップは、なかなか目の保養になりそうだったが……。

 残念ながら、俺の精神状態はそれどころではなかった。


「てゆーか、うちじゃんっ!?」


 とあるマンションって言ったけど、めちゃめちゃうちのマンションだわ!


「だって、約束している友達って師匠のことだもん」


 驚愕している俺に、三浦さんはぬけぬけと言い放った。


「…………最初に言ってくれよ」

「ふふふ、ごめんねー。男の子をびっくりさせるのは、乙女のたしなみだからさ」

「というか、駅が同じだった時点で気づくべきだよね」

「…………」


 三浦さんと長峰さんにくすくすと笑われ……。

 俺はなにも言えず、ただただ敗北感に打ちひしがれた。

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