第14話 約束
「悠真さん、好きです」
足下で、なにかが落ちた音がした。
俺のアイスだった。
まだ三分の一くらい残ってたのに。
じわりとアスファルトに溶けていく。
ただ、いまはそんなもんどうでもいい。
「……………………え、まじで?」
俺は呆然と返した。
「まじに決まってるじゃないですか」
「いや、でも、だって」
「うろたえすぎです。年上の余裕を見せてくださいよ」
「いや、いやいやいや! 無理だよ! 意味わかんねえし! なんでえりりが俺を好きになるんだ!?」
「なんでと言われましても」
えりりが眉をひそめる。
「逆に、あなた以外の誰を好きになると言うんですか?」
「知らんけど! いろいろいるだろ!?」
「いないですよ。麗千は女子校ですし、男性のまともな知り合いは悠真さんくらいです」
というかですね、とえりりは言葉を継ぐ。
「そうでなきゃ四六時中一緒にいたりしませんし、毎日料理を作ったりしませんよ」
「…………」
たしかに、冷静に考えればそりゃそうだ。アルバイトでもあるまいし。
でもなぁ、にわかには信じがたいぞ。
「それってあれじゃない? よく女子って年上の男に憧れたりするじゃん。そういうあれで、恋愛感情とは違うんじゃないの?」
「まぎれもなく恋愛感情です」
えりりはむっとして返す。
「だいたい、悠真さんのどこに憧れる要素があるんですか?」
「……いや、そうだけどさ」
「悠真さんなんて鈍感だしルックスも学力もふつうだし鈍感だし運動神経もたいしたことないし鈍感だし、女子が憧れる要素ゼロですよ。憧れない系男子ですよ」
「……おい」
まったくの正論だが、すこしはオブラートに包んでくれ。
「だから、わたしのこの気持ちは断じて憧れなんてものじゃありません。正真正銘、ラブです。純粋な愛です。愛以外のなにでもありません。これが愛でなければこの世に愛なんて存在しないでしょう。ゆえに、はっきりと言えます」
こちらを見つめ、えりりは告げた。
「わたしは、悠真さんのことが、大好きです」
………………………………。
……………………。
…………。
「なにか言ってくださいよ」
「……いや、ごめん」
これ以上ないほどまっすぐに気持ちをぶつけられ、なんて答えるべきか、わからなかった。
この返答は、とても大事なものだから。
「それとも、悠真さんはこういう言い方のほうがお好みですか?」
「え?」
「大江えりりは川原悠真を愛しています! 世界中の誰よりも!」
「…………」
名台詞のパロディなのはわかるけど……。
さすがに笑ってやれる余裕はない。
「……てか、アイス片手に愛を語られてもな」
「それは知りませんよ! 悠真さんがこのタイミングで話を振ってきたんじゃないですか!」
感情のリミッターがぶっとんだのか、えりりは怒鳴り散らして、残っていたモナカアイスをすごい勢いでほおばり始める。もがもがとしばし格闘して一気に完食。
「というわけで、悠真さん」
モナカのくずをぱっぱと払って、えりりはあらためてこちらを向いた。
「キスしてください」
「――どういうわけだよ!?」
「いまならバニラ味でおいしいですよ?」
「そういう問題じゃねえ!」
「じゃあどういう問題ですか!?」
「気持ちの問題だよ!」
「わけわかんないこと言うな!」
「わけはわかるだろ!? おまえが言ってた愛の問題だよ!」
「わたしが悠真さんを愛していて、悠真さんがわたしを愛しているという話ですか?」
「後半があきらかにおかしい!」
前半も怪しいもんだけど。
「む……」
そこでようやくえりりの暴走が落ち着いた。そして真顔で訊ねてくる。
「悠真さんは、わたしのこと、好きじゃないんですか?」
「……好きだけどさ」
「ありがとうございます! キスしてください!」
「早まるな。好きはライクであって、ラブじゃない」
「……つまり悠真さんは、わたしに恋愛感情を抱いていないと?」
「悪いけど、そうだな。俺にとってえりりは妹みたいなもので、恋人としては見られない」
変に誤魔化しても誰も得をしないので、きっぱりと告げた。
えりりはくちびるを噛んで、うつむく。
鼻をすすり、手で目元を拭う。
涙声で、言う。
「……死んでもいいですか?」
「はあ!? ダメに決まってるだろ!」
「だって、悠真さんに振られたら生きる希望が湧きません……」
「がんばれよ! 強く生きろよ! 失恋くらいでヤケになるなよ!」
「ぐすっ……くらいってなんですか……。ひっく……いまのわたしにとっては、すべてですよぉ……」
涙を拭いながら、えりりは切々と訴えてくる。
「う……いや、ごめん。言い方が悪かった」
「ひっ……うぅ……じゃあ、お詫びに……き、キスしてください……」
「それは無理」
「うわああんっ! 詫びキスくらいしてくれてもいいじゃないですか!」
「いや、そんな詫び石みたいに言われても……」
「えぅぅ……ぐすっ……」
「……すまん。てゆーか、そんなに泣くなよ、な?」
「……だ、誰の、ふぇいですかっ」
「……とりあえず、公園まで行って、座って話そうぜ」
と、俺はえりりの背中を押した。
うちのマンションの前に、遊具が滑り台だけの超小さな公園がある。ベンチが置いてあるので、ここよりは落ち着いて話ができるだろう。
「ひっく……歩く、元気、ないです……。お姫様だっこで、連れてってください」
「甘えんな」
背中を押す力を強める。
えりりはうつむきながらだけど、いちおう歩きだしてくれた。
通常の倍以上の時間をかけて公園に到着する。
えりりをまずベンチに座らせ、俺も隣に腰を下ろす。
「十分でいいんで、胸を貸してください」
と、えりりが言った。
「貸してくれないと大声で泣き叫びます」
「……わかったよ」
本当に泣き叫ばれたらたまらないし、さすがに断るのも可哀想だったので、素直に応じてやった。
溺れている人が救出者にそうするように、えりりはぎゅっと、痛いくらいの強い力でしがみついてきた。胸に顔を埋めて、声を殺して思い切り泣く。
ずいぶんと長いあいだそうしていた。正確な時間はわからないけど、約束の十分はとっくに過ぎていただろう。感覚としてはその倍くらい経って、えりりがゆっくりと顔を上げた。目は真っ赤だったけど、涙は止まったみたいだ。
「……ありがとうございました」
密着状態から離れて、えりりは恥ずかしそうに言った。
「おかげさまで、すっきりしました」
「そりゃよかった」
だいぶいつものえりりに戻ったようで、俺はほっと息をついた。
「……ほんとは、わかってたんですよ」
えりりがぽつりと告げる。
「なにが?」
「いま告白しても振られることです」
「……」
「だから何年かは、我慢しようと思ってました」
「……」
そんなことを考えていたのか。ぜんぜん気づかなかった……。
「でも、我慢できませんでした」
と、えりりは苦笑した。
「……なんで?」
「夏祭りのとき、悠真さんの学校のお友達とお会いしたでしょう?」
「ああ」
「そのとき、わたしが知らないところで、悠真さんはわたしの知らない人と会ったりするんだと、そんな当たり前のことを実感したんです」
えりりは自嘲気味に続ける。
「そのなかにはわたしより親しい女性もいるかもとか、うかうかしてたら誰かに悠真さんを取られちゃうかもとか、なんかいろいろ考えちゃって、すごい焦ってきて、どうしようもなくなっちゃいました」
「……考えすぎだよ。残念ながら、そんな親しい女子はいないし」
「でも、かわいいと感じる女子くらいはいるでしょう?」
「んー、まあ」
それもまた、恋愛感情とは別物だけど……。
うちの学校にかわいい女子はひとりもいない、と言ったらうそになる。
「もし、その人から告白されたら付き合っちゃうでしょう?」
「そんな都合のいい話はないよ」
「ですが、地球が爆発するよりはあり得る話です」
「……同じくらいだと思うけど」
「そんなことないですよ」
「あるだろ」
俺はおどけて言った。
「だって俺、鈍感な上にルックスも学力も運動神経もたいしたことなくて、女子が憧れる要素ゼロらしいし」
「は? 誰ですか? わたしの悠真さんにそんなひどいことを言ったのは」
「おまえだよ」
「そうでした」
そうでした、じゃねえよまったく……。
「あと、俺はおまえのものじゃないからな」
「そうですね。わたしが悠真さんのものです」
「……いや、それも違うだろ」
「悠真さんが望めばそうなりますよ」
「望むつもりはない」
大江えりりという人間は、えりり自身のものだ。
「てか、話を戻してもいいか?」
「なんの話でしたっけ?」
「うちの学校に、俺なんかに惚れる女子はいないって話」
「あー。ちなみにそれ、エビデンスはありますか?」
「……エビデンスってなんだ」
「科学的根拠です」
「そんなもんあるわけないだろ」
どうやったらそんな証明ができるんだよ……。
「でしたら、信用できませんね。悠真さんは地味でこそありますが、地味にとても優しいです。いつ誰がその魅力に気づいても不思議ではありません」
「……それにはエビデンスがあるのかよ?」
「ん? エビフライがなんですって?」
「エビデンスだよ」
「すみません。難しい言葉なので、小学生にはちょっとわからないです」
「いまおまえに教わった言葉だ」
よくもまあぬけぬけと……。
「というか、意識高い言葉でごまかそうとしないでください」
「自分を棚に上げすぎだろ」
「そもそも愛の前では理屈なんて関係ありません」
くそ、あーいえばこーいう……。
反論の切り口を変えてみる。
「だいたい俺、べつにそこまで優しくないだろ?」
「優しいですよ。押しつけがましくなく、ごく自然で、それがとても心地いいです」
「でも、気づけないこともいろいろあるぞ。夏祭りでも、えりりの歩くペースに合わせられてなかったし」
「あー、あれはうそです」
あっさりと言われ、俺は目を丸くする。
「え?」
「手をつなぎたいがための口実ですよ」
「……まじか」
「まじです。この際だから白状しますが、わたし、実はとても計算高い女なんです」
「……」
まあ、それは意外というほどではない。
えりりの賢さ、頭の回転の速さは、俺の知り合いのなかではダントツだ。
「引きました?」
「いや、そんなことはないけど」
むしろ、多少の下心があってくれたほうがある意味安心できる。
「ならよかったです。悠真さんならそう言ってくれると思ってました」
……なんだろう。こちらの思考をすべて見透かされてそうでちょっと怖い。
まあ、それはさておき。
まだまだ言いたいことがある。
「んじゃ、今度は俺の考えを聞いてくれるか?」
「はい、聞きましょう」
「えりりはいつ誰が俺の魅力に気づいても不思議じゃないって言ったけどさ、それ、俺から言わせればむしろ逆なんだよ」
「……と、言いますと?」
「俺以外に男の知り合いはいないんだろ?」
「はい。悠真さん一筋です」
「一筋っていうか、だから知らないだけなんだよ。ほかのいろんな男と知り合えば、俺なんかたいしたことないって気づくよ」
自分で言うのも情けないけど……それが現実だと思う。
「そんなことありません」
「ある。誰かが俺の魅力に気づくより、えりりがほかに魅力的な男がいることに気づくほうが早いって」
「……だから、悠真さんには惚れるなってことですか?」
「というより、もったいないよってこと。間違いなく、えりりならもっといい男と付き合えるから」
「それはそうですけど」
「……即答かよ」
ちょっとは遠慮してもいいんだぞ。
「たしかに、悠真さんよりカッコイイ男性はたくさんいると思います。でも、悠真さんより一緒にいて楽しい男性がいるとは思えません。相性とか波長とか、そういうのがぴったりなんです」
「それは勘違いだよ」
「勘違いじゃありません。わたしの気持ちを悠真さんが否定しないでください」
「そうだけどさあ……」
「じゃあ、こういうのはどうですか?」
「なに?」
「五年後、わたしが十六歳になっても変わらず悠真さんを好きでいたら、お嫁さんにしてください」
「……は?」
間の抜けた声がもれた。あまりに突飛な内容に、思考がフリーズした。
数秒後に、なんとか再起動。脳をフル回転させて、意味を咀嚼する。
えーと……。
もし、えりりが五年後も俺を好きでいたら、お嫁さんにする……?
「はああああっ!?」
「驚きすぎです」
「そりゃ驚くだろ! なんだよそれ!」
「非常に合理的な提案だと思います。だって、悠真さんがわたしの気持ちに応えられないのは、けっきょくのところわたしがまだ小学生だからでしょう? 心身共に大人になったら、なにも問題ないはずです」
いや、問題ないわけない……と思うのだが。
動揺しているからか、とっさにうまい反論が思いつかない。
あれ? どうなんだ?
本当に問題ないのか……?
いや、仮にそうだとしても……。
「……お嫁さんってなんだよ。結婚するのか?」
「はい。十六歳なら結婚できますから」
「なんで恋人を飛び越えていきなり夫婦なんだよ」
「五年も待ったわたしへのご褒美です」
「いやいや、おかしいだろ」
「おかしくないです。というか悠真さんは、わたしがそのうち悠真さんより素敵な男性がいることに気づくと思っているんでしょう?」
「そうだけど」
「だったらいいじゃないですか」
「……」
たしかにそれは……一理ある。
ふつうに考えて、小学生の恋がそんなに長く続くわけがない。もっと世間を知れば、俺への想いも冷めるだろう。これでえりりが納得できるなら、悪くない話である。
それに……。
えりりが小学生だから応えられないってのもたしかだった。
だから、もし。
もしえりりの言うとおり、五年間俺を好きでい続けてくれたら……。
そのときは俺も、えりりの気持ちに応えたい。
そこまで想ってくれる人はほかにいないだろうし、それは置いといてもえりりは大事な存在だ。えりりの望みはできる限り叶えてやりたい。
幸せにできるなら、してやりたい。
――なんだ。考えてみれば簡単なことじゃないか。
結婚という大げさなワードに動揺してしまったけど、どう転んでもお互いに損はない。本当に合理的だ。
「わかった。いいよ。その案でいこう」
「えっ、本当ですかっ? 取り消しは認めませんよっ?」
「ああ、いいよ」
「やった! ありがとうございます!」
えりりはパアアアッと笑顔になり、勢いよくベンチから立ち上がる。
そして、その場でぴょんぴょんとジャンプした。
「本当に! すごく! すっっっごく! うれしいです……!」
…………喜びを全身で表現しすぎだ。
めちゃくちゃ照れるのでやめてほしい。
「ちなみに、えりりの誕生日っていつだ?」
「四月一日です」
「エイプリルフールかよ」
覚えやすくていいけど。
「もうすぐ八月も終わりなので、五年間といいましたが実質あと四年半ほどですね。それまでに、悠真さんにはたっぷりと教えてあげたいと思います」
「なにを?」
「悠真さんにとって、わたしが世界で一番、いい女ってことをです」
と、えりりは不敵に笑った。
「……それは、どうかな」
「いーえ、ぜったいです! 間違いないです! そのうち、悠真さんのほうからわたしにプロポーズすることになると思いますよ!」
「それならそれでいいけどな」
「うわ、余裕な態度! 悠真さんのくせに生意気です!」
「くせにってなんだよ」
「だって本来なら、悠真さんごときがわたしほどの美少女と結婚できるチャンスなんてないんですからね!」
「……まあ、それは否定しないけどさ」
本当に、そのとおりだと思うけどさ……。
「おまえほんとに俺のこと好きなのかよ……?」
「大好きですよ!」
「だったらごときとか言うな」
「ごときな部分もふくめて、ベタ惚れなのです!」
「…………」
それはまた、いい趣味をお持ちで……。
――ともあれ、こうして。
えりりと俺は、ただの友達から奇妙な関係へと進んだ。
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