第11話 僕らは帰還者を喜ばない
「はーい、今日は予告していた通り、
三浦に指名されたバニラが黒板の前に立った。バニーガールの衣装から砲弾のような胸を揺らし、ボクシンググローブのような立派な尻を左右に振りながらの登壇だ。
ブロンドに青い瞳という西洋人紛いの見た目だが、ロシア人クオーターの日本人である。
バニラは顔を手で覆って黙っている。内気な性格なので注目を浴びるのに慣れていないのだ。ウサギ耳も相まってけなげな印象を強める。
「バニラー、可愛いよー!」
「身請けおめでとー」
緊張をほぐそうと温かな声援が飛ぶが、こいつらバニラが汗くさいとか言ってイジっていた連中だ。天音がそれに怒り、乱闘にまで発展したのは記憶に新しい。既に解決済みだし、めでたい門出に蒸し返す話題でもないか。
「バニラーッッ! こっち見ろ!」
煮えきらないバニラに憤ったのか天音が立ち上がり、声の限りに叫んだ。息づきなく二分音符くらい声を引き延ばしている。バニラがはっと、顔を上げるのを見届け、天音が答辞を代弁する。
「皆しゃん、今日のバニラがあるのは皆さんのおかげです。お世話になりました。お弁当の数の子をわけてくれたのは一生忘れません。あと、あーちゃんにお菓子をよくくれました。たくましいおっぱいを使って、身請け先でも暴れて欲しいです」
「あ、天音ちゃん、もうやめてー……」
首筋まで真っ赤にして、バニラは天音の言葉を遮った。バニラと天音は比較的仲が良かった。穏やかで鈍くさいバニラは、似たような天音を放っておけなかったのか世話を焼いていた。天音もバニラを慕って檄を飛ばしている。微笑ましいやり取りにクラス中が感極まっていた。
外部の客を招いた正式な送別会は週末に行われるが、身内だけで別れを惜しむのも悪くないものだ。
バニラは以前に身請けを失敗した出戻りだ。あだ名のバニラはバツが起因している。
学校は豚の返品を基本的に受け付けていない。が、契約書には身請け人に身体的、経済的打撃を与えた場合はその限りではないと明記されている。バニラはそれに抵触した。
バニラをかつて身請けしたのは、国内では名の知れた不動産会社の社長だった。
バニラの規格外のエロボディに惹かれたのか、従順な性格が扱いやすいと思ったのか知らないが、とにかくそいつはバニラをお持ち帰りして散々楽しんだらしい。
身請けして一ヶ月程してから、何の気まぐれかそいつはバニラに仕事を任せてみた。任せると言っても、適当な部署に置いてお茶くみでもさせるつもりだったのだろう。戦利品を自慢したい心理は下劣であっても、理解できる。
だがそいつはバニラが第七世代の豚であることを失念していたようだ。第七世代は人の機微を読みとる能力に長けている。当初、第七世代同士でしか交流しないと思われていた高速通信は、一般人にも通用した。あるいは、バニラの場合が特別だったのかもしれない。伴侶の力になりたいという強い意志がバニラの能力を一段引き上げた。
商談は人間同士の腹のさぐり合い。
後は、一人だけカードの配置を知っているポーカーを延々とやるようなものだ。
バニラはお茶くみどころか困難な案件を次々とまとめ、会社に莫大な利益をもたらした。それでいて気取らない性格だから、周りの社員にも好かれたようだ。
さて、その時の社長の心境はいかに? 金の卵を生む雌鳥に狂喜乱舞して感謝したのか。当然そうはならなかった。
社長はバニラを理由もなく解雇し、家に閉じこめた。バニラは不平を漏らすことなく、専業主婦になることを受け入れた。バニラは子供を欲しがっていたので、待遇に不満はなかったようだ。
学校で人並み以上の家事の腕を磨いたことから、バニラはさぞ役に立つだろうと思われるが、そこでも社長は些細なことに難癖をつけ、決して認めようとしなかった。
気持ちがすれ違うにつれ、夜の生活もかみ合わなくなっていった。排泄するだけのような性交に、バニラの心は荒んでいく。
「あのう、その……、あの人のあれ、ちょっと小さくて……、私は全然気にしてなかったんだけど、あの人は結構拘ってたみたい」
今でこそバニラは持ちネタとして明るく語るが、当時はかなり気を揉んだに違いない。
僕らは性技を遊び感覚で学んでいる。第七世代は高度なフィードバッグが可能なのだ。詳細な性技を学校側が直接指導することはまずない。学校が指導するのは、男女の体の違いと性交の簡単なプロセス、そして決してやりすぎるなという警句だけだ。
多くの男は仕事でも、ベッドでも女に主導権を渡したくないと思っている。だから僕らはいつでもフリルと化粧で仮装して本性を表してはいけないことになっている。男の意に沿わない女は排除される。いつまでもなくならない悪しき慣習だ。
バニラの失敗は、当人の予想を越えたスペックを発揮してしまったことだろう。それが社長の自尊心を傷つけ、不幸な結果を招いた。
家庭内でのモラハラで精神をすり減らしたバニラは、ある時、会社の金で株の損失を出し、学校に突き返された。しかも社長はバニラに婚姻届けを書かせておきながら、提出していなかった。バニラとしてはそれが一番ショックだったようだ。卑劣に思える程用意周到さだが、こういうケースは結構ある。所詮男が求めるのは、偶像化された女の鋳型だと思い知らされる。この学校が、正式名称の国選花嫁専門大学校ではなく娼婦専門学校と呼ばれるのも納得のいく話だ。
「私はあの人のために頑張ったの。もう頑張れないって所まで頑張ったの。でも頑張りが足りなかったのかなあ。今でも時々考えちゃうよ」
学校に戻ってきた当時のバニラの診断結果はPTSDだった。今ではだいぶ落ち着いたが、戻ってきた当初は意志の疎通もできないほど心を閉ざしていた。あんな顔はもう見たくない。
「もう帰ってくるんじゃねえぞ」
僕らクラスの総意は口に出さずとも、バニラに伝わった。泣き笑いに顔を歪め、バニラは頷く。
「はいっ!」
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