第17話 僕と弥生は縁を大切にする

身請け前夜、ルームメイトと手を繋いで眠ると幸せになれるらしい。センチメンタルな幻想が学校で流行っている。


それなのに、僕は隣室で麻雀をして三時頃負けて帰ってきた。弥生は一人で勝手に寝ていた。


「何にも聞かんの」


起き抜けの弥生が目をこする。


「聞いたら羨ましくなって僕もウェディングドレスを着たくなる」 


弥生は僕のつまらない冗談を笑ってくれた。ふくふとした頬を見るのも今夜で最後だ。


「そうなん。でもうちバージンロードは歩かんよ」


僕としたことがつい希望的な観測の基で話をしていた。身請け人が弥生を妻にする義務はないのだ。愛人、性奴隷に身をやつすことは十分ありえた。


「そんな顔せんといて。悪い話やあらへんの。うち、養子にしてもらえることになったんよ」


僕の眼差しは懐疑的なままだった。弥生が僕を安心させようと嘘をついているとさえ思った。


「京都の旅館で跡取り捜してる話を知り合いに聞いてな」


「そこは立派な老舗旅館とか?」


僕が焦って先を促すと、弥生は恥ずかしそうに首を振った。


「外資も匙を投げたオンボロ旅館どす」


悪い冗談だと思いたかった。弥生は騙されているんじゃないのか。聞けば、その旅館は京都の外れにあり、インバウンド目当てに何度も経営者が変わったが、復活の兆しはなく風前の灯火らしい。


「そうか! 弥生に体を売らせようとしてるんだな。最低な女衒野郎め、ぶっ殺してやる」


「心配性やなあ。最後まで聞き。うちな、結婚相手を品定めしているうちに気づいたんよ。どうせ高う値がついてもうちに還元されるわけやあらへんし、殿方一人に寄っかかるのも肩身が狭いやん」


奥ゆかしいことこの上ない。これが日本が醸成した大和撫子の姿である。男に縛られたくない、依存したくない、自立したいと、弥生は主張しているのだ。


「それがなんで旅館なんだよ。適当な金持ちひっかけて、事故に見せかけて殺した方が手っとり早いだろ」


弥生はなまめかしく体をくねらせ空とぼけた。


「やーん、うちそんな恐ろしいこと考えたこともあらへんわ。それでな、どうせなら一から自分の人生を立て直したいと思ったんよ。向こうのお父はんと、お母はんもええお人でな、うちのことえらい気に入ってくれはったみたい。ええ家族になれそうやわ」


弥生は家族の温もりを知らない。そこにつけ込まれたという可能性は捨てきれない。弥生の幸せオーラが強すぎて、それに飲まれないように僕は必死に抵抗する。


「上玉のお前を安く買い叩く戦略にしか見えない。ちなみにいくらで身請けした」


「うーん、八十万」


「そう、八十万……、えっ!? マジ?」


僕はベッドから飛び起き、弥生の浅慮をなじる。


「馬鹿じゃないの、お前。いくらなんでも安すぎる。あーあ、やっちゃった」


冷静に考えてみると別におかしな事は何もない。


かつて弥生は身請けが決まりかかっていたにもかかわらず、当初の予定額に上乗せし、五億の身請け金を要求した。その話は破談になったが、弥生が金に執着する女だと内外に知らしめた。


でも弥生は卒業生のお古の着物ですましているし、月々数千円のお菓子を買うくらいでほとんどお金を使わない。貢がれたお金は、舞踏会の花代に費やすか、自分を捨てた親に仕送りをしていた。残りは貯金。


身請け破談の原因は、臆病さから来る天邪鬼。本当に相手に愛情があるのか試してみたかったのだそうだ。五億というふざけた額をふっかけられた相手は、仮に払えないとしても弥生を抱きしめるだけで良かった。それだけで弥生はどんな境遇にも甘んじだろう。それを見抜けなかった男が悪い。つまり、以前から弥生は身請け金に執着していなかったのだ。


「そうはいっても、金はどうすんだよ」


今回、身請けに失敗わけではないが、法外な諸経費と金利がのしかかる。国選は学費無料を謳っているが、ダンスなどのプライベートレッスン料は別だ。通常、身請け金の中に含まれるため学校は絶対に損をしない仕組みになっている。弥生が自分で払い切れる額とは思えない。


「まあ、なんとかなるわ。うちの手で旅館を再興してみせる」


弥生は茨の道を前にしても、楽観的だ。かりそめの自由に有頂天になっているらしかった。僕は現実を直視しているというのに。


「軌道に乗るまで何年かかる。それにお前にもし万が一のことがあったら」


「それなんやけど」


弥生は待ってましたとばかりに僕の

唇に指を当てた。


「学校にも同じこと言われた。うちが病気になってもお父はんたちに払えもんな。でもおらん限り」


弥生はベッドの下から分厚い書類の束を取り出した。淀みのない動きに確信する。僕は弥生の策略にまんまとはまっていたのだ。


「お前さあ、僕を連帯保証人にするために帰ってきたんだろ」


深夜、僕は泣きそうになりながら、書類を何枚も書かされた。もし弥生が病気か何かで借金が払えなくなったら、僕が全額を払うという署名をしていった。闇金ですら考えつかないような金利が学費に上乗せされているのは予想していたが、それに加え弥生のプライベートレッスンの項目が想像以上に多い。プール利用料月額六十万って使い過ぎだよ。蹴鞠免許皆伝で百五十万はさすがに笑った。


「瑞樹はんに会いたかったからに決まっとるやん」


「うー、覚えとけよ。弥生」


弥生は背後から僕の首に腕を回し、囁いた。わざと事務的に感謝を述べる。


「はいはいこのご恩は一生忘れまへん。だから瑞樹はんもうちのこと忘れんといてな」


借用書の弥生の名前を書く欄は空欄になっている。学校を出た生徒は新しい名前と戸籍を与えられる。弥生は弥生でなくなってから借金を背負うのだ。


学校の外って本当にあるのかな。野ざらしになれるのかな、僕たちは。次に弥生に会ったら聞いてみたい。


書類を書き終わった僕は、テーブルに突っ伏しそのまま眠ってしまった。目が覚めた時は弥生はおらず、書き置きの一つも残してくれなかった。


弥生はこの日のために節制し、貯金に励んでいたのだ。自分の足で歩くために。弥生がその気になれば借金は完済されるだろう。僕の出る幕はない。


それならば弥生はどうして僕の前に現れたのか。縁を残したかったと思いたい。離ればなれになって名前を消されても、保証人である限り、僕らの関係は続く。


テーブルの下に金平糖が落ちていた。口に入れると鼻まで突き抜けるような涼しげな味が広がった。

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