第22話 僕は二人の兄とそれなりに楽しく暮らしていた
断片的な記憶の中でも、その暑かった日のことはよく覚えている。
羽根を広げたフクロウが、街灯の上に止まっていた。夜行性の鳥だと鯱に聞いたので、真昼の街中で見かけるとは思わなかった。それで印象に残っている。
駐車場から汗だくのリュウが走ってくる。ショルダーバックは荷物でパンパンだった。
「おい! 行くぞ、奈美」
辺りを警戒しながらリュウは走り出した。僕は遅れないように付いていく。
「ねえ、フクロウいた! フクロウ」
「どこだよ」
苛立ったように素早くリュウが振り返る。僕はフクロウのいた箇所を指さそうとしたが、既に飛び立った後だったらしく見当たらない。
「あれ、いない……? あっ!?」
きょろきょろしていた僕の頬をリュウが殴った。何をされたのかわからないまま真夏のアスファルトに僕は転がる。リュウは怒鳴り散らして行ってしまった。
「くだらねえこと言ってねえで走れ!」
唇の端が切れている。血の混じった唾を吐いて立ち上がる。リュウの汗がアスファルトに転々としていた。それを目印に追いかけた。
沿道にいたリュウがバイクのエンジンをふかして待っていてくれた。
僕がヘルメットを被り、リュウの背中にしがみつくとすぐに発車した。がたがたとタイヤが跳ねてお尻が落ち着かない。
「フクロウ、今度買ってやる」
暴力を振るった後は必ずやさしくしてくれる。僕はリュウが大好きだった。
僕は十歳になり、奈美という名前を得てそれなりに楽しく暮らしていた。
リュウは十八歳になり、初めて会った時よりだいぶ体が大きくなっていた。毎日、しがみついているからよくわかる。広い背中、汗の臭い、今でもよく覚えている。
僕もリュウも学校に通っていない。人生には学校より大切なことがあるのだというリュウの教えに従った結果だった。
ビル街から段々うらぶれた路地に入り込んで行く。
バイクは迂遠なルートを選んで、僕らの住む団地に向かっていた。警察に辿られないためだと言われたが、僕にはあまりよくわかっていなかった。
くすんだ色の団地には外国人がたくさん住んでいた。トルコ人家族がちょうど建物から駐車場に下りてくる所だった。
バイクは威嚇するような排気音を轟かせ、住民らの脇を通過して止まった。
リュウは黒のタンクトップにカーゴーパンツ、脱色したような白い髪をオールバックにしていた。眉毛はなく、目には火花を散らすような攻撃性があった。
「あっちい、アイスあったっけ」
「ない、ある」
僕の日本語はかなり上達していたが、時折回線が混雑したように舌がもつれた。こういう時のリュウは案外辛抱強かった。煙草を間違えて買った時は殴る癖に、妙な所で寛容だった。
「冷蔵庫見ればわかるわな。鯱の奴が食ってなきゃいいが」
団地のエレベーターにはずっと故障中の張り紙が張ってある。リュウが扉を蹴ると、鉄骨がうなるような音が響く。僕がやっても、鈴みたいな軽い音にしかならないのが不満の種だった。
僕らの住む部屋は四階にあり、ドアを開けると話し声が聞こえてきた。
「もしもし、母ちゃん、オレだけど。会社の顧客情報なくしちゃってさー、このままじゃ損害賠償が発生しちゃうのよ。百万くらいあれば……、って切れてるわ」
テーブルにレトロな黒電話を置いて通話していたのは、色白の若い男だ。ヘアピンで前髪を留め、白いカットソーにデニムを履いている。彼は鯱といって僕らと同じ孤児院の出身だ。
「よお、帰ってたのか。首尾はどうだった」
鯱の問いに、リュウはバッグをテーブルにどすんと置いた。鯱が中身をぶちまけると、金ピカの時計や分厚い財布がゴロゴロ出てきた。
リュウが水道の蛇口に口を突っ込んで、水をがぶがぶ飲んでいる。部屋には冷房がないから蒸し暑い。僕は我慢できずに、小型冷蔵庫のアイスを探した。底をさらうように探したがアイスは見つからない。落胆してリュウの背中をせっついた。
「水飲みたいか、飲みたいか。それっ!」
リュウは僕を抱えて頭から水を被せた。息ができなかったが、冷水のシャワーを浴びてるようで気持ちよかった。
「あーあー、水浸しじゃんかよ。風呂でやれっての」
鯱が愚痴りながら僕の髪をタオルで拭いてくれる。僕は施設を出て、二人のお兄ちゃんとそれなりに楽しく暮らしていた。この時はまだ。
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