第38話 僕は誰も守れない
大使に挨拶を済ませた僕と
「持ち合わせがなくてね、日本橋まで頼めないか」
論美男は厚かましくも、僕の車に乗るつもりでいた。
当然、僕の護衛である岩永さんは難色を示した。論美男が身請け人かどうかも疑っているようだった。論美男が国のIDを見せると、それを照合してようやく納得してくれた。
これではっきりしたが、岩永さんも謝のじいさん、そして学校もこの旅の真相を知らない。論美男は国に目をつけられていると言っていた。二人に依頼したのが学校なら論美男と僕を会わせるわけがない。三浦は嘘の身請け話で僕を学校の外に出し、論美男はIDを偽装してまで僕と接触を試みた。
この綱渡りの状況にどこまで付き合えばいい? そもそも論美男たちの目的はなんだ。それを突き止めるまではこいつの芝居に乗るしかない。危険を感じたら岩永さんに伝えてゲームセット。三浦と論美男とはお別れだ。
運転席には謝のじじい、後部座席には僕と論美男。間に挟まるように岩永さんが座った。
「俺、高校時代バンドやっててさ」
論美男の口はよく回る。僕を口説こうというのだから当たり前だが、僕は対応に追われて必死だ。
「へー、論美男はどんな楽器やってたの」
「ベースだよ。彩矢はボーカルをやってた」
おいおい、ちょっと待て。こいつは秘密を隠し通す気があるのか。
僕の表情の微細な変化に気づいたようだ。岩永さんの腕に力がこもる。頼もしいけど、今は厄介だ。
「写真見せてやるよ」
論美男は折りたたみ式PCで、当時の写真を見せてくれた。フレームの中には長い黒髪を振り乱し、マイクスタントを握る十代の少女が収まっている。
「彩矢の奴、休み時間にノートにせっせと詩を書いててさ。それを俺がでかい声で朗読したのが始まり」
「うわ……、最悪の出会いじゃん」
論美男と三浦は高校の同級生だった。当時の三浦は内気な少女で、人前で注目を浴びるような存在ではなかった。目立ちたがりの論美男に引っ張りあげられ、一躍学校の人気者となった。インディーズではあるが、CDも出したことがあるらしい。
「俺と出会わなけりゃ、今でもあいつは引きこもって詩を書いてたのかもな」
陽気だと思った男から、急に苦い声を聞いた。後悔しているように見えるのは気のせいか。嘘の可能性もあるが、三浦とこいつは何か言いしれぬ絆でつながっているのかもしれない。
三浦の過去で盛り上がっているうちに、日本橋に近づいてきた。ここいらの景観も保存の対象になっているようだ。麒麟の像が見えてくる。
「いやー、じいさん、安全運転ごくろうさん」
沿道に停車すると、論美男がじじいを労った。ミラー越しにじじいが目を細めている。思い出話に花を咲かせた後だったし、車内は和やかな空気に包まれていた。論美男はここで降りるのか。なんだ、大したことなかったな。
「こいつはその礼だ」
最初、雨が降ってきたのかと思った。フロントガラスに飛沫が広がっていたからだ。目を奪われているうちに、車体が激しく揺れた。岩永さんが論美男をドア側に叩きつけたのだ。岩永さんが怒鳴り声をあげている。僕は気が遠くなる……、
「……、不破さん……、不破さん」
岩永さんに呼びかけられ、僕は我に返った。
「悪いけど、警察を呼んでもらえる?」
何で警察を呼ばなければならないんだっけ。謝のじじいが、ハンドルに額を乗せている。窓ガラスには、彼岸花が咲いたように赤い血がこびりついていた。
「おーい、聖女さまあ」
媚びるような男の声に、吐き気がした。声が出せない。車内は血の臭いが充満していた。
「このおばはんなんとかしてよ。車ごと壊されちまう」
いててと呻いた後、論美男の軽口がやんだ。岩永さんが論美男の喉を腕で押さえつけたのだ。
「断りもなく喋るなと言ったはずよ。次やったら、首をへし折る。他に仲間は? 不破さんを何故狙った」
窒息寸前だった論美男がぷはっと、息をついた。力を緩めちゃ駄目だ、岩永さん。こいつは普通じゃないんだ。
「凶器はどこに隠した。じいさんをどうやって殺った。聞かれたことだけに答えろ」
岩永さんの重い拳が論美男のこめかみに当たって鈍い音を立てる。それでも論美男は不貞腐れた子供のように悪びれる様子がない。
「質問大杉。俺は一人しかいねえんだぞ……、ちょっと休ませてくれよ」
岩永さんは先ほどより力を込めて論美男の鼻を殴った。これにはひとたまりもなかったらしく、論美男はうなだれて大人しくなった。
「不破さん? 大丈夫? 電話できそうにないかな。わかった。私が」
岩永さんが半身で振り返った時だった。論美男が舌を出しているのが見えた。注意を呼びかけようとしたが間に合わなかった。
「……、そんな顔しないの」
岩永さんが僕の方に背中から倒れこんだ。彼女の胸には赤い染みがどんどん広がっている。
「個人契約を結ぶ前でよかった。こんな弱い護衛……、役に立たないものね……、また、守ってあげられなくて、ごめん、なさい」
岩永さんが目を閉じ、息を止めた。僕は彼女の冷たくなっていく手をずっと握るしかなかった。
「おばはんの言うとおりだ、聖女さま。このくらいで動揺してたら身が持たないぞ。次はもっと頑丈な護衛を用意させるから機嫌直してくれよ」
「……、お前も学校の奴らと同じだ」
僕の大切な人たちを傷つけてなおふてぶてしい論美男の態度に、軽蔑と怒りが沸き立った。
「人の命をなんとも思ってない。代わりが利くものだと思ってる。僕だってそうなんだろ? だったらさあ! 殺せよ、僕を殺して、他の豚にしろよ! 何で僕なんだよ!」
僕がノコノコ出てこなければ、岩永さんも謝のじじいも死なずに済んだ。もっと早く論美男の事を話していればこんな事にならなかった。僕のせいで二人が死んだ。二人の死の責任を取るにはもはや論美男に殺されるしかないと思った。
「聖女さまじゃなきゃ駄目だ。お前さんにはやってもらわなきゃならん事がある」
「そんなもの知らない。いいから殺せよ……、殺せって言ってるだろ!」
僕が詰め寄っても、論美男は微動だにしなかった。それどころか僕の弱みを言い当てる。
「お友達がどうなってもいいのか」
その一言で僕は現実に引き戻された。天音の顔を思い出した途端、死への不安が襲ってくる。自分の死に対してではない。天音の側には三浦がいる。白木が連絡してきたのは脅しだったんじゃないか。駄目だ、何も信じられなくなってくる。
「あいつに何かしてみろ……、三浦もお前も殺してやる」
「だから、何もしないって。取り引きしよう。お前さんの知らない万里天音の秘密を教えてやる。俺の要求はそれから聞いてもらって構わない」
「あいつに……、秘密なんかない」
口では否定しても、いつぞやの会話が頭をよぎって離れない。
− なんやあの子には別ルートがあるみたいやし
– あの子は案外、ふふっ…
結局、僕は論美男の話に乗ってしまう。抵抗する意思はあっても、今はどうすることもできない。
「お前さんはまだ国選のことを何も知らない。死ぬのは知ってからでも遅くないぞ。な?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます