第27話 僕は兄の甲斐性に期待する


どのくらいの期間リュウと生活したのか、今でははっきりと思い出せない。一年だったかもしれないし、体感的に十年以上連れ添ったような気もする。


僕はバイト先と団地を往復し、リュウはその間、主にパチンコで時間と金を浪費していた。


顔を合わせれば、喧嘩ばかり。


「こんなことになるなら鯱と行けばよかった」


リュウが傷つくとわかっていてそんなことを言うくらいには僕も追いつめられていた。


生活の困窮以外にも、長年の習慣にも苦しめられた。生来の手癖の悪さが時折、顔を覗かせる。レジに一人で立つのは危険だったし、店長に両替を頼まれた時は、本気で金を持ち逃げしようと考えたほどだ。


そんな強迫観念と戦っていたある日のこと、児童相談所からの封筒を受け取った。こんな僻地に子供がいることをよく突き止めたと感心したが、どうせ大人は役に立たないだろうとゴミ箱に放った。


同じ緑色の封筒はそれからも届いた。何通目からか破るのが面倒になり、中を確かめた。リュウに知られないようにこっそりとだ。


カウンセラーらしき人からの直筆の手紙だった。難しい漢字を使わず、僕の顔が見たいと簡潔に書かれていた。まるで僕以上に僕のことをわかってるみたいな内容だった。


ごはんでも食べながら気軽に話そうということだったが、二の足を踏んだ。会うのが難しいなら電話やメールでも良いと書かれていた。


大人は信用できないというのはリュウの言だが、僕はそれほど猜疑心が強くなかった。子供の頃、ナンで糊口をしのいだ恩を忘れたわけではない。


僕はその手紙をタンスの一番下にしまいこんだ。返事をするかはまだ迷っていたが、明るい兆しが見えたと感じた。


この生活から抜け出せるかもしれない。学校にも行けるかもしれない。不安よりも期待が勝った。


「なんか今日機嫌いいな」


リュウに勘ぐられるほど、その日の僕の態度は浮ついていたらしい。リュウは僕が学校行きたいと言ったら反対するだろう。僕という働き手がいなくなるのを何より恐れていると思っていた。


「リュウはどうしてあたしを引き取ったの」


リュウはパチンコの景品を冷蔵庫に入れている。暗に僕も景品みたいなものじゃないの? と、意地悪く訊きたくなったのである。


「妹だからに決まってるだろ」


リュウの返答はよそよそしく響いた。


妹に万引きや置き引きの手助けをさせる兄がいるとは驚きだ。リュウの常識は非常識だとわかっていたけど、その答えには不満だった。


「そう。なら妹に迷惑かけないように兄としてもっとがんばんないとね」


リュウに兄の甲斐性など期待していなかったが、戯れに寄りかかる。昔なら拳骨を食らわされたが、この頃はめったなことでは手を挙げられなくなっていた。調子に乗った軽口が許されていたのである。


「ああ、頑張らないとな」


リュウは良い意味でも悪い意味で有言実行型だ。つまりできないことは死んでも口にしない。決意を試そうと訊き返した。


「本当にそう思ってんの」


「……、ああ」


まだ何か言いたそうなリュウに洗いざらい喋らそうと、僕は躍起になった。面と向かって話すのは久しぶりとあって興奮気味にリュウに迫る。根負けしたのかリュウは秘密を打ち明けてくれた。


「車関係の仕事がしたい。盗んだ奴じゃないちゃんとした奴」


初耳で言葉が出なかった。リュウにまともな将来設計ができるとは思わなかったのだ。


しかもリュウは自動車修理工場に就職が決まったと話してくれた。作業ロボが人間の領域を奪ったことは確かだが、人間の監督と繊細な仕事は未だ必要とされていたのだ。


リュウがまともな仕事に就いたことも、将来の考えも知らなかった僕は喜ぶよりまず怒りがこみ上げた。


「ばかー! なんで早く言わないんだ、そんな大事なこと」


僕が感情にまかせて怒鳴ると、リュウは顔を背けて声を落とした。


「だって、お前、いつも怒ってんじゃねえか」


「それは……、リュウが悪いんだよ。でももういいよ。今日はリュウの就職祝いに好きなもの作ってあげる」


昔のように振る舞えるのが嬉しくて、僕は嘘のような幸福に酔いしれた。


リュウの好きなクリームシチューを食べた後は、二人で鯱の残した絵を眺めて過ごした。


鯱は絵を趣味にしていて、プロ顔負けの腕前だ。鯱は多数の絵を残してくれていた。水彩の風景画が多かったが、僕やリュウを描いたものもあり、眺めて感慨に耽ったものだった。


リュウが寝室に入ると、僕もついていった。布団が一つあるだけの寂しい部屋だ。この部屋に入るのは鯱が出ていってから初めてだった。


「なんでついてきてんだよ」


「いいじゃん、昔は一緒に寝てたし」


リュウは必死で抵抗したが、僕が枕を並べると観念して横になった。


「ガキじゃねえんだ。あんまくっつくな」


「妹が兄に甘えても不思議じゃないでしょ。それに一人で寝ると寒いんだよ」


リュウの広い背中に額をつけると、気持ちが落ち着いた。この体勢でいると、無性にバイクに乗りたくなる。


「この間は悪かったな」


リュウが何に対して謝っているのか、僕は検討がつかなかった。謝られる機会が極端に少ないので、明日は雪が降るのではないかと訝った。


「お前を豚なんて言って。許してくれるか」


僕が知らなかっただけで、リュウも現実と戦いで角がとれ、分別のある大人に形成されたらしかった。さもなければリュウの紛い物だろう。


「お願い一個聞いてくれたら許す」


生意気過ぎたのか、裏拳で小突かれた。それでも他愛ないやりとりに絆を感じる。


「わかった。何でも言ってみろ」


おや、この夜のリュウは本当におかしいぞと気づいた僕だったが、毒をくらわば皿までとばかりに願いを口にする。


「バイクでどっか行きたい」

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