第33話 僕は不穏な電話を受け取る

僕は、宴会場でマイクを握る。一回り以上離れたおじさんたちの好奇の目に晒されながら。


「出席番号十七番、不破瑞樹。タッチ歌いまーす」


軽快なイントロが流れると、音楽に合わせて体を揺らす。普段から歌のレッスンは欠かさない。声にも自信がある。男の願望なんでもござれの国選花嫁は、時に国民のアイドル的な存在を演じなければならない。


「あー、ざけんなざけんなざけんな」


僕は枕に顔を埋め、貯まった鬱憤を晴らす。


ここは東京都内にある旅館の一室だ。外国人セレブ向けに作られた高級宿で、学校からここに泊まるよう指示があった。横須賀の基地で船を下ろされた僕は有無をいわさず連れてこられたのだ。


休む間もなく、つい一時間ほど前まで僕は海上自衛隊幹部を接待していた。僕を歓待するための宴会という名目だったが、その実、僕は酔っぱらいたちに愛想を振りまくしかなかった。


「国選は防衛省の管轄だから学校も断れなかったんだね。ご苦労様」


岩永さんがフォローしてくれるが、加齢臭がまだ鼻の奥に残ってる気がする。


「岩永さんも見てたでしょ。膝の上に座るように言ってきた奴いた。ほんと無理」


お酌や、歌のサービスは当たり前。ひどいのはセクハラや酒を勧めてくる奴までいる始末だ。僕は未成年だと何度も伝えたのに。


「僕くらいの孫がいたっておかしくないのに何やってんだか。あんな人たちに国は任せられないよ」


僕が愚痴を続けると、畳に正座していた岩永さんが足を崩した。


「国選花嫁を見られる機会は滅多にないから、みんな舞い上がったんじゃない?」


「なんでおじさんたちの肩持つの。駄目でしょー? 僕があの人たちを殺せって言っはらぱぱっとやっちゃわないと」


「私は殺し屋じゃないし、君の雇い主でもない。取り消して」


僕は謝る振りをして枕を岩永さんの顔に投げつけた。岩永さんは枕を顔面で受け止め平然としている。


「いいもん……、三浦に言ひつける。あいつなんでも言うこと聞くから」


「……? 不破さん、酔ってるの? 参ったなあ」


岩永さんはぼやきながら僕を転がして布団をかけてしまう。ジュースと間違えてレモンサワーを飲んでしまったのを忘れていた。僕も悪いのだ。自衛隊のポスターに僕を起用したいなんて話を真に受けて舞い上がった。おじさんたちの方が一枚上手だったのだ。


顔を右に倒すと、掛け軸に「押忍! 番長!」という書画が踊っていた。外国資本の旅館だからなのか変な甲冑とか丁度が多い。


甲冑の前に謝さんが寝ころんでいる。真っ赤な顔をして白い眉をもぞもぞ動かしていた。太鼓持ちする振りしてしこたま飲んでたんだこいつ。


「おい! じじいっ! いつまで寝てんだ! ここは僕の部屋だぞ。出てけ!」


僕が口汚い言葉で罵っても、謝のじじいはぐうすか寝てる。腹が立って仕方ないが、足に力が入らない。岩永さんに部屋の外に捨ててきてもらうの。


戻ってきた岩永さんを布団の脇に座らせる。


「恥ずかしながら僕は手を繋いでもらわないと眠れないのら。お願いできる?」


岩永さんの巨人のような手に包まれると安心できる。癖になりそう。


眠眠相候。これにて御免。



誰かに体を揺さぶられて、目を覚ました。傍らには岩永さん。何か言っているが聞き取れない。


「え? なんて」


体を起こそうとしたが目が回って上手くいかない。天井が霞んで見えた。


「お電話です。具合が悪いならかけなおしますか?」


「……、どこから」


「学校です。白木さんという方から」


岩永さんが畏まってるから誰かと思えば、白木……? クラスの奴が何の用だ。天音じゃないなら相手にする必要はないが、念のためだ。固定電話の受話器を持ってきてもらった。


受話器に耳を当てると大層品のない女の声がキンキン響いた。


「あ、瑞樹? あたし。白木。白木麻衣」


国選に偶像が求められるなら白木麻衣がその役に適任だろう。


十代前半に権威のあるコンテストで優勝し、プロのヴァイオリニストとしてデビュー。父親は経済産業省の局長という輝かしい経歴の持ち主だ。


昔から十人以上の話を同時に聞きわけ、誰からも愛される天使のような子供だったというのが本人の談。


そのような将来のレールを約束された人間が何故国選のような人生の墓場にいるのか気になり、本人に聞いてみたことがある。


「あたしの音楽が通じない相手って一定数いるんだよなー。ある時、力のなさってものを実感してね。どうせなら全く違う世界に飛び込んでみようと思ったんだ」


才能のなさを嘆き引退、という簡単な話ではなそうだった。


彼女に嫉妬し、足を引っ張ろうとした勢力があったと風の噂で聞いた。白木はいわゆる上級国民だ。実力以外の部分で足を引っ張られたのだろう。


だからといって、国選に入らなくてもいいと思うのだが、天才の考えは読めない。ちなみに今の白木の外見は少し太めの黒ギャルで、ネイルがはんぱなく尖っている。おじさんを甘やかすのが好きで、時期大臣ポストの政治家の後妻に収まるというのがもっぱらの噂である。


「瑞樹さー、今どこいんの」


たまにジムで汗を流す中だから下の名前で呼び合っている。だからといって親しいわけではない。他人以上、友達未満の関係だ。


「イタリアのシチリア半島でバカンス中だよ。日の光が強くってさ。来なきゃよかった」


今回の旅はお忍びだ。余計な手間を省くために誤魔化そうとした。


「……、なんですぐわかる嘘つくの?」


僕の努力は無駄に終わる。白木も第七世代。当然特殊な力を持つわけで、こいつは聴覚器官特化だったか。振動の傾きを捕らえて嘘かどうか見破るらしい。


「僕のやさしさ、察してくれない?」


「えぇー!? あんたがやさしさとか、説得力ないし」


僕は受話器を耳から離す。こいつの甲高い声が鈍器のように頭を抉るのだ。早く電話を切りたくて話を進める。


「で、僕になんか用」


「あー……、伝えた方がいいかと思って」


白木の声が遠くなる。急に歯切れが悪くなり、僕を不安にさせた。


「天音のことか」


「まあね。それしかないっしょ」


天音が何か問題を起こしたのだろうか。天音はクラスにとけ込んでいるし、僕がいなくてもやっていけると思うのだが。


「三浦が何かしたとか?」


「いやいや、あやちはすっごいやさしいよ。気持ち悪いくらい。瑞樹帰って来ない方が平和じゃねってみんなで話してる」


「うるせえ。どうせ僕は疫病神だよ。天音に何があった」


僕は身を起こし、布団を握りしめていた。手汗が止まらない。僕にとって天音がどれだけ大切な存在か思い知らされる。


白木の答えは簡潔にして、大打撃を与えるに十分だったのだ。


「倒れた」

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