第9話 僕はダンベル以外ももてる


生徒は午前中のみ教室で授業を受ける。座学の内容は基本五科目に加え、教養科目を教わる。成績は身請け時の参考に影響するため、普通の学校のように休んだり、居眠りする奴はいない。いや、天音はよく寝ているが、いびきがうるさくならない限りは注意されない。


男性講師はいるが、色めいた話は聞かない。商品に手をつけたら確実に国に消されるし、教室に至るあの重い扉をくぐれば、俗世の欲を忘れてしまうのかもしれない。


午後のカリキュラムは個人の裁量に任されており、僕はジムで汗を流すことが多い。専任のトレーナーがついて体重の管理をしてくれる。


人気のカリキュラム上位は、ダンス、水泳、楽器演奏である。


弥生にいたってはお花に、お琴に、日本舞踊と、お稽古に明け暮れている。時代を経ても大和撫子信仰が薄れない以上、弥生のような奥ゆかしい(?)女子の需要は常にある。必ずしも芸事の達人になる必要はなく、あなたのために頑張りましたという、覚え書きが重要なのである。


全ては身請けされるための懸命な努力である。弥生はその努力に見合う相手でないと身を預けないと豪語しているため身請けはまだ決まっていない。豚がプライドを持つのも考えものだ。


豚が持つのはダンベルだけでいい。

午後五時、日課のトレーニングを終えた僕はエレベーターに乗り込んだ。


学費と寮費、食費、高熱費は無料だが、それ以外の生活用品は自分で揃える必要がある。


校舎の地下四階にあるショッピングエリアでは、おおよそ考えつく限りの品物が揃えられている。


エレベーターの扉が開いてすぐ、目を射るような光線があふれる。中高生に人気の格安雑貨から、誰もが知る高級ブランドの店までがずらりと並ぶフロアーは目の毒のような気がする。豚の欲望を刺激する通称乙女ロードである。


シャンプーを切らしていたので、ドラッグストアで買った。国内のみならず海外の商品も棚に突っ込まれており、品ぞろえの豊富さに初めはひどく面食らったものだ。


ドラッグストアには薬剤師が常駐しているが、店のほとんどが無人レジを採用しており、商品を持って入り口のゲートを通った際、自動で口座から引き落とされる仕組みになっている。


身請けされていない僕が何故自由になるお金を持っているかというと、懇意になった男性からおこづかいを貰っている。いわゆるパトロンとか谷町とかいう奴だ。


週末に迎賓館で行われる舞踏会が、僕らが男性とお知り合いになる唯一の機会だ。生徒のカタログは一冊五万円で売られているが、実際に顔を合わせる場はお互いにとって貴重である。僕らは顔見せと男性のあしらい方を学べるし、男性は僕らに気前よく散財することでステータスを誇示できる。


カリキュラムでダンスが人気なのもその辺が関係している。最低限の社交マナーすらできないようでは誰からも相手にされない。それは男性側も同じだけどね。


そんなわけで、僕は自分の口座にそれなりの金額を蓄えている。学校内でしか使えないとはいえ、お金はいくらあっても困らない。ありがたく使わせてもらってます。


買い物を済ませた僕は寮に戻るべく、来た道とは別の場所にあるエレベーターを目指した。


寮と学校は離れているが、シャトルバスで移動するだけだ。僕らの生活圏はひどく窮屈だと思わされる。外出許可もない限り、日の下に出る機会もほとんどない。今は八月らしいが、季節感は全くない。籠の鳥が嫌なら早く身請けされるしかないが、その後の人生が保証されるわけでもない。この学校には何もないし、進路先でも大方身請け先に依存する生活が待っている。


ドラッグストアの向かいに駄菓子屋があり、そこから格調高い下駄の音が聞こえた。下駄なんて歩きづらいもの好き好んで履く奴はあまりいない。弥生が大きな紙袋を抱えて出てくる所だった。


僕は一瞥しただけで、弥生に声をかけなかった。疲れていたし、どうせ部屋が同じなのだから立ち話する必要がないと感じた。


僕の淡泊さが気に食わなかったのか、弥生は暴挙に出る。店から飛び出してくると、僕の耳からイヤホンを引き抜いた。僕は授業中以外は水色のイヤホンをはめている。人と話すのが面倒だからだ。この学校の豚の話す内容ときたら、お上品な下ネタか、お下品な下ネタしかない。


「ようやくうちの声が聞こえたなあ。よしよし」


弥生は例外だが、その分、重い。


「お前の声は、おはようからおやすみまで聞きあきたよ」


「あれま! そんな悪いお口は蓋しましょ」


僕の口に何か突っ込まれたと思ったら、砂糖の甘みが広がる。舌でなぞるとザラザラしている。金平糖だ。


「やっとこっち向いた。瑞樹はん、なかなかこっち見てくれへんから、うち寂しい」


面と向かって不満を口にされると、なんだか申し訳ない気持ちになってマウントを取られてしまいがちだ。


弥生は人に負い目を感じさせる天才である。小さな親切、大きなお節介というが、弥生は小さな負債を僕に背負わせ、そこに付け入ってくる。たとえば、今朝の鶴の供養にしたって僕から提案したわけではない。口の軽い天音から話を聞き出すと自分から供養を持ちかけてきた。断る理由が見つからず、ずるずる付きまとわれている。


僕が無視して先を急ぐと、弥生は小走りについてきた。


「瑞樹はん、待って、待ってー」


黄色い声がつきまとってくるが、イヤホンをする暇がない。エレベーターの前までわき目も振らずに歩いた。


エレベーターを待つ間、弥生は金平糖をぼりぼりかじっている。


「太るぞ」


「瑞樹はんがもっと太れって前言ったー」


そんな無責任なことを言った覚えはない。多分、弥生を見初めた男が吹き込んだのを勘違いしているのだろう。


「なあ、弥生、天音がどこにいるか知らない?」


ぽりぽり。弥生は金平糖をかじっている。金平糖はかじるものだったっけか。忘れた。


僕と天音は、四六時中一緒にいるわけではない。天音は午前の授業を出席した後、どこかにいなくなる。訓練棟にも、このショッピングエリアでも天音の姿を見た者はこれまで誰もいなかった。寮にも天音の部屋は存在しないし、彼女の行動は長年の謎なのだ。


Ⅵのクラスは病棟に繋がっており、そちらで寝起きしているのだと僕は睨んでいる。


「なんや、あの子は独自ルートがあるみたいやし、気にせんでもええんと違う?」


エレベーターに乗り込む際、弥生が尖った声で意味ありげなことを口にした。


「普通買い物くらいするだろ。それとも何か、あいつは高い塔の天辺にいてお手伝いさんが買い物してくれるとか?」


あり得ない空想だ。三浦や他の職員にも煙たがられている天音に限って。特権とは最も遠いあいつに、そんな芸当できっこないと僕は笑った。


ぼりぼり。それにしてもさっきから金平糖をかじる音がやけに響く。石でもかじってるような音だ。金平糖はそんなに硬いのだろうか。


「わからんよ。ラプンツェルみたいに髪の毛垂らして、餌が食いつくのを待っとるのかも」


「食虫花じゃあるまいし、あいつは花より団子だよ」


そういえば、天音はお菓子作りの本を借りていた。調理室にいるかもしれない。寮に戻る前に寄ってみよう。


僕の意識は完全に次の目的地に向いており、金平糖をかじる音が止んでいるのに気づかなかった。


「みーずきはん♪」


甘えるような囁きを耳にした時には、弥生の体重と体温を間近に感じていた。寄りかかってきたのかと思ったら、突き飛ばすように僕の体をエレベーターの扉に叩きつけてきた。予期せぬ衝撃に備えておらず、額をもろにぶつけた。エレベーターが揺れているのか僕の頭が揺れているのかとっさにはわからない。


「天音天音うっさいなぁ」


弥生は苛立ちを含んだ声と共に僕の腕を背後からねじる。


「ほんまけったくそわるい。うちが目の前におるのに他の女の話ばっか。なあ、今、瑞樹はんを支配してるのだれ?」


頭一つ分、背の低い弥生に手も足も出ない。弥生は護身術も習っていると言ってた覚えがある。こういう時に使うんだ。勉強になる。


「僕を支配するのは僕だ。お前じゃない」


「まあ、勇ましいこと」


感心されて恐縮だが、僕は嘘をついた。天音に毒されて、つい心にもないことを口にしている。


「弥生って毎日、鶴で尻拭いてるの?」


やや、戸惑ったような間があって、


「そんなわけないわ。大事に大事に部屋に仕舞ってます」


「お前は僕に嘘をついたのか」


「嘘も方便言いますやろ。あの紙でお尻ふいとったら、今頃うちのお尻は山火事どす」


僕は危うくルームメイトの尻を大惨事にする所だった。弥生が怒っているのも納得がいった。


「悪かった」


「ええよ。お部屋を瑞樹はんで一杯にするのがうちの、ゆ、め」


今や僕と弥生は向かい合って、体を寄せていた。弥生の頼りない肩を抱き、見つめ合う。何かを恐れるように目を伏せる弥生の唇に口づけた。


湿り気を帯びた弥生の唇は、縫いつけられたいと思うほど甘美で癖になる。弥生は僕に奉仕しろと言うつもりか、細く息を吸うだけだったが、薄目を開けて口を開けた。


「瑞樹はん、こんへーとー」


弥生が舌の上に金平糖を載せて見せびらかしてきた。僕は舌先を弥生の口内にねじこみ、金平糖を奪う。弥生もすかさず舌を転がして僕の口に割り入ってくる。互いの唾液と溶けた金平糖が混ざりあい、泡立ってきた。ゴールのないサッカーのような僕らの口づけは唐突に終わりを迎えた。


エレベーターが次の階で止まり、扉が開いたのだ。外で待っていた人間は僕らの痴態を見て、気まずそうに押し黙るばかりだ。


弥生は紅潮した顔で唾を飲み下した。喉がゆっくり動いたのが外からでもわかる。金平糖はまだ僕の口の中にあって、弥生の熱がこもっていた。


「調理室寄ってから帰るから」


「はよお帰りやす」


新妻のように手を振る弥生を残し、僕は一人エレベーターを降りた。エレベーター内にも監視カメラはあるが、学校側が校内の疑似恋愛を咎めるのは稀だ。性技は同姓によって継承される謎の伝統もあって、僕と弥生のような関係の者は少なくなかった。


これで天音探しに専念できる。


そう楽観したのも束の間、調理室で天音を見た者は誰もいなかった。 

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