第12話 僕は身請けを恐れている
僕は送別会を終えて、一端寮に戻った。午後は弥生と一緒に水泳をする約束をしていたのだ。弥生は送別会の途中で抜けてどこかに行ったが、僕より早く寮の部屋に戻っていた。
「マリアはんの身請け人ってどないな人やろ。聞いてはる?」
「アメリカの軍人さんだった。写真見せてもらったけど筋肉ヤバかった」
弥生は襦袢だけになって畳に転がっている。帯や着物が脱ぎっぱなしで部屋のあちこちに放られていた。僕はそれらを丁寧に拾い上げ、衣装部屋へと戻す。
「ええなあ、結婚。憧れるわあ」
弥生の独り言を聞き流し、僕はかたーい、かたーいクッキーをかじった。ゴマを固めたような色をしたそれは天音のお手製だ。鉄をかじっているのではいかというくらい歯が立たない。天音はどこでどのようにこのクッキーを焼いたのか興味は尽きない。
クラスで唯一かみ砕いたのは、バニラだけだった。弥生にも勧めてみたが、白い足をぶらぶらさせて拒否した。
「恋敵からの情けは受けとれん」
弥生は僕と天音の仲に嫉妬している。天音のいない時に限り敵意をむき出しにするのが不思議だ。普段クラスで顔を合わせる時は愛想が良いのに。
「歯が丈夫になるんだ。食べてみろよ」
「ええ言うとるやろ」
投げやりな態度からわかる通り、今日の弥生は機嫌が悪い。お別れの会の途中までは変化はなかった。会を抜けた一時間の間に何かあったのだろうか。
「先行ってるから。早く来いよ」
僕はやましいことでもあるみたいに、弥生から目を逸らし、部屋の入り口に急いだ。
「瑞樹はん」
それを見透かしたように弥生が僕を呼び止めた。
「うちの身請けが決まったらどないしはります?」
僕はドアの取っ手を掴んだまま、ため息をついた。言葉が出てこない。
「なーんて冗談。隣の芝生は青く見える言うてな。ちょっとイラついてしもた。先行っててええよ。すぐ行くから」
嘘みたいに明るい弥生の声にどう返事をしたか覚えていない。
いつか来るであろう未来に備えていたはずだった。それでも僕は弥生の身請けが仮にでも決まったと聞いて、動揺した。
この学校に在籍して二年になるが、僕はここにいる資格があるのだろうか。これしきの揺さぶりで惑うほど、豚の心は繊細なのだった。
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