タピオカフラクタルジェネレーション(後編)


弥生は、つるつるする廊下をひた走る。走るには袖が邪魔だ。国選は服装自由で、基本は何を着てもいいとされている。ただし、殿方の前に出ても恥ずかしくない格好という注意事項がある。


日常的に和服を着用しているのは弥生だけだ。着つけは面倒だし、帯はきついしで周りからは珍しがられている。


それでも母から貰った帯留めをつけたいがために、和服を着ているなんて恥ずかしくて誰にも言えない。娘を売った親だとしても、母は母なのだ。今では何か事情があったと考えている。


袖を縛っているうちに、あーちゃんのベルの音が遠ざかる。


「うちから逃げられると思うな、あーちゃん」


目をすがめ、意識を集中する。廊下の奥から布のようなものが伸びてきた。薄く漂白されたように白い布は、あーちゃんの精神状態のメタファーだ。白い布地に紅の円という組み合わせは日の丸を連想させた。


(あーちゃんは右翼なんかな。そうは見えへんけど)


第七世代同士ならより多くの情報を読みとれるが、あーちゃんの場合はこれが限界だった。


布をたどると、機材運搬用のエレベーターに続いている。普段学生は使わないため、どこに繋がっているのか弥生は知らなかった。


エレベーターは地下十三階で止まっている。弥生は意を決してゴンドラのような部屋に飛び乗った。


十三階はたった一つの部屋があるだけの階層だった。エレベーターを出てすぐ金属性の扉がある。電子キーで施錠されていない旧式の扉だ。


その頃になると気持ちも落ち着き、不安の方が増してきた。あーちゃんは本当にここに来たのだろうか。わけもわからず逃げ込んだだけではないか。


時々喧嘩はするが、元々あーちゃんが嫌いなわけではない弥生は、連れ戻すために部屋の戸を叩いた。中からは返事がない。時を置かず、資料室と銘打たれた部屋に入った。


「し、失礼しまーす」


中にはスチールラックが並んでおり、古い紙の臭いがした。デジタル化が主流の現在、紙媒体はほぼ淘汰されてしまっている。検閲で生き残った健全な本が図書館に置いてあるが、弥生はほとんど触れたことがない。


「あーちゃん? おるんやろ……、もう怒ってへんから出ておいで」


棚にはアルバムのような冊子が隙間なく収められている。YE-098という棚の前で立ち止まり、一冊のアルバムを抜き取った。表紙は真っ黒で、タイトルは付けられていない。片手で持つには重かったが、埃などは立たなかった。


表紙をめくった弥生は、すぐにアルバムを閉じた。


もう一度開くと、弥生によく似た女の子の顔写真が一ページを占領していた。鼻の形や輪郭など共通項はあるが、よく見れば、写真の少女には弥生にないほくろがある。


「あら、かわいらし。うちほどやあらへんけど」


少女をあらゆる角度から撮影したポートレートは偏執的なものを感じさせる。弥生は気鬱になり、アルバムを元の場所に戻した。その棚にある全てのアルバムには同じ少女が写っていたが、表情に違いがある。虚ろな表情から、今にも跳ね回りそうなほど生き生きしているものまで、雲泥の差があった。


(なんや気味悪い。うちの隠れファンとか? それにしてもどうしてこんなに大量に)


反対側の棚に手を伸ばそうとし際、扉が閉まる音が背後で聞こえた。あーちゃんが出ていったのかと思い、慌てて出口に向かう


ドアノブを回したが、押し返される感触に背筋が凍る。


「うそ……、鍵が……、どうして」


汗で滑るだけでなく、外側からロックされているため扉は開かない。


「ねえ! あーちゃん! 悪ふざけが過ぎるで! 先生に言うからな。鞭でぶたれるけどいいんやな?」


掠れた声で扉を叩いたが、足音は遠ざかっていくばかりだ。


エレベーターが動く音がかすかに聞こえた。この時まだ弥生は冷静さを保っていた。学校の規則で通信機器はもっていないが、第七世代に向けて電波を飛ばせば気づかれるかもしれない。


(瑞樹はん、気づいて。うちはここやで)


手を合わせ、思念を送る。エレベーターシャフトを辿って上層を目指す。もう少しという所で、視界が闇に閉ざされた。電源を落とされたらしい。一瞬パニックになり、集中が途切れる。息を吐いて気持ちを落ち着かせる。


(無駄やで、あーちゃん。うちのあん人への想いはこのくらいで切れへんのや)


十三階から針の糸を通すようなコントロールを強いられる。何度失敗しても、弥生は諦めなかった。




弥生の寝室では、鳥かごにLEDライトを入れてランタン代わりにしている。鳥かごはルームメイトのもので、彼女は学校にそれしか持ち込まなかった。よほど大事なものなのだろう。吊された千羽鶴が藤のようにベッドに垂れている。弥生は鶴を触ってぼんやりしていた。


「けったいな夢やったなあ……、つっ!」


突然襲ってきた頭痛にのたうち回る。頭痛は始まりに過ぎず、上から下まで刃物で抉られるような痛みが走った。痛みが脳を酷使した代償なら、地下に閉じこめられたのは夢ではなかったのだ。寝室にいるということは誰かが電波を拾ってくれたのだろう。


痛みが一段落すると、弱々しい声でルームメイトを呼んだ。


「瑞樹はん……、おる? 水持ってきてくれへん?」


五分経っても返事がないので、弥生は這うようにして寝室を出る。テーブルの上に置き手紙が残されていた。


『白木から聞いたぞ。天音と喧嘩したんだってな。だからアンガーマネジメントの講習受けろって言ったのに。天音が見つけてくれなかったら地下で一晩で過ごしてたかもな。麻雀行ってきます』


弥生は天井を向いたまま手紙を破ろうとした。もっと言うことあるやろ。大丈夫? とか、大変だったね、とか、君が心配だから今夜は側を離れないよとか。そんなに麻雀が好きかと涙が出そうになる。


朦朧とする意識の中、手紙の末尾に目を留めた。


『明日午前検査らしいから一緒についてくね。野菜スープ作ったから、それ食べて休んでください』


弥生は鼻をふくらませ、手紙を丁寧に畳んで着物の袂に入れた。冷蔵庫からスープを取り出し、レンジで温める。


「ま、捨てんのももったいなー、やし。仕方ないから食べてあげましょ」


野菜は不揃いに切られていたが、しょうがが入っており、体が暖まった。


食べ終わってベットに横たわると、タピオカをどうして探していたかわかった気がした。第七世代同士でわかりあうのではなく、人としてわかり合いたかったのだ。


明日、あーちゃんにもう一度聞いてみよう。今度は答えてくれるに違いない。




タピオカフラクタルジェネレーション終わり

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