第14話 僕は一人で羊羹を食べる
この学校の敷地には、職員棟、教室棟、研究棟、訓練棟、四つの建物があるとされる。校内に入る際はトンネルを通るため、外観がわかりづらいが、職員棟は高い塔のような形をしている。
訓練塔にあるプールのある階から、職員棟につながる通路に向かう。通路入り口の自動ドアには普段ロックがかかっており、自由に出入りはできない。
職員棟は他の棟とは空気が違う。装飾の排除された灰色の通路内を行き交う人間の顔にゆとりがない。目を見れば余計に感情が流れ込むから下を向くことにしている。向こうも極力僕を意識しないようにしているみたいだ。
コンシェルジュAIが各階のカウンターに常駐しているため、コンソール画面にアクセスして来訪を告げる。
「ヨウコソ フワミズキサマ ガーデンルームニテ ミウラシュニンキョウユガ オマチ デス ダイナナエレベーターヲオツカイニナルト、サイタンルートニナリマス ゴリヨウアリガトウゴザイマシタ」
エレベーターは見る見る急上昇して僕を下界から運びさる。十三階で停止すると、僕はネクタイを締め直してから、階に足を踏み入れた。
勇んで向かったはいいが、予想と違って面食らった。
熱帯の植物が足下に繁茂している。外に出たかと思ったが、人工の照明がそこかしこにある。室内にいるとわかり、逆に不安が増した。聞いたことのない鳥の鳴き声が反響している。
職員棟のこの階に来るのは初めてだ。湿度が高く額に汗が溜まるのが感じられた。
「おーい、こっち」
呼ぶ声に導かれ、植物の蔦をかきわけて進むと、白い丸テーブルが置いてあり、三浦が座っていた。
「あー! 瑞樹ちゃん、髪濡れてる。セックスしてたな。わっかいなあ」
「あんた一応教師だろ? くだらない邪推するんじゃないよ。つーか、きもい。匂い嗅ぐな」
身を乗り出してきた三浦をはねのけ、僕も椅子に座った。僕ははやる気持ちを押さえ向き合ったのに、三浦ははしゃいでいるばかりでイライラする。
「で、用件は何? 手短にね」
「来期入学の生徒の親御さんにお菓子もらっちゃった。休憩中に一緒に食べようと思って呼んだんだー、クラスのみんなには内緒だゾ」
三浦のウインクはへたくそで、ストレスで痙攣しているのと見分けがつかない。
僕は三浦の軽率な態度が許せなかった。日頃、ストレス解消に付き合ってやるのは多忙な仕事に多少なりとも同情していたからだが、その気持ちも一瞬で吹き飛んだ。
三浦の頬を不意打ち気味にはたいた。三浦は涙目になりながらも、笑顔を崩さない。
「いったい! 羊羹だよ? 瑞樹ちゃん好きでしょ」
「そういう問題じゃねえよ。お前、何。そんなことで僕を呼びだしたの?」
もうだめだ。こいつを事故に見せかけて殺せないかな。弥生とかそういうの詳しそうだから応援を頼みたいくらいだ。場所も人気がなくてお誂え向きだし。
「ねえ、そんなに怒んなくてもいいじゃない。何かあったの? 羊羹私の分も食べていいし、相談にも乗るよ」
必死で機嫌を取ろうとする三浦に話すことは何もない。僕は席を立つ気配を見せる。三浦はなおも食いついて離そうとしなかった。
「待って、お願い。ほんと、五分で良いから」
三浦の声から調子づいた気配が消えた。縋るようなその様子を前に、僕も真剣にならざるを得ない。
「もしかして身請けの話?」
「そう」
身請けの話が突発的に舞い込んでくることは少ない。プロフィールで興味を持って、舞踏会で顔を合わせてという段階を踏むパターンがほとんどだ。僕の場合パトロン経由で探してもらっていたのが引っかかったということだろうか。否が応にも期待が高まる。
「念のため聞くけど、その人は天音も混みで僕を所望なの」
「まだそこまで話は進んでないわ。先方が瑞樹ちゃんに会ってみたいっていうレベルだから」
会うだけ会って話が纏まらなかったら骨折り損だ。しかも三浦の口振りからすると相手と僕は知り合ってさえいないのだ。
「じゃあ舞踏会に来いって伝えといてよ」
「いやそれが、相手は外で会いたいと言ってるんだけど」
ますますやる気がしなくなった。胡散臭い話はスルーするに限る。
「彩矢ちゃんには悪いけど、断らせてもらうよ。なんか怖いし」
「いやいや、怖いことなんて何にもないから。相手はちゃんとした大人だし、学校の職員も付き添うから、ね」
どうにも三浦の対応がおかしい。いつもなら僕の意志を尊重するのに、今日はやけに粘る。
「ちなみにどんな人?」
「誠実な年上の男の人よ」
「下心ある奴は大体いつもそう言うんだよ。僕、お医者さんの子供になりたいなぁ。天音をいつでも診てもらえるから」
「お医者さんでは……、ないです。でもでもお医者さんごっこなら多分してもらえるよ。男はたいてい好きだから」
「あそ、そんな変態野郎に用はないな」
三浦は頭を下げて手を合わせた。なかなか堂に入った無様な姿勢だ。
「瑞樹ちゃん、お願い。私を助けると思って」
「えー? 彩矢ちゃん助けて僕に何のメリットがあるのさ」
「お礼にすばらしいマッサージをしてあげる」
「それはお前が僕に触りたいだけだろー?」
頬を軽くつねると、三浦は気持ち悪い笑みを浮かべて平服した。
「ふあぁ、しゅみません……、でも何とぞ何とぞ」
三浦の被虐趣味は今に始まったことではないが、今日は服従の中に不屈の意志を感じる。矛盾しているが、別の力が働いていると考えるのが自然だろう。
僕は迷った振りをしつつ、こう答えた。
「考えとく……、っていうのは駄目かな」
「そうね、わかった。先方にはそう伝えとくね」
三浦は腐ってもプロだ。僕の意図がすぐさま伝わったらしい。相手に気を揉ませるのも交渉における重要な戦術だ。
僕ら第七世代は自分たちが最高級の嗜好品だと自認している。安売りは決してしない。
乗り気な話であっても、自分から食いついたりしないものだ。微妙な押し引きを繰り返し、簡単に主導権は渡さない。
顧客は僕らを世間知らずの小娘だと侮っていることが多いから、まず鼻っ柱を折って様子を伺う。これで諦めるようなら相手にならない。
僕の勘が正しければ、今回はかなりの大物だ。必ず興味を示してくれるはず。
「天音ちゃんのことを嗅ぎ回っているようね」
帰り際、痛くもない腹を探られた。
「友達の事を知りたいと思うのは当然だろ」
「友達なら直接訊ねればいいんじゃない?」
三浦に言われなくても、それが近道だとわかっている。天音は自分の話をしたがらない。どこで生まれたか、いつから学校にいるのか誰も知らない。妖精なのではと疑う奴もいるくらいだ。
「なんかそういう話嫌がるんだよな、あいつ」
「本人がそう言ったの?」
「いや、なんとなく」
僕の勘だけでなく、弥生や他の生徒も天音の秘密にたどり着いていない。天音は無害な存在だから、そのうち探ろうという意欲すら失せてしまう。
「やさしいわね、瑞樹ちゃんは。でもあの子はそんなに弱くないし、頑張ってるわよ」
三浦が天音を認める発言をするのを初めて耳にした。気味が悪い。それとも身請けに対するリップサービスだろうか。
「頑張るも何もあいつは何もできないじゃないか」
「どうかな……、案外……、ふふっ」
不愉快なほのめかしに対する返礼は腹パンだ。普段ならそうする所だが、弥生の元に急ぎたかったのでおしおきは持ち越しとなった。
プールに弥生の姿はなかった。監視員に訊ねると、僕が去って間もなく、後を追うように弥生も上がったらしい。
ロッカールームで鉢合わせしなかったが、先に部屋に戻った可能性がある。
僕はその日の予定を全てキャンセルして、部屋に戻った。鍵は閉まっている。なのに弥生の荷物だけがきれいさっぱり消えていた。
三浦にもらった羊羹を少しずつ切りわけ、弥生を待つ。夜まで待っても帰ってこなかったので、残りを冷蔵庫に入れた。
一日一切れずつ、薄い羊羹を口に運ぶ。どんなに薄く切ってもいずれ羊羹はなくなる。弥生が食べる分がなくなってしまう。
結局、七日経っても弥生は戻ってこなかった。
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