第19話 僕の兄は自爆テロで死にました


弥生のいなくなった衣装部屋は広すぎて、僕の手に余る。


薄手のパーカーとスカートをクローゼットから取り出した。よそ行きの服に袖を通す。久しぶりにスカートを履くと足がスースーして落ち着かない。


地下駐車場に行くように言われた僕は、キャリーケースをゴロゴロさせて向かった。


駐車場には二人の人物がいた。スーツ姿で手持ちぶさたにしていた彼らは、僕に気づくとまっすぐこちらに歩いてきた。


一人はがっちりした体格の女性で、岩永いわながひかると名乗った。目が細く、表情に乏しい。簡単な挨拶を済ませた後も口数は少なかった。愛想がなさそうに見える。


もう一人は赤銅色の顔をした小柄な老人で、笑顔で近づいてきて握手を求めてきた。僕が応じると、握ったまま力任せに腕を振り回した。僕の肩と関節が振動で悲鳴を上げる。


岩永さんがとっさに老人を突き飛ばし、糾弾した。


「何やってるんですか、謝さん! この子が怪我したらどうするつもりです」


謝と呼ばれた老人は岩永さんの剣幕を気にすることなく金歯をむき出し、笑っている。


「この子、良い体。良い花嫁になるよ」


岩永さんはため息をつき、僕に謝罪した。嫌々ではなく、心からの謝罪だったので僕は謝さんの暴挙とセクハラを不問にすることにした。


謝さんは台湾の出身で、僕くらいの歳の曾孫がいるとのこと。


二人とも民間のシークレットサービスという紹介を受けたが、裏社会の人間にしか見えない。僕のお目付け役兼、護衛のようだ。てっきり学校の職員が来ると思っていたが、遠出の備えとして用意されたものと解釈した。


ワンボックスカーに乗り込んですぐ、目隠しとヘッドホンを渡された。学校の秘密主義は今に始まったことではないので淡々と従う。


「バッハとモーツァルトどっちが好き?」


隣に座った岩永さんに、移動中のお供のことを訊ねられた。どちらも聴く気分ではなかったので、駄目元で好みの音楽があるか訊いてみた。


「セックスピストルズはないんですか」


「あるよ。私の端末でよかったら貸すけど」


音楽の趣味が合う人がいて良かった。楽しい旅になりそうだ。


何時間か車に揺られ、停止した時には夕方になっていた。胃にもたれるような重い空気と湿気に辟易としながら外に出る。


外の景色はひび割れたアスファルトと道の駅らしき建物で構成されている。学校の外に出るのは三カ月ぶりだ。箱入りの国選も、校外活動と称したプロパガンダに駆り出される事が稀にある。ボランティアなどの慈善活動を通して国民の理解を深めるのが狙いだそうだ。


「休憩にしましょう」


岩永さんは事も無げに言っていたが、行程を知らない僕の疲労は筆舌に尽くしがたい。


「後どのくらいで着くの?」


「ここで三十分休憩した後、船に乗ります」


僕が知りたいのは最終目的地の到着予定時刻だ。訊いても時間が縮まるわけではないが、不親切であるという心証は拭えない。


「ごめんなさい……、私たちも詳しいことは聞かされていないの。大変だろうけど頑張って」


岩永さんはずっと肩身の狭そうにしている。僕みたいな豚に気を遣うことないのに。


僕は子供じみた態度を封印し、気丈でいようと努めた。


「冷やし中華ないか。私、冷やし中華食べたいよ」


謝さんが場違いなことを言うと、岩永さんが眉間に深い皺を刻んだ。それを見て僕の気持ちは少し和んだ。


今現在、日本海側には海賊船に偽装した北朝鮮、および中国海軍の船がうろついている。内陸部は極左系のテロリストが跋扈しており、陸路での移動も危険とのこと。


そのため太平洋側を自衛隊の補給鑑に乗せてもらって移動することになった。間近で見る鑑は、あらゆるものを威圧するように海上に君臨していた。


港で出迎えてくれた自衛官はあきらかに気が進まない様子だった。僕はそういった塩対応には慣れているので、できるだけ邪魔にならないようにすると宣誓した。


夜更けに出航した鑑は、人目を忍ぶようにひっそりと海を進んだらしい。僕はずっと窓のない狭い船室に閉じこめられていた。鑑の中を自由に歩き回る権利は与えられなかった。


あてがわれた個室には机と、二段ベッド。手錠で拘束されていないましだが、軟禁と大して変わらない。


深夜零時過ぎ、岩永さんが食事を運んでくれた。食欲がない僕を気づかってのことだった。トマトリゾットとパックのジュースがトレーに載っている。


軽い食事を取って横になると、壁が不自然に傾いで見えた。波の振動が作用しているのか、僕が船酔いしているのかわからない。金属がきしむ音が歯ぎしりの音に似ていて脳に響く。


悪夢にうつらうつらしていると突然扉が開いた。非常事態かと震え上がる。


「おじいちゃんが遊びに来てあげたよー」


何故か謝さんが喜色を浮かべて乱入してきた。

 

時計は午前二時を指している。このじいさん非常識過ぎないか。追い返す気力もなく居座らせるしかなかった。


謝さんが囲碁をしようとせがんでくる。めんどくせえ。頭全然回らないんだよ、こっちは。二、三度相手をしてあげたら、満足して帰っていった。謝さんが帰ると、良い具合に眠気が襲ってきた。


次に目が覚めた時、胃が逆流するように激しい吐き気が襲ってきた。たまらずベッドを汚してしまう。


タイミング良く岩永さんが様子を見に来てくれたので僕の醜態の発見は思いの外早かった。


「……、すみません。船酔いしたみたいです」


「いいのよ、気にしないで。少し落ち着いたら散歩しようか」


謝さんはまだ寝ているとのこと。僕が昨夜の謝さんの悪行を包み隠さず話すと、岩永さんは細い目を釣り上げた。


「それ本当? 全くしょうのないじいさんだな。あとできつく言っておくから」


もの静かな岩永さんがヒステリックな反応を示すほど今回の件はひどかったらしい。


今後、僕に加え謝さんへの監視の目が強まるだろう。岩永さんへの負担が増えるのは可哀想だけど我慢してもらうしかない。


十分後、僕は甲板に連れ出してもらった。空は青く澄んでいる。どこを見渡しても陸地が見えない。けど外の空気を吸ったら、内蔵の位置がすとんと落ち着いた感じがする。


「あんまり鑑の中を見ない方がいいよ。遠くの景色だけを見るの」


「僕はそういう能力じゃないから平気ですよ」


謝さんの囲碁の内容すら覚えていないような記憶力だ。機密の漏洩の心配はない。だからこそ乗船が許されたのだろう。


「そういう意味で言ったんじゃないんだ。気分を害したのなら謝るわ」


「いえ、こちらこそ。口べたですみません」


今まで同じ集団でコミュニケーションを怠けていたつけが回ってきた。相手の意図を読み違える現象を久しぶりに味わう。これはこれで新鮮だ。


「この鑑の航海士は便秘らしいですよ」


「へえ? どうしてわかるの」


「便座に残っていた思念を読みとりました。人間の思考ってね、QRコードみたいに残ってしまうものなんです。僕がそこに手を触れれば電気信号を伝って脳に映像が展開されるって仕組みなんです」


便座うんぬんは嘘だが、メカニズムは大体そんな所だ。このくらいならオープンソースだから情報漏洩には当たらない。単なるサービスである。


岩永さんは口元を元引き締めたまま笑わなかった。僕にユーモアのセンスがないのを差し引いたにしても、もう少し肩の力を抜いてもいいのにと思う。謝さんの件が尾を引いているのだろうか。


「ちなみに、私が考えてることもわかったりする?」


岩永さんの懸念は最もだ。誰でも自分の思考を盗み読まれたら良い気分はしないだろうし。本当のことを言おうか迷った。


「ええと、勘なんですけど、岩永さんってお子さんいますか」


岩永さんの表情は変わらない。僕は自信なさそうに続ける。


「さっき食器を触った時に、食事の準備をする岩永さんが見えました。今よりずっと楽しそうで……」


失点を重ねてどうする僕。この言い方だと今が楽しくないみたいじゃないか。仕事が楽しい方が稀だろうから間違ってもいないかもしれないけど、軽率だった。


「すごい、正解。息子がいたのよ。あなたくらいのね」


岩永さんは手を叩いた。本当に感心しているのかおちょくってるだけなのか判別しづらい。それよりも、また特大の地雷を踏んだ気がしてならない。


「あ……、すみません。今の忘れて下さい」


「いいの。気持ちの整理はできてるから」


弥生のように他人の機微に通じる力があれば気の利いたことも言えただろうけど、僕には荷が重すぎる。


「テロで亡くなったの。ね、珍しい話でもないでしょう?」


今の日本では不平等と不寛容、それに変質したナショナリズムが加わったいびつなテロが蔓延していた。大抵は無関係な市民が巻き込まれて終わるが、一向に鎮静化する兆しを見せない。客観的には珍しい事件でなくとも個人的体験としてはトラウマものだ。


「不破さんの家族はどうしてるの? 会いたいでしょうね」


人の秘密をのぞいたのだから対価をよこせといわんばかりにずけずけ訊いてくる。僕は何気ない口調でこう答えた。


「死にましたよ、テロで」


「そう……、一緒ね、私と」


ここで話を打ち切るべきなんだろう。露悪的に振る舞っても何の特もない。悪い意味でのサービス精神なんて誰も求めていないのはわかっている。

それでも僕は止まれなかった。


「僕の兄は、自爆テロの実行犯だったんです。加害者なんです。同じ気持ちを共有できなくてごめんなさい」

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