第20話 僕はナンを食べて育った


国選に入学する以前、僕は池袋に住んでいた。


当時、外国人移民の受け入れ緩和が進み、日本社会の分断が一層進んだ時期でもある。


鮮やかな国旗と異国料理の店の記憶がまずあり、


外国人を追い出そうとする右翼と、警官隊が衝突していたのを薄ぼんやりと覚えている。


街中で火炎瓶が炸裂するのは日常茶飯事で、知り合いが大けがしたこともある。


治安は確かにいい方じゃなかった。夜になるとどこからともなく変な連中が集まって薬の取引していたし、警官が殺される事件もあった。


そんな環境において、僕はナンを食べて育った。インドカレーを頼むと出てくるあれだ。


僕は五歳頃まで浮浪児をしていた。住所不定無職の幼女が生きていくのは大変だ。物心つく前だったから残飯を漁ることに抵抗がなかったのが唯一の救いだったのかも。夏は人気のない墓所で眠り、冬は駅の構内で体を休めた。体が小さいから、隠れるのは造作もない。雨水と残飯で糊口をしのぐ日々だった。 


繁華街を餌場にしていた僕はある日、ゴミを漁っていたところインド料理店の店主に見つかった。言葉は通じない。でもなんとなく僕を気遣ってくれたのはわかった。


そのおじさんは僕にナンを食べさせてくれた。粉っぽくておいしくなかった。残飯の方が味が濃くてうまかった。カレーを食べたいと、所望したが受け入れてもらえなかった。金ができたら食べにこいというようなことを言われた気がする。白い店の軒先で僕はカレーの匂いを嗅ぎながらナンを噛む日々を一時過ごした。


きつい香水の臭いを振りまくお姉さんたちに、光る石をもらったことがある。持ってるといいことがあるよと教えてもらった。お姉さんたちの顔ぶれは季節が変わるごとに入れ替わった。みんな家族を大事にしていた。出稼ぎに来ていたんだろう。


ナンを噛むのに飽きたのは、冬を二回過ごした後だった。


のっぽでひょろ長いおじさんが、僕を迎えに来た。僕の居住地となるみろく園の園長さんだった。


僕は住所不定の幼女ではなくなった。


みろく園は、僕のように親に置き去りにされた子供たちを受け入れる施設だった。


東京への一極集中により出稼ぎに来る人の数は増え、孤児の数は激増した。出稼ぎに来るのは競争社会に取り残された人たちだ。子供を産み育てる余裕なんてなかったんだろう。


東京の社会インフラのほとんどが民間委託されるにともなって、貧乏人は公園の水を飲むことすら許されなくなった。


僕の親も泣く泣く僕を捨てたのだと思いたい。正直顔を知らない両親に対する感情を持て余していた。恨んでもいいんだろうし、恋しがってもいいんだろうけど、みろく園に来た当時の僕にはそんな余裕はなかった。


みろく園の掟は弱肉強食。強いものが全てを手に入れ、弱者の手には何も残らない。


職員を雇う余裕がないから、園は無法状態だ。それならば年長者がしっかりしてそうだが、どいつもこいつもクズばかりだった。


みろく園に来た夜、眠れなかった僕は用を足すために起きた。


トイレに明かりがついており、扉が開いていた。男が男にのしかかり、腰を叩きつけるように振っていた。のしかかられている方は聞いたこともない苦しげなうめき声を上げている。


僕は恐ろしくなり、部屋に戻って布団を被った。お守り石を握って目を固く閉じた。

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