豚は丸焼きに限る。ただし骨つきで。

濱野乱

第1話 僕は焼き豚の味が知りたい

諸君らは優秀な豚だ。


豚のように美しく肥太り、ひび割れた声でいななく。鳴いて絶望の妙味を噛み締めろ、それが最高のスパイスとなる。


とかなんとか入学する時に言われた。僕は記憶力に自信がないので若干意訳している。


わかるのは無抵抗の豚を組みしくのはさぞ愉快で楽しいんだろうってこと。


残念ながら僕は豚を組み敷く側に生まれなかったので、せめて美味しく食べられるために豚の丸焼きを研究することにした。僕に合うスパイスはこれ、焼き方はこう、必ず黄金率が潜んでいるはずだ。


当座の知識を得るために早朝、図書室を訪れた。図書室の戸をできるだけ音を立てないように開ける。オープンスペースで音を立てるのは下品だからやめなさいと刷り込まれているのだ。力一杯大きな音を出してみたいと思う日がないわけじゃないけど、実際行動に移す奴を間近で見ると軽蔑する。この感情も刷り込みかもしれない。豚は刷り込みに弱いのだ。


図書室のカウンターはチリ一つ落ちていない。カウンターだけではなく、木目の床にも窓も清掃が行き届いている。清掃は豚になるために最も最適な修練である。何たって豚は綺麗好きなのだから。


僕は、飴色の床に舌をはわせた。年増の唇のように荒れていない。滑らかで鏡のような光沢を持つ床だ。舐めるのに抵抗はなかった。


「何してるの、ふわふわ」


床に両手をついて下を向いていても、誰が話しかけてきたのかわかった。にらむように目玉だけを上に向ける。


三メートル近い高さの本棚が壁に埋まっており、本棚の正面にある脚立の頂上に女子生徒がへばりついている。白いセーラー服に、背中にへたくそな三つ編みを垂らしている。自分で髪型をセットできない癖に名前は万里ばんり天音あまね。名前負けってこういう奴の事を言うのだろう。


僕は天音に朝の儀式を見られたのが悔しくて負け惜しみを言う。


「焼き豚の味はどんなものかと思ってさ」


「てっきりあーちゃんの下着をのぞいてたのかと」


天音は他の豚と同じく下ネタが大好物だ。

僕はブレザーをはたき(万が一、埃がついていた時の備えだ)、グレーのスラックスに包まれた足であぐらをかいた。あらぬ疑いをかけられるのは心外だ。断固抗議する。


「同じものをつけてるんだし、見る必要がない」


「そのなりで、女物のパンツ履いてんだ。うっくく、想像しただけで濡れるわい」


天音は興奮したのか内股に手をやった。僕の髪は襟足が短いし、男物の制服を着ているけど、天音と性別は同じだ。不破ふわ瑞樹みずき。あだ名はふわふわ。髪が若草のようにふわふわしてるからだ。


「天音こそ何やってんだよ。図書室にいるなんて珍しい。完全自殺マニュアルでも借りにきた? 残念だけど三年前くらいに焚書になってるよ」


「んな物騒なもん借りないよ。スイーツの作り方をね。もうすぐいなくなるバニラのために。餞別にと思ってさ」


その心意気は買うが、天音は相当不器用だったはずだ。あれほど不格好に芝刈りをする人間を僕は見たことがない。料理なんてできるのだろうか。


「じゃあ、本を取ってとっとと教室帰れば」


「いやあ、あのね」


もったいつけて天音は後頭部をかいた。僕は焼き豚の作り方が知りたいから天音には早々に消えてもらいたいのだ。僕はためらうことなく脅しをかける。


「なんだよ。脚立蹴っちゃうぞ、ほら」


「やめへよ、ふわふわ。本が高い所にあるから取れないんだ。あーちゃんは悪くない」


先ほどから上半身を伸ばしているのはそのためか。仲間思いの善行に免じて僕が代わりに取ってやることにした。


「とりあえず降りてきなさい。ついでに取ってきてあげる」


「さっすがふわふわ、おっとこ前だあ! でもすまん、あーちゃん降りられない……、ぐすん」


天音の足ががくがくと今にも崩れ落ちそうなほど震えている。計画性があるのかないのかわからない奴だ。


「いいよ、そこに行くまで待ってろ」 


「……、おす。胸を借りるっす」


年季の入った脚立は幅が狭い上に足をかけただけできしむ。体重をかけたらばらばらになってしまいそうだ。天音じゃないけど僕も少し怖じ気付いてしまう。


一段一段、足場の安全を確かめるように慎重に上る。豚がケツを突き出す所に向かって。豚のスカートの中は星空ではなく、肉と油にまみれている。見上げると天音のパンツがケツに食い込んでいた。色は白、素材は綿百パーセントと校則で決められている。理由はよく知らない。豚にはそれが適当らしいのだ。


窓が風圧で振動している。鏃のような黒い点となった航空機が遠ざかる所だった。学校の近くに自衛隊の空軍基地がある。アメリカと日本が共同開発した戦闘機が飛び立ったのだろう。


「ふわふわー、まだー?」


助けられる側の天音が暢気なのが気に食わない。普通は手をさしのべられたら引け目を感じて卑屈になったり、及び腰になったりするものじゃないか。天音は助けられるのが当たり前になっており、感謝の念が薄いのだ。少し懲らしめてやる。


「天音、目を閉じて」


「えー? こわいよ。落っこちちゃうよ」


「落ちても僕が受け止めるから平気。言うとおりにして」


本当に落ちてきてたら躊躇なく避けるつもりだ。天音のデカ尻の犠牲になるつもりはさらさらなかった。


梯子の上から見下ろすと、けっこうな高さになっていた。僕の身長より高いじゃないか。手汗で指が滑りそうになる。ようやく天音の元にたどり着いた時も梯子はか細く揺れ続けていた。二股の脚立が今にもがばっと開脚しそうである。天音は言われた通りきつく目を閉じて待っていた。


「さっき窓を見たら戦闘機が飛び立つ所だった」


「もう目、開けていーい?」


「話は最後まで聞こうよ。その戦闘機がさ、引き返してきた」


「んあっ、飛んで飛んで敵国をせんめつするのだー」


「うん、なんかこっちに向かって飛んできてるよ」


天音が目を開けようとしたので、僕は手で目隠ししてしまった。真に迫った声で危機を報せる。


「もしかしてだけど、テロリストに乗っ取られたのかもしれない。この学校が政府に関係してるってバレてるのかも。ああ、だんだん大きくなってきた。機首がこっち向いてる」


「ヘイ……、YAMATO神風、高所足枷、に、逃げ惑う聴衆、御臨終……」


「天音、もう間に合わない。ぶつかる、ぶつかるぞー」


僕が脅かすと、天音の体は全身が心臓になったみたいに激しく痙攣した。手を離してみると、白目を向いて鼻水を垂らしている。


もちろんどれだけ時間が経過しても戦闘機が突っ込んで来ることはない。天音は豚肉のミンチになる想像をしただけで、気を失ったのだ。第六世代の豚は視野を塞がれると極端な情報暗愚に陥るという研究結果が出ている。つまり現実を直視できずに空想に逃避するしかなくなるのだ。天音の場合、逃避した先が地獄だったわけだが、想像力豊かな素晴らしい豚の証明でもある。


気絶した天音の体を支えるのは容易ではないので、お菓子作りの本を棚から抜き取り、次に焼き豚の本を探す。棚に目を走らせている最中にぎくりとした。


風邪の引き始めのような小さい咳払いが梯子の下から聞こえたのだ。空耳ではなく、主任教諭の三浦みうら彩矢あやの口から発せられていた。眼鏡をかけた年増女だ。年齢は三十くらい、黙っていると楚々とした見た目だが、唇がいつもかさついているし、ヤニ臭い。彼女は豚ではない。人間だ。


「不破さん、予鈴は過ぎてますよ。早く教室に戻りなさい」


涼しい笑顔で僕に注意を促すと、彼女は図書室を出ていった。戸を閉める時、雷鳴のような激しい音を立てて僕を脅かした。彼女は豚ではないので美しい所作を知らないのだ。嘆かわしい。


ぽたぽたと、生ぬるい液体が梯子を伝って僕の指に滴った。天音のスカートが濡れている。失禁するほど怖い目に合うとは朝から不憫な奴だ。


豚は綺麗好きだから、寝覚めが悪いに決まってる。教室に行く前に保健室に寄って着替えさせてやることにした。結局、探していた焼き豚の本は見つからなかった。

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